エスプレッソ キス ガールフレンド
【日曜出勤だから定時に終わると思います。】
お帰りアマテラス。
今日の僕の天気は曇りだよ。あなたがそっけないからさ。
……定時って何時のことだろう。オトナ用語で五時くらい?
そんな質問したら、あなたは余計に僕を子供扱いするだろうか。
……聞かないでおこう。
サプライズだ、サプライズ。
【それでは定時にあなたのハートをいただきに参ります。by・ルパン四世】
−送信。
はん。
どうせガキだよ。バカだよ。くだらないよ。
でも、マジであなたのハートをいただきたいのさ。
朝の十時、僕はベッドの上で上体を起こしてさっそく携帯をいじっていた。
【新着メールあり】
その表示に僕はマッハで覚醒したのに、内容ときたら事務的で本当に僕は彼女に愛されているのかと疑ってしまう。
食べちゃいたいくらい好きってやっぱりカラダ目当て?僕だってそうだけど、深く突き上げていたら、ココロにまで響いてくれるかも知れないと期待してるんだ。
小夜子さんのような大人の女性と付き合えるなんて奇跡みたいなものだから、愛想尽かされないように、頑張ってる。
でも寝てるだけじゃ、飽きられそうでイヤだ。
僕は毎日でも彼女を抱いていたいけれど、たまには街をぶらついて、公園のベンチでテイクアウトしたコーヒーかなにかでお茶して、手作りのお弁当でランチとかアウトドアなデートもしたい。
小夜子さんって生活感ないもんなぁ。
まぁ、それはさておき、ランチのあとはスーパーマーケットで買い物だろ。
一緒にカレーとか作りたいな。
カレー粉の他にガラム・マサラ、ターメリック、レッド・ペッパー割り増しで。皮剥きなら、僕だって手伝えるし。
小夜子さんが作ってくれるなら人参だってちゃんと食べる。そんなのじゃダメなんだろうか。
逢いたい。今すぐ
僕のカラダは、ココロは、すでに禁断症状を訴えはじめ、どうしようもない焦燥感ばかりが胸に焼き付く。
掻き毟るばかりが、僕の表現方法なのか?
どうしようもない苛立ちばかりが胸に募る。
こんなの知らない。
こんな思い、感じたことない。
まだ、目覚めたばかりなのに、寝起きでこんなのってないよ。
神様、これが恋なら、なんの罰ですか?
僕は苦しくて、胸が壊れそうです。
今まで蔑ろにしてきた、感情よりの罰ですか?
こんな感情ならば欠落したままでよかった。
僕が、再び枕に崩れ落ちたときメールがきた。
−真夜からだった。
あまりにも期待外れで、僕は携帯を布団に投げつけて完全に覚醒した。
運命の女【ウンメイノヒト】は今頃、電車に揺られているか会社という鳥かごに捕われてしまっているのだ。
ただでさえメールの頻度がワーストランクなのに、そうそう送られてくるはずがない。
【早く来てよ。あたしもうついた。退屈。世界が無駄な晴天だから。雨でも降っていれば皆、水の心なのに。】
【知るか!エスプレッソでも飲んで目ぇ覚ませ。オマエのポエムに付き合ってられっかよ】
−送信。
全然意味わかんねえ。
水の心ってなんだ。
僕がベッドとおサラバしようとしたときにまた受信した。
【クソッタレ】
僕は罪のない携帯を再び投げつけ、部屋をでた。
家族はすでにいない。
僕は身仕度を整えて、スーツに着替えた。
姿見のなかの僕は、やはりフレッシュマンによくあることで、なんとなく、ちぐはぐな感じだ。
スーツに腰パンはダサいので、きちんとベルトをしめた。親父のだけどエルメス。ネクタイはアルマーニ。艶男を目指すなんておとといきやがれクソ中年。
僕にくれ。
どうせならと、トラサルディの革靴まで拝借して、僕は仕上げにブルーをふった。
嫌味なくらいブランド志向。ブランドのチャンポン。逆に吐き気がするほど、ダサいが小物にちりばめたということで許してもらおう。
まぁ、しょせん高校生だから。
しかし、姿見のなかの僕は高校生には見えない……と思う。
ウーノのファイバーインムースで、猫っ毛をパーマ風に整えた。
よっしゃ!初ご出勤!!
