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3.変な奴

ここからは三人称でお送りします。

古き良き日本家屋でのとある日曜日。

すっきりとした晴天に恵まれ気持ちの良い朝だった。

庭には鳥が囀り、美しい椿が寒々しい庭園を華やかに彩っている。

朝食は全員で居間の炬燵に入り、一緒に食べた後は皆思い思いに過ごしていた。

この家の主である科賀屋の爺は1人将棋に余念がないし、この家の中で最年少である黄美子は庭と玄関を行ったり来たりしては遊んでいる。


仕事の都合で一年の殆どを海外で過ごしている両親の変わりに、黄美子の面倒や炊事洗濯をしていたのは芽衣子であった。

高校受験もひと段落し、ここ最近芽衣子はずっと晴れやかな気分で毎日を過ごせる喜びに浸っていた。

炊事洗濯掃除を呼吸をするようにこなし、すっかり日課となっていた持ち回りの便所掃除も今は後継人が全てやってくれているのでその分の空いた時間が出来る。

その時間を芽衣子はいつもお茶を入れる時間に使っていた。

自分の分のお茶と、この家の居候であり便所掃除の後継人である晋の分のお茶である。

棚から茶葉と饅頭を取り出し、それらをとりあえずキッチン台に置く。

芽衣子はお茶を入れて菓子と一緒にお盆に乗せ、これでよし、と表情を綻ばせながら呟いた。





晋がいる畳部屋にはエアコンが無い。

その為冬は死ぬほど寒く、夜もまともに眠れなかったほどだ。

このままでは死んでしまうと生命の危機を感じて炬燵に避難し、そのまま寝オチして風邪をひくという王道パターンを体験した辺りで、晋はこれはどうにかしなければならないと養生中に芽衣子に剥いて貰ったミカンを食べながら考えていた。

なので晋はバイト代が入るとすぐさま画材道具の補充より先に安いヒーターを買った。

2千円もしなかったヒーターはそれでも充分なほど役立っているらしく、青白い顔で毎朝起きてくるようなことはとりあえずなくなった。

そんなわけで、最初は殺風景で何もなかった晋の部屋には晋が今まで描いた絵の他にテーブルとヒーターが仲良く寄り添っており、その近くで晋は相変わらずのんびりと絵を描いている。

