星が落ちた夜、僕は異世界の祭神になった
——処刑まで、あと七日。
目を開けた瞬間、俺は自分が縛られていることに気づいた。
手首に食い込む縄。背中を突き刺す冷たい石床。そして——俺を見下ろす無数の視線。
「……は?」
間抜けな声が出た。当然だろ。さっきまで、俺は祖母の村の古びた祠にいたはずだ。星降り祭りとかいう田舎の行事を見物して、酒を飲みすぎて——それで?
「目覚めたか、偽りの神よ」
低く、粘りつくような声が降ってきた。
視線を向ける。純白の祭司服を纏った老人が、銀灰色の髪を靡かせて佇んでいた。左目を覆う眼帯。深い皺に刻まれた冷笑。その手には、星のように淡く光る金属の杖。
「な……何だよ、これ。俺、さっきまで祖母の村にいて——酒飲んで——」
「これはこれは。演技にしては随分と下手でございますな」
老人——ヴァルデス・ゼノアと名乗った男は、眼帯のない方の目を細めた。慇懃無礼な口調の端々に、隠しきれない侮蔑が滲んでいる。
「演技じゃねえよ……っ、何だよこの縄……!」
「星降り祭りの生贄として召喚されておきながら、何も知らぬふりとは。我ら神官を愚弄するおつもりか」
イケニエ。
その言葉が、脳に突き刺さった。
「イケニエ……?」
「二百年前の星降りの夜、我らが世界に最初の祭神が降り立った。その者は七日後に天へ還り、代わりに我らへ星の祝福を遺した」
ヴァルデスが一歩、近づく。杖が床を打つたびに、空気が震える。いや——震えているのは、俺の方だ。
「待て、待ってくれ。俺はただの——」
「黙れ」
ゴォン。
杖が石床を叩いた瞬間、体の奥底で何かが共鳴した。胸ポケットの中で、祖母からもらった懐中時計が熱を持っている。
「——ッ!」
「以来、二百年。我らは星降りの夜に祭神を召喚し、七日目の儀式をもってその魂を天に還してきた。貴様で——」
老人の口元が、残酷に歪んだ。
「——ちょうど二十人目でございますな」
二十人。二百年間で、二十人。
つまり——十年に一度、この世界では誰かが殺されてきた。
「殺される、のか。俺が」
「正確には《還される》と言うのでございますが……結果は同じでございますな。七日後の星降りの夜、貴様の心臓は祭壇に捧げられる」
視界が歪む。息が、うまくできない。
「嘘だろ……こんなの、夢だ……っ」
嘘だ。夢だ。目が覚めれば、俺は祖母の家の布団の中にいて——
『——遥』
声が、聞こえた。
誰の声でもない。俺の頭の中に、直接響いてくる。幼い声。少年とも少女ともつかない、不思議な声。
「……誰だ」
『瞬け。七度、瞬くのだ』
「何を言って——」
『時間がない。奴らに気づかれる前に——瞬け、星の子よ』
意味がわからない。わからないが——
俺の体は、勝手に動いた。
一度。二度。三度。
瞬きのたびに、視界の端で何かが光る。
四度。五度。光が強くなる。六度——
「何だ、その目は」
ヴァルデスの声が、初めて揺れた。
七度目の瞬き。
世界が、白く染まった。
「——ッ!」
「待て……! 逃がすな、捕らえよ!」
ヴァルデスの怒号が遠のく。俺の体は光に包まれ、気づけば——走っていた。
---
石畳の路地。深夜の街。どこをどう逃げてきたのか、記憶がない。
ただ、手首の縄は解けていて、懐中時計だけが胸ポケットに収まっていた。
「何だよ……何なんだよ、これ……」
壁に背を預け、荒い息を吐く。
見上げた空に、星があった。
信じられないほど近い。手を伸ばせば届きそうなほど、満天の星が地上すれすれを流れている。
——ここは、どこだ。
異世界。その言葉が、否応なしに浮かぶ。
「見つけました」
声。
振り返る。月明かりの下、青紫色の髪をした少女が立っていた。白い巫女装束。首元で揺れる、星を模したペンダント。
「——ッ! また追手か……!」
「逃げないでください、星の子よ」
少女は——リーシャは、真っ直ぐに俺を見つめた。その藍色の瞳に、涙が光っている。
「星の子……? お前、誰だ」
「あなたを、お守りします。だから——」
「……泣いてんのか」
「——どうか、私を信じてくださいませ」
小さな手が、俺に向かって差し出された。
「信じろって……初対面だろ。なんで俺を助ける」
「あなたは本物なのです。二百年間、私の一族が待ち続けた——真の祭神」
「……はあ?」
「説明は後で致します。今は——逃げてください。私について来て」
選択肢なんてなかった。
背後から、金属音が近づいてくる。追手だ。
「……チッ」