僕は意気揚揚と家をでた。
今から逢うのが小夜子さんじゃないってとこがイマイチ腑に落ちないが、仕方ない。
定時まで真夜の愚痴に付き合ってやるしかないなぁ。僕はさっそく欠伸をした。
駅は家から徒歩五分。電車にゆられて十分。
十一時半には待ち合わせのスタバについた。
黒いベリーショートに肩のでた細いボーダーのカットソー、デニムの短いスカート。
それが真夜だって事は一発でわかった。
退屈そうに頬杖をついて、コーヒーを持て余し、未成年のくせに、指にはさんだ細いタバコがこなれている。
「鷹臣!?なにその格好!」
真夜は僕に気付くと素っ頓狂な声をだしてタバコを落とした。
「似合う?夕方から小夜子さんを迎えに行くんだ」
「いいんじゃない?最近よく見るよ無駄に洒落たリーマン。麻のスーツにハットなら、ミシェルみたいだったのにね」
「程遠いな。ミシェルならもっと無造作でスマートに決めてるよ。真夜もサブリナパンツなら、パトリシアだったかもね」
「ふーん、お世辞でも嬉しいわ。記念にキャラメルマキアートご馳走してあげる」
「なんの記念?」
僕は脈絡のない真夜の好意に苦笑した。
「まがい物にもなれなかった記念よ」
「なるほどね」
椅子に腰掛けながら、僕は頷く。
彼女が教えてくれたフランス映画の渋い物憂げさには程遠い街並み。
背中のほくろを見送りながら、僕のパトリシアは小夜子さんだけどね、と舌を出した。
戻ってきた彼女がくれたのは、生クリームとキャラメルに潜んだ苦いコーヒー。真夜はトーコさんとの愚痴とのろけを僕に話して聞かせる。
片手間に口に含んだ液体の甘さに続く苦味に、突然、小夜子さんのキスが欲しくなって、思わず、僕は一人で狼狽えた。
「どうしたの?」
真夜が眉間にかるく皺を寄せて僕を覗き込む。
キスに近い距離に僕は少し顔を下に向けた。
「どうしようもないんだ。気がつけば、小夜子さんのことばかり考えてる。でも、どうしようもないからイライラしてくる」
「バカじゃないの。それが恋してるって事でしょ?あーもー、当たり前なこと言わせないでよ。くだらない」
くだらないか?
僕にとって小夜子さんから発展していく焦燥感と苛立ちは大問題なのに。
「そんなときは爪を噛む真似でもしてればいいわ」
「真似?」
僕が顔を上げると、真夜は首を横に傾けて悪戯っぽい笑顔を見せた。
「本当に噛んでるとなくなる」
軽く唇が触れた。
「なにすんだよ」
僕は手の甲で自分の唇をこすった。
「あ、傷つくなぁ、それ。つい二ヵ月くらい前までもっとスゴいことしてたじゃない?あたしたち」
「忘れた。こんなことするなら、もう逢わない」
「鷹臣、変わった」
「恋を知ったからね。前みたいに無駄なことしてる余裕ないんだ」
僕は財布から千円札を二枚出して席を立った。
「頭冷えたら、連絡して。二度としないって誓ってくれたら、また逢おう」
そう言った僕を真夜はつまらなさそうに頬杖をついて見上げている。
「もう二度と逢えないかもね」
「冗談だろ?友達じゃないか」
「冗談よ。ばいばい」
真夜はにっこり笑って手を振った。
僕はわざとそれを無視して走って小夜子さんの会社に向かった。
まだ、十二時を少し過ぎたところだった。
広場のような公園の時計をみて、僕は溜息を吐いた。水のみ場で唇を何度もこする。
ハンカチを取り出そうとポケットを探り、ようやく気づいた。
携帯を忘れてきた。
しかも、さっき真夜に渡したのが今の僕の全財産だった。