9-5 踏みにじる者たちへ(1)
アシェフの町を守るように立ち塞がる一人の少女。か細い腕も風に揺れる黒髪も身に纏うボロ布も、全て砂埃で汚れてしまっている。それでもなお少女は毅然として大地に立ち、巨大な軍用車両にも動じず抵抗の眼をこちらに向けている。あの眼は畏怖でも悲哀でもない、ただ俺達を嫌悪している眼だ。濁りに濁って純粋な黒に澄みきってしまった、そんな眼だ。
少女の足元に何かがある。モニターからではよく視えないが、藁を束ねた円筒状の荷物のようなものが砂塵にまみれて置かれていた。
状況が状況だけに、各々のメンバーは息を呑むばかりだった。停止する車両と同様、ただ想定外の事態に対して思考がぴたりと止まってしまったのだ。あの少女は生存者なのか。だとしたらどうやって今まで生き抜いてこれたのか。どうして俺達の行く手を塞いでいるのか。それとも俺達の見ているこの光景は、蜃気楼が見せる幻だというのか……。
『聖なる地を踏みにじる者たちへ告ぐ――』
ドスの利いた唸り声は、他ならぬ少女のほうから俺達の耳に届いた。大人の男の声なのは明らかで始めは俺達も面食らったが、少女が首に下げているスピーカーらしきものからの音声である事に気づき、食い入るようにそれに耳を傾けた。
『我々アシェフの民は、貴公らの如何なる狼藉行為においても此れを耐え、誇り高き死を以て聖なる地を守り抜く。貴公らが業深き刃を我らに振り降ろす前に、我々は自らを聖なる火によって終結させる』
生気が感じられない言葉の羅列。それでいて俺達を最大限に警戒している風で、抵抗の意を表明した言葉に背筋がぞわりとする不気味さを覚える。アシェフにはまだ生存者がいる。だが、そいつらは俺達を招かれざる客としてあしらっている。とてもじゃないが歓迎されている感じではなさそうだ。
ただ、言っている事が抽象的すぎたので、頭の足りない俺は誰かに要約を求めた。
「な、何を言ってるんだ奴らは……?」
「『この町に近づくな。近づいたら自殺する』って具合かい。あほんだらめが」
苦虫を噛み潰したような顔でサコンが答える。アシェフの住人は、俺達の事を侵略者と勘違いしているようだ。立ち塞がる少女の反応もそれで納得だ。あの険しい眼は舞う砂埃を嫌ってのものじゃない。不審なもの、汚らわしいものを蔑むようなあの眼をされては、誤解の解きようがないのだ。
どこからか拡声器を取り出したウルフは、窓から顔を出して極めて冷静な口調で説得に努めた。
「アシェフの代表者へ。こちらは国連軍特殊兵器掃討部隊、地雷掃除人のウルムナフ・コーガンだ。始めに伝えておくが、我々は貴方たちに対して危害を加えるつもりはない。前にある戦車はマインローラーといって、地雷を撤去するだけの兵器だ。砲弾は一発も積んでいない」
『虚偽の発言までして聖なる地へ踏み入ろうとするか、この薄汚い侵略者め。我々は貴公らの浅ましい行為に屈したりはしない』
堅苦しい物言いから一転、拡声器から発せられる男性の声は悪い意味で人間らしさを取り戻した。その条件反射のような拒絶ぶりは、まさしくサヘラン国民によるものだ。こちらが取り繕うとすればするほど、話が泥濘にはまるのは火を見るより明らかだった。
ウルフもそれを察したのだろう、少しの逡巡の後、語気を強めて立ちはだかる少女に対して言い放つ。話し相手に変な刺激を与えぬよう、慎重に言い歩み寄ろうとした。
「我々が戦車と装甲車、各一輌ずつでここに来た意味を考えてほしい。我々がここへ侵略しに来たのなら、もっと大掛かりな部隊を投入したはずだ。もう一度言う。貴方たちに危害を加える気はない。そしてできる事なら、平和的な方法で貴方たちを救いたい。俺達はそのためにここへ来た」
単刀直入でわかりやすい、言いたい事がしっかりと伝わる内容だった。ウルフの言葉の選択に間違いがあったとは思えない。彼にどこか誤りがあったとすれば、それは認識の甘さと言えば正しいだろうか。力無き者を思いやる事はできても、決して彼らと同じ感情を得る事はできない。彼らとの間にある溝の深さを測りきれていなかったのだ。
少女は険しい眼を止めなかった。衰弱するアシェフの町を背に、四肢を広げて庇おうとする姿を変えようとしなかった。ほんの数秒の間に生まれた彼らの黒い感情は、スピーカーから吐き捨てられた。
『平和的な方法、だと? 戯言も大概にしろ。貴公らの甘言に弄せられたりなぞするものか! そうやって我々は人を信じ、その都度裏切られてきた。俺は絶対に忘れないぞ。十五年前のあの日、家族が目の前で死にゆく様を俺は見た! 貴様らが持ってきた配給物資に手をつけた所為でな! 何が平和的な方法だ! 弱りに弱った俺達に一抹の希望を持たせて地獄へと突き落とすのだろう!? あの時と同じように!』
男の荒々しい呼吸音が荒野に残る。反響こそ起こらないものの、その悲鳴染みた男の独白は俺の頭の中に留まり続けた。これが人に散々裏切られてきた者の真っ当な反応だ。彼は悲惨な過去から学習したのだ、余所者を信じるとひどい事になると。わかり合おうとこちらから歩み寄っても、傷つけられると後ずさる。助けようと手を差し伸べても、叩かれると思って身を庇う。どうしたって溝は埋まらず深みに嵌まるばかりだった。
やり場のない感情が俺の拳を震わせる。彼らにはこれが暴力を振るう前の仕草に見えるとも知らずに。
「十五年前……? 何があったかは知らんが、奴さんは聞く耳を持たないようだぞ?」
そんな中、ビー・ジェイの一際落ち着いた声が俺の耳に届いた。俺はふと我に返る。俺達が活動を始めたのがおよそ一年前だから、十五年前にアシェフで起こった出来事などは知る由もなかった。『余所者が勝手に関与してきた』という点においては、彼らにとって同じ事なのかもしれないが。
ビー・ジェイに続き、サンタナも沈痛な面持ちで声を上げる。
「まだ生きている人がいるなんて……。どうやって生き延びたんでしょう? まさか……」
サンタナはそこで口を噤んだ。まさかの後は言わなかった。今はその事を追究している場合ではない。だが、俺の頭では否応にも悪いイメージが過り巡っていた。飢餓に悶え苦しむ人間の仕出かす行動、その究極。どうしてもそれを振り払う事ができなかった。