9-3 抹消された町
ロウファは心配そうにテッサを一瞥したが、すぐに進行役としての真面目な表情に戻った。
「今回の議題は、今後の遠征方法についてです。現在、拠点からの遠征距離は日を追う毎に大きく離れ、地雷掃除人を運搬する燃料さえも切迫した状態です。これについて早急に解決されたしと、本部から通達がありました」
「お偉いさん方も良い人たちばかりだよ。現場に顔を出さずに、ほいほいと指示ばかりくれやがって」
「窘めの言葉を僕らに寄越したという事は、いよいよ騙しが利かなくなってきたのかな」
私生活でも仲の良いサコンとコンラッドが順々に口を開いた。
上層部の人間は、多少強引なやり方でも地雷原をどうにかしろと口を酸っぱくして言ってくる。そもそも、地雷撤去は強引なやり方のほうが簡単で、金と資源があればどうにでもなるのだ。ただ、それらが枯渇寸前であっぷあっぷしているから、俺らが招聘されて最前線に放り込まれているわけなのに、お偉いさんは自分らの矛盾に気づかないほどお間抜けさんらしい。
それでも俺達が俺達なりのプライドを持って慎重にやってこれたのは、そういった上層部の勝手を耳にしないで済んでいたからだ。そしてそれに一役買っていたのが、俺の師匠であるパールだった。パールは地雷掃除人として現場で働くだけでなく、国連の顔として要人クラスの丁重な扱いを受けている。彼女は俺達の活動に支障を来たさぬよう、他の要人を上手く説得してやり過ごしていた。そのうえ、ルゥやズィーゼを筆頭としたうちのオペレーター達は優秀だ。自分たちのところで話を食い止めて、俺達に余計なストレスがかからぬように慮ってくれていた。
そういった手厚い配慮の上で、ロウファは壇上で俺達に本部からの通達を告げた。それはまさしくコンラッドの言うように、騙しが利かなくなってきた状況になりつつあるという事だ。
「とはいえ、いつまでもパール殿に迷惑をかけてばかりはいられませぬ。我々も存分に職務を全うし、未来への道を拓かねば」
ケイスケの言葉の後、今まで沈黙を保っていた女性が声を上げる。ジョウのパートナーであるズィーゼだ。
「よくよく考えると、ここは拠点として居心地が良すぎたのよね。住居スペースもあるし、盛り上がった土地の窪みにあって襲撃されにくいし、国境の近くだから物資の運搬も滞りなかったし」
綺麗な指で折り数えて、ズィーゼは駄々っ子のように理由を連ねた。
流れでこの場所を活動拠点にしたとはいえ、俺達が腰を据えているスダメナの石油採掘場というのは非常に立地に恵まれていた。サヘランの首都から離れていたので、サヘランの連中は広々とした施設を持て余し気味だった。それ故、警備は手薄だったのだ。そこにつけこんだ俺達が誰一人傷つける事なく奪い取る形になったのだが、それがどうにも問題になっていた。
元々はS・Sという、必要最低限の衣食住が約束された大きめのプレハブ十数棟を、必要に応じて移動しながら地雷原を進むというのが、上の連中から命じられた作戦概要だった。今思えば、自警団に襲撃されるのを考慮されていない無謀な案だ。つまり、始めは拠点という存在を作る予定はなかったのだ。
それがスダメナの石油採掘場と併せてS・Sを設置してみたらどうだ。開放感のある土地にズィーゼが言い並べたメリットだらけで、今現在も離れる理由が思い当たらない。安全性と利便性を兼ね備えた拠点に俺達が腰を据えるのは、もはや必然だった。
「そうしますと、サヘランの都市部へと進めば進むほど、我々は難航を余儀なくされるという事ですか……」
ルゥが考え込む仕草をしてそう呟いた。
居心地の良い拠点が出来上がってしまった事で、俺達は遠くの地雷原まで遠征をしなければならなくなった。もちろん、ある程度の距離があったら少数精鋭でその地に留まり活動する、という案が挙がらなかったわけじゃない。しかし、武器をほとんど持たない俺達が自警団に襲撃される危険性、そして身体に影響を及ぼすストレスを訴えてその案は取り下げられた。上層部に掛け合ってくれたオペレーターには頭が上がらない(特にルゥとズィーゼがいてくれて本当に助かった)。
だが、血を流させない策を取ったおかげで、自分たちの首を絞めているのは正直なところ否めなかった。副次的な問題とはいえ、それを解決するべく話し合いの場が設けられたという事だ。
皆が切り出しにくそうな雰囲気の中、あまり空気の読めないテッサがいとも容易く意見を述べる。
「あのさ、今撤去中のとこの近くにS・Sを移動する事はできないの? 更地はいくらでもあるんだし、地雷原をバリケードとして活用できると思うんだけど。私たちは一点突破で進んできたんだからさ」
「馬鹿言え」新人を咎めたのは俺だった。「そこを塞がれたら俺達は鳥籠状態じゃねぇか。それに、お前のマインローラーの整備はどうする? 今は広々とした倉庫で整備しているようだが、ここを離れたら使えなくなるんだぜ?」
「そう言うけどね、グロリアちゃんで行き来するのも燃料的に限界が近いの。ここに留まるのも一つの案だとは思うけど、もしそうなったらグロリアちゃんの運用は不可能なのよ? それじゃあ議題に挙がった問題を解決できてないじゃない」
