2.宿無し
「これでよしっと」
200円を手に入れた俺は、とりあえずそれを大事にポケットにしまった。
帰りに行きつけのパン屋でパンの耳を貰い、使い古された水筒を持ってコンビニでお湯を貰う。
そして一週間に一回の恒例行事。
ご近所を駆け巡って救援物資を恵んでもらいに行くのだ。
画材道具中心に回ったのが良かったのだろうか、好意と言う名のカップラーメンまで頂いちゃって。
不況だなんだでギスギスしてると思ってたけど、世の中捨てたもんじゃないな。うん。
それにしても風が強いなあ。このテント大丈夫なのか?と少しばかり不安が過ぎる。
すると不意に公園の脇を1組の親子が通りがかった。
「今夜から台風が直撃するんだってー」
「怖いわねぇ。ベランダの花、大丈夫かしら。早く帰りましょうね」
「・・・・・・・」
だ、誰か一人くらい、台風が来るよって教えてくれたって・・・!!
あれか!食い物はやるから寝床は貸さねぇよってか!?
でも誰か、誰か一人くらい教えてくれたっていいじゃないか!?30軒ぐらい回ったのに・・・!
「はぁ。とりあえずテントでも屋根があるだけマジか。飛ばされないようにロープでも探してこよう・・・。最悪、テントが飛んだら蒼笥さんの店に縋るか」
「ハークション!!」
古本屋の店じまいをしている蒼笥は、お約束のように大きなくしゃみを連発し、鼻を啜った。
「あ"ー・・・風が強くなってきたな」
好き勝手に縋られているとも知らず、ずびっともう一度鼻水を啜りながら戸締りの準備を急ぐ蒼笥であった。
ひと通りテントを紐で固定する作業を終えた頃、時刻は午後3時だというのに黒い雲が空を覆っていた。
あきらかに悪化の一途を辿っている怪しげな雲行きに、テントが飛ばされないかいよいよ不安になってくる。
ここは思い切ってテントを破棄し、去年のように電話ボックスを占拠する方が無難だっただろうか。
「いや、でもなぁ。うっかり寝こけて朝起きたら台風が止んだ代わりに、お巡りさんが不審者を見るような目で覗き込んでたのが未だにトラウマなんだよなぁ・・・」
去年の今頃を思い出し、俺は溜め息を吐いた。
正直言って元々好きではなかったが、あの一件で更に輪をかけて警察不信になてしまったのだ。
もうあんな事態になるのは出来れば避けたかった。
そうこうしている間にも、風はふき、雨雲が迫ってきている。
人影も完全に途絶え、ここも陸の孤島状態になりつつあった。
世界に自分1人だけしか居ないような錯覚に陥りそうになり、早く準備を済ませようと焦りを覚えつつ次の作業に移ろうとした、その時。
「おや、青年。こんな所にテントを張るつもりなのかね?」
突然に声を掛けられ、振り向いた場所にはあの古本屋にいた爺さんと、黒目がちな瞳が印象的な大人しげな少女が立っていた。
爺さんは一瞬目をパチクリし、「おや?君はあの時の・・・」と思い出してくれたらしい。
「なんじゃ若いの。こんなところで生活しておったのかい」
「あはは、まぁ」
後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべる俺に、少女が驚いた表情をした後、心配そうに俺を見た。
「今夜は台風ですよ?家、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですよ!こうして杭も作りましたし」
見たところ中学生ぐらいの少女に心配されて妙に気恥ずかしくなり、テントの横に準備してあった手作りの木製の杭を慌てて拾って少女と爺さんに見せた。
そしてトンカチがわりの丸太で杭を打ち込み、素早くテントを固定する。
「ね!?」
「・・・でも・・・」
それでも不安そうに見上げてくる少女は、黒い大きな瞳を心配の色に染めてしまっていた。
少し可愛いなぁと思っていただけに、不安そうな瞳に戸惑いながらも悪い気はしない。
さてどう答えようかと考えていると、前触れも無く真横から上へと舞い上げるような強い突風が吹き荒れた。
突如。
その突風が軽やかに呆気なく、テントを盛大に吹き飛ばした。
思わず3人共、一斉にその光景に目が点になる。
「あ」
その後にあっという間に見えなくなるまでテントが飛んでいき、テントの中にあった荷物もテントから追い出されて暴風に弄ばれていた。
「ああああ・・・!」
重量のある絵描きセットはどうにか無事であったが、残りの衣服や水筒やパンの耳やカップラーメンはその辺りを四方八方と飛び去っていった。
愕然としてテントが消えた空を見ながら立ちすくむ。
そして俺は本当に無意識に、縋るような思いで機械のような動きで爺さんに振り返った。
「あ、あの・・・」
振り返った先には、ニッコリ顔でただ頷く爺さんがいた。
「若いの。少々の雑用をやるんじゃったら、ワシの家に泊めてやらんでもないぞ」
飛ばされたスケッチブックを見事に少女がキャッチし、ニッコリ微笑えんだ。
俺、あまりの展開にしばし無言。
そして考えること0.3秒後、深々と頭を下げる。
「お、お世話になります。なんでも使ってください!」
爺さんの苗字は科賀屋というらしかった。
名刺まで貰い、恐縮しながら受け取る。
「科学の科ですか~。変わった字を書くんですね」
「そうじゃのう。しかしこれから行くと分かると思うが、もっとややこしい事があるんじゃ」
「は?」
「ワシの家の隣が骨董屋をやっていての、そこも”カガヤ”なんじゃよ」
「えーと、骨董屋もやってるんですか?」
「いやそうじゃなくてな、加わるという字で加賀屋と読む、全くの無関係でな。縁もかけらも無いんじゃよ」
「はぁ・・・」
それはややこしいですね、と言った方がいいのだろうか。
「こっちはワシの孫で芽衣子じゃ。お前さんより大分年下じゃろうが、しっかりしておるぞ。何かあったら芽衣子に言いなさい」
少女を指しながらいきなり紹介され、慌てて少女の方を見る。
強風で煽られている長い髪を抑えながら、控えめに小さくお辞儀をして芽衣子はニコッと笑った。
「はじめまして。科賀屋 芽衣子です」
「あ、こちらこそよろしく。夏野 晋といいます」
「よろしくお願いしますね、夏野さん」
「えーと、芽衣子・・・ちゃんは、まだ中学生?」
「今は中学3年生で、4月からから高校一年生なんです」
へぇ、と俺はなんとなく相槌をうった。
おっとりとした喋り方をする芽衣子であるが、見た目には年齢よりもしっかりとしている感じの子だ。
「俺は今年で二十歳なんだ。5つ下かぁ」
「そうじゃ、どうせなら勉強でも見てもらったらどうじゃ?」
「え?でも、そんなの夏野さんに悪いんじゃぁ」
え!?