俺は舌打ちして、差し出された手を掴んだ。
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逃亡生活二日目の夜。
俺は小さな鍛冶場の中で、ようやく状況を整理していた。
「——で、お前は俺の味方だと」
「はい」
「殺されそうな俺を、命がけで守ると」
「はい」
「初対面の、どこの馬の骨とも知れない男を」
「馬の、骨……?」リーシャは小首を傾げた。「申し訳ありません、この世界に馬という生き物はおりませんが……」
「そこじゃねえよ」
思わずツッコんでしまった。いや、待て。ツッコんでる場合か。
リーシャが連れてきたこの鍛冶場は、彼女の協力者の家らしい。『ここなら安全です』と言われて入ったものの、正直まだ信用しきれていない。
「本来の星降り祭りは——命を奪う儀式ではないのです」
「……何?」
リーシャの声が、静かに響いた。
「我が一族に伝わる口伝があります。『星の子は七度瞬き、祝福を授ける』。それが、本来の儀式。祭神の命を捧げるのではなく、祭神から祝福を受け取る——それが、二百年前に行われていた真実の星降り祭りなのです」
七度瞬く。
さっき、俺が無意識にやったことだ。
「でも、ヴァルデスとかいう爺さんは——」
「神官庁が歴史を歪めたのです」
リーシャの拳が、小さく震えていた。
「二百年かけて、少しずつ。本来の儀式を《生贄の儀式》にすり替え、それを正当化するために——私の両親も、殺されました」
沈黙が落ちる。
何と言えばいい? 俺には、そんな重い話を受け止める資格なんてない。大学受験に失敗しただけで、人生諦めてたような奴に——
「よう、客人。目ぇ覚めたか」
重い扉が開いて、巨漢が入ってきた。
身長190センチ超え。丸太みたいな腕。赤茶色の短髪に無精髭。両腕には火傷と刀傷がびっしり。
控えめに言って、めちゃくちゃ怖い。
「ガルドさん!」リーシャが駆け寄る。「この方が——」
「わかってるぜ、リーシャの嬢ちゃん」
男——ガルドは、俺の前にドカリと腰を下ろした。強面の顔が、不意に人懐こく緩む。
「なんだ、随分とヒョロっちい祭神様だな。ちゃんと飯食ってんのか?」
「……食ってないけど。つーか、何なんだよアンタ」
「ガルド・ベイロン。この村の鍛冶屋だ。まあ、元は王都の近衛騎士だったんだがな」
元騎士。その言葉で、傷だらけの腕に合点がいく。
「で、その元騎士が、なんで俺を匿ってんの」
「理由がいるか?」
ガルドは肩を竦めた。
「罪もねえ奴が殺されそうになってる。助けない理由がねえだろ」
……単純だ。単純すぎる。
でも、その単純さが——今の俺には、やけに眩しく見えた。
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逃亡生活三日目。
俺たちは村の外れの山中を転々としていた。神殿騎士の追跡を躱しながら、星の力について学ぶ日々。
成果は——正直、微妙だった。
「なあオルフェ」
俺は虚空に呼びかけた。
「お前、もうちょっと具体的に教えてくれないわけ?」
『何のことだ?』
銀白色の髪が、木漏れ日の中で揺れる。オルフェ。二百年前の最初の祭神——の残留思念らしい。俺にしか見えない、性別不詳の幽霊みたいな存在。
「星の力の使い方だよ。《七度の瞬き》はわかった。でも、それ以外は?」
『焦るでない。力は、必要な時に目覚めるものなのだ』
「いや、今が必要な時なんだって。あと五日で殺されるんだよ俺」
『ふむ』
幼い顔が、少しだけ曇った。
『……二百年前、我も同じだったのだ。何もわからぬまま、この世界に落とされた』
「それで? どうやって乗り越えたんだ」
『乗り越えてなど、おらぬ』
オルフェの声が、初めて揺れた。
『我は——逃げたのだ。この世界に祝福を遺して、そのまま消えた。だから今も、こうして彷徨っている』
逃げた、か。
その選択肢は、俺にもあるのかもしれない。七度瞬けば、元の世界に帰れる可能性がある——オルフェは、そう言っていた。
「リーシャ」
「はい?」
「お前は——俺が帰っても、戦い続けるのか。神官庁と」
「……はい」
躊躇いなく、彼女は頷いた。
「両親の仇です。そして、何より——これ以上、偽りの儀式で命を奪わせたくない」
十七歳。俺より五つも年下の少女が、命を賭けると言っている。
情けない。本当に、情けない——
『来るぞ』
オルフェの声。
同時に、リーシャが弾かれたように立ち上がった。首元のペンダントが、淡く光っている。
