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地雷掃除人  作者: 東京輔
第2話 Vertrauen ~信頼~
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2-4 中年オヤジ

 右の腕に妙な張りを感じた。普段使わない筋肉を無理矢理使えば、そりゃあそうなるわな。力任せに引き寄せた若造の面を引っぱたいてやろうとも思ったが、一丁前に身長(タッパ)だけはありやがって気に食わねぇ。

 それに、人を殴るのは俺の性分に合わない。暴力で物事を治めるのは猿以下ってぇのが俺の考えだ。だがまぁ、頭に血が昇るのだけは抑えきれんかった。年を取るとこれだからいけねぇ。

 いっその事、あいつが置いていったトーストでも食って頭を冷やそうと思ったが、腹に乗ったたっぷりの脂肪をポケットの内側でつまみ、やむなく断念した。


 代わりに煙草に火を点け、一吸いで半分が灰になるまで吸ってやった。大量の副流煙を天井に向けて吹き上げ、苦美味い余韻に浸る。そしてようやく、気分が落ち着いてくる。

 とそこに、仕事中にしか使わねぇと思っていた俺の液晶無線機が鳴った。それをテーブルに置き、空中に浮かぶモニターに映る人間を待った。


「サコン。少し、よろしいでしょうか」


 乳。


 最初に目がいったのは乳だった。慌ててモニターの全体を見ると、そこには何とまぁ、完璧に俺好みのボインな体型をした――もとい、あの野郎のパートナーのルゥの姿があった。

 思わず頬が上がっていくのを隠すために、まだ少し吸える余裕がある煙草を、もったいねぇと思いながら灰皿に押し付けた。


「おやおや、これは珍しいお客さんだ。こんな中年に何の御用で?」

「先程のお礼を言っておきたくて……。レンへの心遣い、誠にありがとうございます」


 こんなべっぴんさんと話すのは久方ぶりなもんだから、俺は上ずる声を必死に抑えて、それでもってできるだけ渋く、ハードボイルドに言い放った。こんな事なら、口周りの髭を整えておくんだったな……。


「心遣い? ルゥさん、ありゃあ単なる年寄りの僻みさ。礼を言われる筋合いはないよ」

「ですが、あのまま彼を放っておくわけにはいかなかったので…」

「それは仕事のパートナーとして、かい? それとも一人の人間として?」


 俺は少し低いトーンで尋ねた。どうやら、お節介やきの人間は俺一人ではないらしい。


「両方ですわ。もっとも、今、彼を失うのは人類にとっての大きな損失。ですから国連が黙っているわけがないでしょうけれど……」

「悔しいが、反論はできませんな。あいつぁ器が小さくて世間知らずで、そんでもって年上に敬意を持たないふてえ野郎だが、地雷撤去の速さだけは尋常じゃねぇ。俺たちが組織として成り立っているのも、あいつの活躍があってこそだ」

「あら、随分とレンの事を持ち上げますのね?」

「へ、あいつを見てると昔の自分を思い出して嫌になるんです。そのせいかね、てめぇにできやしない事にてめぇの価値観を押し付けて、それを納得させようとしちまっとるんですわ。この老いぼれは」

「サコン……」


 今日はえらく口が回りやがる。俺とあいつが似てるなんざ、口が裂けても言わねぇと思っていたが、その誓いを見事に打ち砕いちまった。

 器が小せぇのも世間知らずなのも、俺自身がそうだったからわかる。当時の俺は、何にもわかっちゃいなかった。周りの事など目もくれず、ただただ仕事に没頭する自分に酔っちまっていた。


 その結果がこのザマだ。女房には子供を連れて逃げられ、酒と煙草で体を壊し、年を取るにつれ段々と厚みを増していく腹の肉……。俺の手に残ったのは、とうとう商売道具のくそ重たい金属の塊だけになっていた。語るに値しない自業自得の話だ。

 すっかり顔の皺も増えて、頭のてっぺんも気にするようになった俺ができる事といったら、未来ある若い世代の人間に引導を渡してやる事くらいだ。たとえ俺がどんな偏屈ジジイに見えようとも、俺が口うるさく言ってやらねぇと何にもできねぇ連中ばかりだ。過去の清算は過去の人間にやらせておけばいいものを、若造が出張りやがって何にもわかっちゃいねぇ。


 だが、一番我慢ならねぇのは、あいつは子供を――。


 ――結果として子供を助けなかった事だ。


「わかっとるんです。あの状況下で一人の命を救える人間なんて、世界中探してもあいつくらいなもんだって事は。……ですがね、それでもこの老いぼれは、捻くれた文句をくれてやるぐらいしか能がないんですわ」


 俺の口は正論を喋りやがった。だが心の中では、やり場のない気持ちが煮えくり返っていた。たとえ助けられなくても、自らの命を犠牲にしてでも、子供と自分の命が潰えてしまっても、助けに行こうとする覚悟。それが欲しかった。

 ……自分が馬鹿げた事を言っているのはわかっている。だが、決して解けない鎖のようなジレンマに対して、俺の考えは雁字搦めになっていたのだ。


「貴方は立派な掃除人ですわ。レンも、貴方の事は高く評価しておりますのよ?」

「……聞かなかった事にするよ。人の評判は信じない主義でね」

「あら、そういう頑固なところは似ておりますのね」


 俺は大げさに笑ってみせた。彼女がどこまで本気で言っているのかはわかりかねるが、暗い時に暗い顔をしていても何も変わらねぇ。泣いても明日はやってくる。それならいっそ、明るく振舞うのも悪くねぇっつーのが、いつも大事なとこでポカをしてきた俺の人生論だ。

 俺はまた煙草に火を点け、ルゥとの会話を楽しむ事にした。


「ルゥさん知ってるかい? 俺も昔はあいつみてぇにスマートで、若い娘にはそりゃあモテたもんさ」

「それは初耳ですわ。ですが、何の証拠もなしに私がその話を信じると思いまして?」

「あいにくと、写真は持ち歩かない主義でね。機会があればお見せしますぜ」

「そうですわね。一ミリも期待しないで待っておりますわ」

「……相変わらず、食えないお方だ」


 きつい返答をくらったと思いきや、通信が途切れ、空中のモニターが閉じていった。どうやら彼女は、自分のパートナーの事にしか興味がないようだ。面白くもねぇ。おどけたところで気分は晴れなかったが、むしゃくしゃした気持ちはどっかへ行っちまった。

 そいつは重畳。朝飯代わりの煙草を吸い終わったら、俺が最も輝ける時間、仕事の時間が今日もやってくる。ぼちぼち気合を入れ直さねぇとな。


 ……その時までは自堕落なジジイでいさせてくれや。煙草はどんな時でもうめぇんだ。

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