ちょ、待て!何勝手に提案してくれてんだ爺さん!
毎回赤点スレスレだった俺の学力を舐めんなよっ!短大だって推薦だったしな・・・。
「なんか虚しくなってきた・・・」
「え?」
「いえ、なんでもないっす・・・」
そうして連れてこられた家は想像を遥かに上回っていた。
今まで壁伝いに歩いて来たが、その壁が全てこの家の壁だったらしい。
これは成績の悪さがどうのと言っている場合ではない。
家というより屋敷といった方が相応しいような敷地の広さに愕然となった俺は、この家の雑用って一体どんな規模なんだろうと呆然と立ち尽くしたのである。
「で、なんで便所掃除!?」
栄えある最初の雑用は、屋敷内だけで3つあるという便所の掃除であった。
「屋敷内だけで」とわざわざ付け足した意味がもうお分かりだろうか。
ご想像通り、庭にももう一つ便所があるらしい。ありえねぇ。
「それが終わったら風呂に入っていいぞい。夕飯はその後じゃ」
「は、はい!」
「これから毎日朝晩やってもらうぞい。便所係り君」
「えぇ!?」
三角巾にエプロンにゴム手袋というフルコースを身に包み、言われた言葉に思わずそんな言葉が出た。
そこへひょっこりと顔を覗かせたのは芽衣子である。
「夏野さん、お部屋の準備できました」
「あ、すみません。お手数をおかけしまして」
自分が居候だという立場を思い出し、なんとか平静を装って頭を下げる。
こんな情けない姿を年頃の女の子に見せてもいいものかと、俺は自分が置かれている状況を思って心底泣きたくなった。
「気を使わなくて結構ですから、ご自分の家だと思ってくつろいでくださいね」
「あ、ありがとう。芽衣子ちゃん」
(ええ子や~・・・!マジええ子や~・・・!)
心の中で感涙しつつ、とりあえず便所掃除を早く終わらせてしまおうと腕を捲くる俺であった。
その後、芽衣子に案内されたのは10畳はありそうな畳部屋だった。
本当にデカイな、この家。
「この部屋です。客間なんですけど、これから好きに使ってください」
「ありがとう。・・・え、これからって?」
「え?だってテントが無くなっちゃいましたし」
「ぐ!」
「夏野さんさえ良ければずっとここにいても構わないってお爺ちゃんが言ってましたから。だから気にしないで下さい。それじゃぁ、お夕飯が出来たら呼びに来ますね」
「はぁ。本当に、ありがとうございます」
芽衣子はニコリと微笑み、廊下に出てから一度座り、襖を閉めて部屋を出て行った。
「本当に出来た子だなぁ・・・」
暫し芽衣子が出て行った襖を見つめたあと、俺は倒れるように布団に寝転がった。
「ふぅ」
仰向けのまま、布団の上をゴロゴロし、改めて部屋の中を見渡してみる。
いかにも昔ながらの和室といった感じだが、備え付けの小さなテーブルと連れてこられた時にはすでに敷かれていた布団以外は本当に何も無い部屋だった。
唯一新鮮に映るのは障子だろうか。
もしかしてこの先は庭かと思い、布団から這い上がって障子に近づき手を掛ける。
そして躊躇なく障子を開いた。
「うわっ!」
障子を開いた先に小さな女の子が一人いて、予想外の出来事に思わず飛びのいた。
女の子は見た目4歳ほどで、小さな腕には少々古びたクマを大事そうに抱えていた。
おでこを出してツインテールにしているせいか、活発そうな雰囲気がある。
見た感じから言えば、芽衣子とはまったく逆のタイプだ。
そんな女の子は俺の悲鳴にも動じることなく、無表情でじっとこちらを見ていた。
俺はようやく起き上がり、女の子と目線を合わせて片手を上げて挨拶をしてみた。
「やぁ。こ、こんにちは」
言いながら、そういえば孫が2人いるって爺さんが言ってたな。もしかしてこの子か?と内心首をかしげていると、突然。
「べー!」
女の子が俺に向かってアッカンベーをし、あっというまに走り去ってしまった。
発声された声の可愛らしさとは反対に、可愛げのない出来事に俺は表情を引きつらせてしまう。
「な、なんだぁ?今の」
どうにか寝床を確保したと思ったら、何もかもそううまくはいかないという予感に駆られながら、果たしてこの家に来て本当に良かったのだろうかと考えてしまった。
ちなみに、障子の向こうには縁側と広大な庭があったが、あのまま公園に居たら俺は今頃どうなっていたのかと思う程外が荒れ狂っていた。
ここに来て良かったんだね。俺。