「敵です。神殿騎士が——十人以上」
「チッ」ガルドが舌打ちして、大槌を担ぎ上げた。「見つかったか」
木々の間から、銀色の鎧が見えた。完全に包囲されている。
「星の子よッ!」
凛とした声が響いた。
包囲の中心から、一人の女騎士が進み出る。金色の髪を高く結い上げ、精悍な顔立ちには傷一つない。
「大人しく投降せよ!」
「あれは——」リーシャの顔色が変わった。「セレナ・ヴァルデス。最高神官の孫娘にして、神殿騎士団の副団長です」
最悪だ。よりによって、あの爺さんの血縁者。
俺は——震えていた。
怖い。死にたくない。逃げたい。
でも、目の前にはリーシャとガルドがいる。俺を守ろうとしてくれている二人が。
「——逃げるのは、もう嫌だ」
俺は一歩、前に出た。
「遥!?」
リーシャの制止を振り切る。
「なあ、セレナとか言ったか。お前の爺さんは、二百年間ずっと嘘をついてきた。知ってるか?」
「……何を」
「星降り祭りの真実だよ。本来の儀式は、生贄なんかじゃない」
俺の目が、熱を持つのを感じた。
「俺は——二百年前、最初の祭神の血を引く者だ」
セレナの目が見開かれた。
「その目……本物、なのか……?」
「だったら、どうする。俺を殺すか。それとも——真実を、聞くか」
風が、吹き抜けた。
「……剣を収めよ」
セレナの声は、震えていた。
「この者を——連行する。殺すな」
処刑まで、あと五日。
状況は、少しだけ動き始めていた。
---
五日目の夜。神殿の奥深く。
俺は最高神官と対峙していた。
「——よもや、セレナが貴様を連れてくるとは」
ヴァルデスの声には、隠しきれない動揺があった。
「私の可愛い孫娘が、偽りの神に惑わされるとは」
「惑わされてなどおりません、お祖父様」
セレナは、俺の隣で背筋を伸ばしていた。
「星の子の話を聞きました。彼の目に宿る光は本物です」
「セレナ。お前まで——」
「お祖父様。私は、真実を知っています」
空気が、凍りついた。
「四十年前のことです。お祖父様の弟君——私の大叔父に当たる方が、生贄として捧げられた」
「黙れ」
「その時からです。お祖父様が、儀式の記録を書き換え始めたのは」
「黙れと言っている!」
ヴァルデスの杖が、石床を打った。
しかしセレナは微動だにしない。
「大叔父様は、本来なら死ぬ必要がなかった。あの方は、星の力を受け継いでいた。本物の祭神になれる資格があった。でも——当時の神官たちが、それを恐れた」
沈黙が降りる。
ヴァルデスの肩が、かすかに震えていた。
「……そうだ」
老人の声が、初めて掠れた。
「あの子は——私の弟は、本物だった。だが、神官庁の老人どもが決めたのだ。『星の力を持つ者は危険だ』と」
ヴァルデスは、顔を上げた。その片目に、涙が光っていた。
「私は——止められなかった。あの子が祭壇に上がる時、何もできずに見ていた」
「お祖父様……」
「だから私は決めた。弟の死を、無駄にはしないと。この儀式に意味があったのだと、証明し続けなければ——弟は、永遠に浮かばれない」
狂っている。
俺は、そう思った。でも同時に——どこか、わかる気もした。
大切な人を守れなかった罪悪感。それを正当化するために、自分を騙し続ける。
「爺さん」
俺は、一歩前に出た。
「あんたの弟さんは——祝福を、授けようとしてたんじゃないのか」
「何?」
「殺される直前まで。最後の最後まで、この世界に祝福を遺そうとしてた。違うか」
ヴァルデスの目が、見開かれた。
「俺に——見せてやる。四十年前の真実を」
俺は目を閉じた。
一度。二度。三度。四度。五度。六度。七度。
瞬くたびに、光が溢れた。
俺の目から。懐中時計から。そして——石室全体から。
光の中に、映像が浮かび上がった。
四十年前の祭壇。処刑台に立つ青年。ヴァルデスの弟。
その青年は——笑っていた。泣きながら、でも笑っていた。
そして、最期の瞬間——彼の唇が、動いた。
『兄さん。ありがとう』
「ア……ァ……」
ヴァルデスが、膝から崩れ落ちた。
「アルト……お前は……私を……」
光が収まる。石室に、老人の嗚咽だけが響いていた。
「……二日後の、星降り祭り」
俺は、震える声で言った。
「本来の儀式を——やらせてくれ」
ヴァルデスは、答えなかった。
ただ——小さく、頷いた。
---
七日目の夜。星降り祭りが、始まった。
祭壇の上。俺は、満天の星を見上げていた。
