6.呪い
人通りの少ない場所にある屋敷は車の音も人々の営みも聞こえず、いつも静かだ。
黄美子がさっそく今日のおやつであるアップルパイにフォークを突き立ててぐちゃぐちゃにしているのはご愛嬌として、とにもかくにもこの静かなティータイムを晋は密かに気に入っていた。
落ち着いた雰囲気を存分に楽しみ、芽衣子の得意料理の一つであるアップルパイに舌鼓をうっていたそんなひと時において、向かい側に座っていた喪介から突如放たれた言葉に晋はぽかんと口を開け、アップルパイの一欠けらを床に落とした。
「呪い!?」
「そ。お前の絵に変な顔やらが出るのは呪いのせい」
100g2000円の紅茶に舌鼓をうちながら、暢気な口調で言う喪介。
どうして喪介用のティーカップが用意されていて、しかも当然のように科賀屋家のティータイムに毎回参加しているのか。
これまでの経緯を説明する傍ら、その事で晋が内心モヤモヤしていると、芽衣子がパッと晋の方を見た。
「そんなことがあったなんて・・・晋さん、苦労されたんですね」
おおまかに話し終えたところで芽衣子は同情したような声音で晋にそう言った。
晋に貰った桜の絵にそんな逸話があったのかと驚いてはいたようだが、気味悪がられるというような反応が無い事に晋は心からホッとした。
「で、その呪いとやらの原因はなんなんじゃ?」
「え、呪いで本当に決定なんすか!?俺には全然身に覚えも現実味もないんですけど!」
屋敷の主であるジジの言葉に思わず取り乱す晋。
「呪いっていうと、やっぱり誰かが掛けてるっていうのがセオリーだけど、何か変なものを拾ってその所為で呪いに掛かってるって可能性もあるしな。そこんとこどうなの?」
「いや、どうなのって言われても」
「喪介お兄ちゃん。それが本当に呪いっていう根拠は何かあるの?」
芽衣子の言葉に、晋は「そうだそうだ」と喪介を見る。
すると喪介は一度紅茶に口をつけ、もったいぶるような仕草をしてから話し始めた。
「まず晋にかけられてる呪いっていうのは、晋が持つ自信を妨げるものなんだ。例えば芽衣子に描いた桜の絵は、「芽衣子は喜んでくれるだろうか」っていう不安。本当に些細な、誰にでもある不安。他にも「誰かに認められなかったら」「罵倒されたら」「否定されたら」「怖い」「自信が無い」っていう、こういうネガキャン的な心の声が、無念で死んだ霊達の心の声と共鳴して、絵に浮かび上がってきてるんだよ」
一端言葉を切り、喪介は一つ息をついた。
「わざわざそういう霊がいるような場所を選んで描いてるお前も問題だけどな」
「しょ、しょうがないだろ!ここが良いって思っちゃうんだよ!」
喚いてから、晋は神妙な顔つきで口を噤んだ。
次の喪介の言葉を、話しを聞く体制で待つ。
「晋は自分が気付いてないだけで、そういう人には見えない「想い」を読み取るのが人よりも敏感なんだよね、多分。だから呼ばれやすいし、逆に呼び寄せることもある。古く使われた花瓶や人形なんかにそういう霊がのり移るのも、お前が絵に魂を込めるのと同じぐらいにモデルを凝視してるから、そこに「想い」が入る道が出来るんじゃないかと思う。その「想い」にそこら辺にいる霊が共鳴して、絵になって訴えかけてくるんだよ」
「・・・・・・」
俄かには信じがたいと思いながらも、喪介の口調は真剣そのものであるために返す言葉が出なかった。
普段は「真面目」という言葉とは無縁に見える喪介の言葉だけに、晋は真実味があるように聞こえた。
しかしだからと言って、全てが簡単に信じられるわけがない。
そう思い、晋は思い当たる疑念を言ってみた。
「でも何も変なのが無い絵だってあったんだぞ。この前、天象さんに買ってもらった「蛙」の絵とか」
「ほうほう、あれか」
古本屋で見た絵を思い出したようにジジが相槌を打った。
しかし喪介は表情一つ変えることなく、論破する。
「俺はそれは見てないけど、多分それは晋に不安が一切無かったからだろ」
「は?」
「その絵によっぽど自信があって売れないなんて微塵も思わなかったか、切羽詰っててネガティブ思考を打ち出す暇もなかったかのどっちか。あるいは両方」
喪介に指摘され、晋は思わずその時のことを思い出していた。
家もなく、金もなく、全てをかける思いで「蛙」の絵を描き上げ、その出来上がりに興奮したままの勢いで売り込みに行った。
完成度にも満足していた上に、500円にも満たない値段設定で売れないとは確かに思わなかった。
売れた時は確かに感動して泣いたが、売れないとは思っていなくても売れたのが単純に嬉しかったからだ。
