9-6 踏みにじる者たちへ(2)
「ポォムゥ。あの子どもの身体に爆薬の反応は?」
「んお。……特に反応は見られないぞ」
ざわついていた血の気が一瞬で引いていくのを感じる。対照的に、ポォムゥは眼を黄色に変えた以外は、ごく普通にウルフにそう答えた。
「爆薬って……。そんなの人間のする事かよ」
「甘ぇな、レンさんよぉ。そんな所業をやってきたのが人間なんだよ」
ハンチング帽を深く被り直してサコンが答える。少女はボロ布の裏に爆弾を隠し持っているのではないか。ウルフはそう危惧した。ポォムゥのおかげでありえないと判断できたが……。
戦慄と悪寒が俺の背筋を這い回る。人間爆弾――無知な俺でも聞いた事くらいはある。たった一つの幼い命ともども、侵略者を退かせようとする行動の究極。最悪の『もしも』がありえる事を俺は気づけなかった。生温い日常に浸っていた事を痛感させられる。地雷原なんてものは結局、人が作った地獄でしかない。非道な行為は思い浮かべても実際にはやろうとしないはずだ、それが普通の人間ならば。
「だが、まだ交渉の余地はある。子どもが生きているのだから、必ずあるはずなんだ」
絞り出すようにしてウルフが言い放つ。そう、『もしも』は起こらなかった。俺達が相手にしているのは人の皮を被った化け物なんかじゃなく、まだ正気を保つ人間であった。だったら、わかり合えないと匙を投げるわけにはいかない。
「つったって、どう説得するつもりだいウルフさんよぉ? 奴さんの頭はそうとう固いぜ?」
サコンのしゃがれ声にウルフはぴくりと反応する。こちらの意志をどんなに伝えようとも、相手は全てを拒絶するかの如く口振りだった。下手に動いて良い結果につながるビジョンがまるで浮かんでこない。俺達をここまで引っ張ってきたウルフであっても、この状況で的確な行動を取るのは困難だろう。
しかし、これ以上の沈黙は拙い。装甲車に乗るメンバー達は申し訳ないと思いつつも、銀髪の賢者の判断に全てを託していた。
そして、ウルフは閉ざしていた瞳とほぼ同時に、確かな語気で口を開いた。
「……アシェフの代表者へ。貴方の言葉が民の総意であるなら、その愚直なまでの崇高な態度に敬意を表し、我々は一旦手を引こう」
『……なんだと?』
「ウルフ……!?」
始めは俺の耳がどうかしてしまったのかと思った。だが、周りの連中もウルフを見て仰天しているのを見る限り、俺が幻聴を聞いたというわけじゃないらしい。敬意を表する? 一旦手を引く? 何もせずに回れ右してすごすご帰るってわけか!?
混乱が俺の頭を揺さぶる最中、ウルフは黄色の双眸に穏やかさを宿して再び拡声器に口を近づける。賢者が暑さでとち狂ったわけでもなさそうだが……。
「命尽きるまで聖なる地を守り抜いた者たちに、せめて手向け花を添えてあげたい。それが今の我々にできる事だと思う。貴方たちの最期にとって相応しい花とは何か、教えていただきたい。急ぎ調達する頃には、貴方たちは立派な最期を迎えているはずだから……」
これは白昼夢なのだろうか。
アシェフに生存者がいるのも、彼らが俺達を拒絶するのもわずかな可能性ながら予測できてはいた。さらには、頑なに拒む彼らを説得するウルフの姿も――まことに他力本願で図々しいが――俺は頭に思い描いていた。そして、その実現しなかったイメージは陽炎となって消え去ってしまった。
手向け花を添えるだと? ウルフはアシェフの民を見殺しにするつもりなのか? 今、俺達の前に立ち塞がる痩せ細った少女のことも……?
モニターに目をやると、未だ屹立する少女の姿があった。その眼も未だ険しく、強い嫌悪に満ちた表情でこちらを睨んでいる。何を言われても、どう説得されても決してそれに応じない。そう顔で訴えているようだった。
数刻とも感じられた沈黙は、少女が首に下げたスピーカーからの微笑によって破られた。
『聖なる地を眼下に望み、我々の死を見届けると言うのか。フッ、面白い』
今までの反応とは違う返答が返ってきた。張りつめた沈黙の後、それを和らげるかのような男の低い声が届く。
『……白い花だ、白い花がいい。穢れなき真っ新な誇りを貫いた証として、貴公らが我々に白い花を持ってきてくれるのなら、これに勝る手向けはない』
「わかった、約束しよう」
『感謝はしない。余所の人間を信ずるのは神の教えに反する。それと、立ち去るならばそこにいる反徒を連れていけ』
この状況に安堵すればいいのか、それとも嘆けばいいのかもわからぬまま、俺達は次なる使命を与えられた。反徒と呼ばれたその藁の束に似た荷物。足元に会ったそれを、少女は引き摺ってマインローラーの前に差し出した。荷物のようなものは、縄で縛りつけられた一人の男性だった。ぴくりとも動かないが、どうやら彼もまだ死んではいないらしい。
『貴公らにその者の身を委ねる。その者は我らの同胞であるが、理想に溺れ幻想に囚われた哀れな男だ。だが、今日この日まで我々アシェフの民が生き永らえたのも、その者の具申があってこそだった。よって、その命までは取りはしない。その者が意識を取り戻したらこう告げるのだ。オーランよ。貴様が守った命の灯火が消えゆくのを、せいぜい見届けるがいいとな……』
俺達は黙って男の言った言葉を噛み締めた。砂にまみれ意識を失う者の名はオーラン。同胞の彼をこのような形で敵方に送るとは何とも度し難い。彼らの中でいったいどんな軋轢が生じたのだろうか。アシェフの民は何故、オーランを置いて皆終わりの時を迎えようとしているのか。
様々な疑問が頭を過ぎるなか、モニターにはアシェフに戻る少女の後ろ姿があった。
『その娘は追うな。追えば娘ともども貴様らを撃つ』
男の強迫に怖気づいたわけではない。アシェフの民が、装甲車両を貫く武器など持っているはずないのだから。だけど、俺達にはどうにもできなかった。足元がおぼつかない少女のことを、鬱然としてただ眺めるばかりだった。
見るに堪えないといった様子で、テッサが憂いの声を上げる。
『ふらふらじゃない、あの娘……。どうにか助けられないの?』
「ダメだ。下手に刺激してはいけない。悔しいがここは我慢するんだ……!」
ウルフがそう言うと、ドン、と壁を叩きつける音がした。いたたまれなくなったサコンが拳を上げたのだ。俺は何もしなかったが、サコンと同じ気持ちだった。無力な己がとてつもなく口惜しい。英雄になんかなれなくたっていいから、今はたった一人の少女を救いたい。けれど、状況がそうさせてくれない。そこら中に漂う陽炎のように、意味もなく立ち竦まなければならないのだ。
蜃気楼のようにゆらゆらと遠のき、少女の後ろ姿が完全に消えたのを確認した後、俺たちはようやく動き出した。オーランと呼ばれる男を車両内に運び、一時撤退するべくアシェフから遠ざかった。悔恨と哀情を、砂塵だらけの抹消された町に残して……。