あの日と同じ場所。処刑台になるはずだった場所。でも今夜は違う。俺を見上げる無数の視線に、殺意はない。
期待。不安。そして——希望。
「遥」
リーシャの声。祭壇の下で、彼女は俺を見上げていた。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫、じゃないかもな」
正直に答えた。
「怖いよ。めちゃくちゃ怖い。俺なんかに、できるわけないって——まだ、思ってる」
「遥……」
「でも」
俺は、胸ポケットに手を当てた。祖母の懐中時計。二百年の時を超えて、二つの世界を繋いできた証。
「やらなきゃいけないことがある。守りたいものがある。だったら——やるしかないだろ」
ガルドが、低く笑った。
「言うようになったじゃねえか、ヒョロガリ」
「……誰がヒョロガリだよ」
「お前だよ。でもまあ——マシになったぜ。最初に会った時より、ずっとな」
『遥』
オルフェが、俺の隣に現れる。
『時間だ』
「ああ」
俺は、空を見上げた。
流れる星々。手を伸ばせば届きそうな、無数の光。
『遥。最後に一つ、聞いておく。お前は——この世界に残るか。それとも、元の世界に帰るか』
選択。七日間、ずっと考えてきたこと。
「……俺は」
答えは、もう決まっていた。
「両方を、選ぶ」
『……何だと?』
「星の子は——二つの世界を繋ぐ存在なんだろ? だったら、どっちかを捨てる必要なんてない」
俺は、懐中時計を握りしめた。
「俺は、架け橋になる。この世界と、元の世界の。祖母が繋いできたものを——俺が、引き継ぐ」
オルフェが、目を見開いた。そして——微笑んだ。二百年の孤独を背負った、寂しげな微笑み。
『……そうか。お前なら——できるかもしれないな』
「かもしれない、じゃない。やるんだよ。今、ここで」
一度目の瞬き。視界の端で、星が揺れる。
二度目。光が、体の奥底から溢れ出す。
三度目。懐中時計が、熱を持つ。
四度目。空から、無数の光が降り注ぎ始める。
五度目。村人たちの歓声が聞こえる。
六度目。リーシャの涙が、星明かりに輝く。
七度目——
世界が、光に包まれた。
---
光の柱が、祭壇から天に向かって伸びていた。
その中で、俺は浮かんでいた。体中から、星のような光が溢れ出している。
「これが、星降りの祝福……」
セレナの声が、震えていた。
ヴァルデスが、膝をついていた。
「アルト……お前が夢見た光景が……今、ここに……」
俺には、見えていた。光の中で、無数の魂が微笑んでいる。二百年間、生贄として捧げられてきた者たち。彼らの魂が——今、解放されていく。
『遥』
オルフェの声。彼の姿が、光の中で薄れていく。
『ありがとう。二百年、待った甲斐があった』
「オルフェ——」
『我は——ようやく、還れる。でも、お前は違う。お前は、両方の世界に存在し続ける。それが——星の子の、新たな形だ』
幼い顔が、最後に柔らかく微笑んだ。
『さらばだ、星野遥。——いや』
『また、会おう。星降りの夜に』
光が弾けた。
俺は、祭壇の上に膝をついていた。
空には——今まで見たことのないほど美しい、星の奔流が流れていた。
「遥!」
リーシャが駆け上がってくる。その腕が、俺の体を支えた。
「よかった……よかった、です……っ」
泣いている。この強い少女が、子供のように泣いている。
「……終わった、のか」
「はい。終わりました。二百年の——偽りが」
俺は、空を見上げた。星が流れている。二つの世界を繋ぐように。
「……また、来るよ」
俺は、リーシャの手を握った。
「星降りの夜に。必ず」
「はい」
彼女は、涙を拭って微笑んだ。
「お待ちしております。——遥」
光が、俺を包む。意識が、遠のいていく。
でも——不思議と、怖くなかった。
俺は、ようやく見つけた。
自分の、存在意義を。
---
——翌年。日本、星野家の祠。
星降り祭りの夜。
古びた祠に、一輪の花が供えられていた。青紫色の、この世界には存在しない花。
祠の前で、青年が空を見上げている。
「——行ってくる、ばあちゃん」
星野遥は、微笑んだ。
胸ポケットの懐中時計が、淡く光る。
彼が七度、瞬いた瞬間——その姿は、星明かりの中に消えた。
祠には、新たな言い伝えが刻まれていた。
『星の子は、還らなかった。彼は今も、星降る夜に二つの空を見守っている』
夜風が吹き抜け、一輪の花が静かに揺れた。
空には、手を伸ばせば届きそうな星が——どこまでも、どこまでも、流れていた。
【完】