「テッサ殿のマインローラーは、今後必ず必要不可欠の代物……。となると、拠点の移動も考慮せねばなりませんが」
「さて、どうするかね……」
サコンが指で机をトントンしながら言う。喫煙所以外の場所での喫煙は禁じられている。だがそれ以外にも、焦りや苛立ちの原因ははっきりしていた。最適な結論は全くもって出そうな雰囲気じゃなかった。行き詰まった嘆息が部屋中を彷徨う。
「ルゥ」
「はい?」
たまらず俺は沈黙を破った。それは俺らしからぬ行動だった。
「コーヒーを頼む。できれば全員分」
「……あら、いつになく真剣ですわね」
「長くなりそうだからな」
目を見張るルゥに対してわずかに微笑みを返す。なぜだか今日に限っては、真面目に話に参加する俺がいた。皆が真剣に意見を言い合うこの空気に、どうやら気を当てられたみたいだ。的確な意見を述べられなくとも、こういう気の回し方もあるってもんだろう。「私、コーヒー苦手なんだけど」と愚痴るテッサの声は聞かなかった事にする。
張りつめた空気が少しだけ緩んだ、そんな時だった。
『俺も飲みたかったよ。ルゥの淹れたコーヒー』
「ウルフ?」
スピーカーから聞こえる声に、皆が顔を上げた。落ち着いた声音で、やや冗談めいた事を言うのはウルフ。今、彼は偵察任務の真っ最中のはずだ。俺達が片づけている地雷原の向こう側、さらに北へ進んだポイントで。
そのウルフが、らしくない妙な冒頭で話を切り出す。
『会議のところすまないが、お前たちに確認してもらいたいものがある。俺の目の前にある光景が、幻や蜃気楼でないか確かめてほしいんだ』
「は? 何だそりゃ。働き過ぎてどうかしちまったか?」
『今そっちに映像を送る。ロウファ、用意を頼む』
「わ、わかったわ」
ロウファが液晶キーボードを操作すると、室内の照明が暗くなり、地図に替わってある映像がスクリーンに映し出された。ウルフが耳に装着した、メモリーズ・アクセからの現地映像。
白色寄りの希薄な水色の空に、岩石や礫の多いサヘランの荒野が視える。土地の起伏もさほどあらず、陽炎が地面近くの空間を歪に漂っている。照りつけられた陽光が画面越しからでも身を焦がしてくるようで、自然と眉間に皺を寄せてしまう。一見何もないはずなのに、そこを人が歩けば爆発が起こるそんな場所。 ――見慣れたというより、それは見飽きた光景だった。
しかし。
高い岩場から見下ろされた地雷原の向こうに、俺は違和感を覚えた。よく視てみると、地平線が大きく歪んでいたのだ。陽炎による歪みよりも大きい、まるで心電図のような、あの激しく上下に揺れた歪み。薄水色と黄砂の色で作られるはずの地平線が、灰色の異物のせいで隆起してしまっている。
「これは……町!?」
ケイスケの低い声と共に周囲にどよめきが起こる。
遠くに望む灰色の粒は確かに人工的な建築物で、その連なりは人の住む町である事を意味している。建物の高さはどれも低く、一昔も二昔も前の世代のものに見えるが、その様相はかろうじて街の体を成しているという感じだった。
映像がズームして、より鮮明に街らしきものが映し出される。どの建物も砂塵にまみれ、壊れた窓ガラスは両手で数えきれないほどにある。人間らしき姿はどこにも映っていなかった。ゴーストタウン……苦い思い出が俺の脳裏を過る。
「ありえねぇ。サヘランの都市部はまだずっと先のほうだろ」
俺は否定の言葉から入り、自らの目を疑った。だが、疑いようもなくここにいる誰もが同じ光景を目の当たりにしている。ルゥとズィーゼの言葉がそれを物語っていた。
「この規模の集落なら、衛星写真で簡単に確認できるはずですが……」
「じ、じゃあこの町はいったい何なのよ? 何もないとこにひょっこり現れたっていうの?」
穏やかでない様子は二人の反応を見ても明らかだった。ロウファは慌ただしく両手でキーボードを叩き、浮遊したいくつかのウインドウに目を配らせる。仲間達の視線が彼女に集中するなか、ロウファは一呼吸置いて口を開いた。
「ウルフの現在位置から情報を検索していますが、やはりそこは何の変哲もない地雷原です。そこに町や集落があるといった形跡は存在しません」
「だけど、あるじゃない」
ロウファとズィーゼ、どちらも間違った事は言っていない。あるはずのない町が、地雷原の中に突如出現した。俺達の目に映る光景が幻の類でなければ、あれは確かに街だった。
だけど、なぜ……?
不思議がってその映像を見やる仲間達の中でただ唯一、傍にいたサコンがハンチング帽を深く被り直して吐き捨てるようにこう言った。
「チッ、うすうす感づいてはいたが、まさか本当にあろうとはな」
「サコン?」
「ありゃあおそらく、抹消された町に違いねぇ」
耳触りの悪い言葉を、俺は噛み締めるように復唱する。
「抹消された町……」
そう呼ばれた地平線に浮かぶ灰色の異物は、地面から立ちこめる陽炎の悪戯なんかじゃなく、不気味に歪みながらそこに留まり続けていた。