バルト海封鎖戦
アラスカ第零災害の発生直後、アメリカ合衆国とロシア連邦の間で限定的な武力衝突が発生した。
戦闘規模は局地的なものであり、当初は全面戦争への発展は想定されていなかった。
しかし、この衝突は民間人に被害を及ぼした点において重大視される。
アメリカ側では、アンカレジ周辺において民間人4名、兵士2名の死亡が確認された。一方、ロシア側はアメリカによる報復攻撃を受け、カムチャツカ半島を中心に被害が発生。民間人6名、兵士5名の死亡が報告されている。
この段階において、被害規模は限定的であった。しかし、問題はその“質”にあった。すなわち、IF関連施設を巡る攻撃が、すでに軍事衝突の対象となっていたことである。
この事実は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国、とりわけヨーロッパ諸国に強い危機感を抱かせた。その結果、バルト海における航行規制および封鎖措置が段階的に実施される。
同時期、ロシア側は戦略判断を下していた。アメリカとの直接的な全面戦争は時期尚早であるとし、戦略軸をヨーロッパ方面へ転換したのである。
過去のウクライナ侵攻の経験を踏まえ、ロシア政府は大規模な地上戦および航空戦力の再編・増強を進めていたとされる。
2050年1月11日。それまで公式声明を控えていたロシア国防省が、初めて立場を明確にする。
声明は、IFの専有体制を否定し、既存の国際秩序を批判するものであった。さらに、「社会構造の再編」と「世界の再構築」を掲げ、アラスカ攻撃の正当性を主張する。
同時に、IF開発国およびその協力国に対する宣戦布告が行われた。
これに続き、中国、イラン、北朝鮮をはじめとする複数の国家が同様の声明を発表し、戦争状態は多極的に拡大する。
最初に大規模戦闘が確認されたのは、バルト海であった。
ロシアは事前の通告や外交的手続きを経ることなく、バルト三国および北欧方面への軍事行動を開始する。これに対し、NATOは即応部隊を展開。海上戦力による迎撃体制を構築した。
2050年2月1日。イギリス、フランス、ドイツを中心とする5か国連合艦隊と、ロシアの大規模艦隊が交戦状態に入る。
戦闘は5日間にわたり継続した。
ただし、この戦闘に関する記録の一部は欠落している。通信ログの断絶および記録媒体の損失により、詳細な戦闘経過は現在も再構築されていない。確認されているのは、バルト海沿岸地域において大規模な被害が発生したという点のみである。
最終的にロシア艦隊は撤収し、当該戦闘はNATO側の戦術的勝利と分類されている。
しかし、この結果は戦争の終息を意味しなかった。
むしろ、この戦闘を境に戦域は急速に拡大する。
後にウクライナ再侵攻として記録される大規模地上戦、ならびにヨーロッパ全域への戦略爆撃が開始されるのは、この直後のことである。
同年2月。ロシアおよびその協力国は、自らの陣営を「同盟国」と位置付け、統合的な軍事行動を開始した。
これに対抗し、IF開発国を中心とする国家群は「連合体」を形成。両陣営は、この時点をもって全面的な戦争体制へと移行した。