畳の上に新聞紙を敷き、その上に低いイーゼルと油絵セットを置いて極力汚さないように配慮していた。


「晋さん。開けますよー」

「どうぞー」


芽衣子が襖を開けると、晋は襖に視線を向けることもせずにキャンバスと向き合ったまま「いらっしゃーい」と言い芽衣子を出迎えた。

キャンバスに筆でペタペタと色を塗る横顔は真剣そのもので、もしや邪魔だったかしら?と芽衣子は少し悪かったかな、と思いながらお盆を持って静かに部屋に入った。


「今、大丈夫でした?」

「あぁ、うん。もうちょっとできりがつくから」

「少しは休憩してくださいね。朝からずっと篭りっぱなしじゃないですか。もうすぐお昼ですよ」


晋の横に膝を付きながらお盆を一端畳の上に置き、お茶をテーブルの上に置きながら芽衣子は心配そうに言った。

しかし晋は生返事をするだけで筆を止めようとはしない。

それでもその横顔がとても楽しそうだったため、芽衣子はその後何も言わずに軽く笑い、晋が絵を描き終えるのを静かに待っていた。

邪魔をするのは悪いと思うのと同時に、こうなってしまった晋は自分が納得のいくものを描き終えるまで絶対に止めないということをこの短い間に芽衣子は理解していたからだ。

それから5分後、一区切りついたのか晋は「ふぅ」と息を吐き出し、筆を置いて伸びをした。


「あぁ、芽衣子ちゃんごめん。ありがとう」

「いいえ。私もここに来るのが楽しみですから」


ニコリと笑う芽衣子に晋もホッとしたようにつられて笑った。

傍らに常備している専用のタオルで汚れを出来るだけ拭き取り、それでも落ちなかった絵の具を水道まで行って手早く落としてくると、ようやく一息ついた。

やっと休憩できたとばかりに湯飲みを持ってお茶を流し込む。


「はぁ~。やっぱり芽衣子ちゃんのお茶はうまいね」

「ふふ。お世辞でも嬉しいです」

「いやいや、本気だって」


本当に真剣に言っているのだが、何故か毎回冗談だと捉えられてしまっている。

何故だろうと首を傾げながら、「本当なのになぁ」と晋は苦笑した。

その様子を見て芽衣子はクスクス笑っている。

そして晋が描いていたキャンバスに目を向け、覗き込むようにして描きかけの絵を見つめた。


「今日は何を描いているんですか?」

「あぁ、庭の椿が綺麗に咲いていたんで、昔デッサンしていた尾長と合わせてみてたんです」

「あ、本当だ。うちの椿ですか?綺麗ですね」


芽衣子がキャンバスを覗き込みやすいように晋は少しだけ後ろに下がった。

感心したような芽衣子の横顔が間近にあり、褒められた事でこそばゆい感覚になる。


「本当にここに尾長がいるみたい。素敵ですねぇ」

「いやぁ、それほどでも・・・。あっはははは」


ストレートな感想に晋は後頭部を掻きながら照れ隠しに笑った。

それから何気なくキャンバスに視線を戻し、絵の進み具合を確認しようとした。

その時である。


「あ」


晋は絵の中に不自然なものが描き込まれているのに気付いて目を見開いた。

それはまるで心霊写真のように、一部分だけが何かの顔のように見える。

その一部がまるで鬼のような形相でだんだんとブレながら絵の中で蠢き、その不気味な姿が徐々に物体に変わり、絵から浮かび上がってこちらに向かって飛び出してきたのだ。

現実には絶対に有り得ない現象が起こっている。

晋はハッと息を飲むと、とっさに筆を取り、黒い絵の具をありったけキャンバスに出して絵を塗りつぶした。

晋のいきなりの行動に、芽衣子は驚いた表情で晋と塗りつぶされた絵を見比べた。


「し、晋・・・さん?」


芽衣子には何も見えていなかったのだろう。

晋はキャンバスの殆どを黒く塗りつぶした後、すっかり台無しにしてしまったキャンバスを目の前にして立ち尽くし、沈痛な表情をして重い溜め息を吐いた。


「はぁ~」


その後、呆然とした顔で見つめてくる芽衣子に向かって苦笑いをし、なんでもない、と力無い声で言った。

どう見ても普通ではない様子に、芽衣子は無意識に首を横に振ってしまった。


「ど、どうして塗りつぶしちゃったんですか・・・?」

「あはははは。だから、なんでもないんだって。よし!もう一回描くか!」


元気を取り戻すかのように声を張り上げ、腕まくりをするフリをして気合を入れなおした。

そして新しいキャンバスを探す為に室内を見回した。


「えーと、キャンバスはーっと。どこに置いたか・・・あ、新しいのはまだ枠組みに張り替えて無いんだった。木枠、木枠・・・と」


左右に首を巡らせ、ふとその瞬間、庭の方に視線を合わせた途端に動きが止まる。


「ん?」


庭を見たまま動かなくなってしまった晋に、芽衣子も庭に視線を向けた。


「え?」


庭にある灯篭の影、細いうす緑色の尻尾がパタパタと見え隠れする何かのシッポ。

そしてひょっこりと、二つのつぶらな目が付いたうす緑色の毛玉のような生き物が姿を現した。

バスケットボールほどの大きさのあるそれは、その生命力を披露するかのように機敏に動き回っている。