それになにより、あの「天象堂」という古本屋の長い時間を吸い込んだような空間に合うように描いた絵だったからだ。
あの店のどこかに飾れば絶対に映えるという自信があったものだから、確かにネガキャンしている暇はなかったかもしれないが。
「そ、そう言われると・・・・・・」
「つまり、お前がネガティブ思考にならなければ、変な絵は描かないってことさ」
はっきりと言われて、晋の頭の中は隅から隅まで「えー」という心境だった。
「じゃぁ、あの桜の絵の変な顔みたいな奴が消えたのは、別にお前が何かしたからとかじゃなくて、単純に・・・・・」
「晋さんが喪介お兄ちゃんに褒められて自信を持ったからなんですね!」
「うおわあああああああ!?」
はっきりと良い笑顔で言い切った芽衣子。
その結論に晋は叫び思考が真っ白になり汗を流しながら頭を抱えた。
「違うー!俺はお前が嫌いだったんだー!」
「あー、嫌な奴に褒められるとなんでかくすぐったくなるよなー」
「棒読みで分かった風に言うなー!」
まるでヤンキーが良い事をすると途端に良い人に見える方式ではないか。
確かに喪介に手放しで褒められた時はちょっぴり感動さえしたが、そんな理由で長年の悩みが解消したなどと、恥ずかしすぎて穴があったら入りたいと全力で思う晋であった。
「安心しろ、晋。俺も別にお前に好かれても嬉しくないから」
「お前に言われたくないわ!こっちの台詞だっつーのっ!」
(俺は芽衣子ちゃんに喜んでもらいたくて描いてたわけで、喪介に褒められたからって何で自信持たなくちゃいけないんだ!?た、確かに褒められるのは大好きだが、それにしたって単純すぎないか俺)
己の単純さに自己嫌悪に陥っている晋を横目に、喪介は締めくくるようにこう言った。
「まぁ、ともかくそれでお前の不安が解消されて、そこで行き場の無くなった霊の無念な想いを、丁度良く俺が成仏させたのが相成って、絵の中の顔が消えたてわけ。つまり俺のおかげだね」
「は!?って、やっぱりお前が何かしたんじゃねぇか!あの変な紙に吸い込んだのか!?」
「さぁ、知らなーい」
とぼける喪介に、晋は更に追及するが横から横に流すだけ。
「芽衣子ちゃん!こんな怪しい奴と知り合いで大丈夫なの?」
「え・・・・・・怪しい奴、ですか?えーと・・・・・・私が幼稚園の時からこの家に出入りしてて、お兄ちゃんみたいというか・・・・・・」
ほんのりと顔を赤らめながら俯き加減に説明し出した芽衣子に、くわっと晋の両目が開く。
「なにそんな小さい頃から手なづけてんだお前はー!黄美ちゃんまで手なづけやがってこのロリコン!」
「違うわアホかー!」
売り言葉に買い言葉で叫ぶ喪介に、負けじと晋も食下がる。
「最初見た時からなんっか胡散臭いって思ってたんだ!そうやって爽やかに見せかけといて女の子を落として落として落としまくってんだろ!」
「んなワケねーだろ、人聞きの悪い事言うな!誰がスケコマシだ!」
「言ってねーよバーカ!」
すっかり騒がしくなったティータイムに、取り乱す事も無くいつも通りのお茶を楽しむ科賀屋家であった。
芽衣子はニコニコしながら紅茶を注ぎ足し、「仲良くなってくれてよかったね、お爺ちゃん」と言っている。
ジジは我関せずといった調子で紅茶に口をつけていた。
「芽衣子。ワシのはもう注がんでいいから、緑茶ぁ持ってこい。濃いやつでな」
「うん。お爺ちゃん」
笑顔で頷く芽衣子に、言い合いをしていた喪介が合間を見計らって片手を上げて言った。
「あ、芽衣子、俺アップルパイもう一切れ」
「図々しいんだよお前はっ!トイレ掃除もやってないくせに!働かざるもの食うべからず!」
「俺だって毎年大掃除の時は借り出されてるわ!いいじゃねーか一応客なんだぞ!?」
「あ、あの、まだたくさんありますから・・・・・・」
おろおろと仲裁に入る芽衣子だったが、2人の言い合いは暫く止みそうになかった。
その様子をジジは溜め息を吐き、黄美子を振り返った。
「お茶はいつ持ってきてくれるんじゃろうのう。のう?黄美子」
「ねー」
口元にアップルパイの生地や林檎をたくさん付けながら、よく意味が分かっていないだろう黄美子ふんにゃりと笑って小首を傾げて見せた。
それにジジも頬の筋肉を崩す。
「おいしーねー」
「そうじゃのう。ほれ、ジジのも食え」
「うん!ジジ大好きー」
「ほうかほうか」
ほっほ、と笑いジジ馬鹿を晒すジジに気付くことも無く、本日のティータイムは賑やかに続きそうだ。