あきらかにラジコンなどの動きではないと思えた。

晋と芽衣子は目を見開き、驚いた表情のまましばし固まる。

そしてお互いにゆっくりと顔を見合わせた。

それから再びゆっくりと庭に視線を戻すと、やはり毛玉のような謎の生物が庭をふわふわと漂っていた。

どうやら幻ではなかったらしい。

晋は縁側から草履に履き替え、庭に出て息を殺しながら毛玉に近づいた。

毛玉が逃げないのをいいことに目の前にしゃがみこみ、目を凝らして覗き込む。


「何だ?これ?」


晋はそっと両腕を伸ばして謎の毛玉を捕まえようとした。

しかし毛玉は晋の手をするりとかわし、今までの大人しさが嘘だったかのように元気に飛び回り始めた。


「このっ・・・!くそ・・・!」


元気に飛び回る毛玉を目で追っていると、急に毛玉の動きが鈍くなりフワフワとゆっくり漂い始めた。

その隙に勢いをつけて飛び掛り、やっとの思いで両手で毛玉を鷲掴みした。


「―――・・・―――――――――・・・・―――・・・―――――――――・・・・・」


すると不意に聞いた事もないような美しい音色がどこからともなく聞こえてくる。

誰かの歌声なのだろうが、全く知らない言語が歌うように紡がれ、音色の出所を探ろうときょろきょろと辺りを見回した。

その間にも毛玉は手から逃れようとジタバタ必死に抵抗をしている。

すると突然、頭上から何かが降ってきた。


「ぎゃ!?」

「おっと?何か踏んだか?」


男の声だった。

何の遠慮もなしに人の背中の上に落ちてきて、なおかつ乗っかったままその声の持ち主は平然と暢気にそんな言葉を吐いた。

頭をぎゅうぎゅうと踏みつけているのはわざとだろうか。

いや、絶対にワザとに違いない。ワザとに決まっている。


「――――――・・・・―――・・・―――・・・―――――――――・・・・―――・・・・」


再びあの歌声がすぐ頭の上から聞こえた。

もしやこの歌の正体はこいつだろうか?と、晋が目だけで確認しようとしたその瞬間に背中がゴリっと嫌な音を立てた。

どうやら謎の男が背中に乗ったまま重心をずらしたらしい。


「うぎゃぁ!いってぇ!ちょ、!!」


そんなとこでしゃがむなぁ!という叫びは痛みで声にならない。

すると頭上からにょきっと出てきた男にしては細い手が護符を翳した。


「さぁ、迎えに来たよ」


男がそう言った後に何か聞きなれない言葉を言い放つと、スポン、と毛玉が護符に吸い込まれた。


「!?」


思わず晋が力の限り起き上がると、反射的に男も一緒に転げ落ちた。

急いでその正体を見極めようと男の方を向く。

するとシャツにジャケットを羽織った妙に華のある爽やかな男がへらりと笑顔を浮かべたままどこかに向かって護符をひらひらさせていた。

見た目は20代に見える。

そして男は今頃晋の存在に気付いたのか、きょとんと視線を向けた。


「ん?誰?あんた」


すると一気に表情が幼くなり、その変わりように晋は一瞬だけ驚いたがすぐに頭を切り替えた。


「こっちの台詞だ!人の上に乗っかっておいて、平然としてんな!」

「許可なら貰ってるぜー?そこのお嬢ちゃんに」


そう言って男はそこに立っている黄美子を指差した。

晋とは未だ打ち解けていない黄美子がこの得体の知れない男を家に入れたと知り、下顎を外さんばかりに愕然とした。


「ついでに爺さんにも」

「爺さんて言うな!老いぼれでも立派な主人だぞ!あてっ」

「老いぼれで悪かったな」


晋の頭に杖がヒットし、涙目で見上げた先には爺が晋の背後に立っていた。


「あいたたたた」

「爺さんっ。終わりましたー」

「うむ、ご苦労だったな」


すると黄美子がとてとてと走って来た。

男に向かって両手を差し出し、精一杯爪先立ちをしている。


「もーしゅーけ」

「うん?」


男は護符をヒラヒラとさせながら黄美子を抱き上げた。

そして護符を黄美子の前に翳しならが笑いかけている。


「あとでこいつと遊ぼうな~」

「うん!」


(一体なんだこいつは!)


すると黄美子は男に抱えられながら去り際に、晋に向かって馬鹿にするようなアッカンベーをした。


「んべー!」

「んな・・・!?」


さすがにカチンと来たが、それよりもショックの方が上回りその場に硬直してしまう晋。


「さーて茶でも淹れるかの。芽依子、客間に菓子持ってきてくれぃ」


爺は黄美子を片手に抱いた喪介と続いて庭から玄関へニコニコしながら歩いていく。

芽衣子は慌てて爺に返事をした。


「あ、うん!」


そして晋を見る。


「あの、晋さん。大丈夫ですか・・・?」


暗く丸まってのの字を書く晋には芽衣子の声は届かなかった。

「はぁ」と芽依子は額を抑えて溜め息をつく。


これからややこしいことにならなければいいけど。

と、その場で唸る芽衣子であった。




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