負傷と責任
本編4章1話です
お待たせ、待った…よな
4章1話
「……まずは、屋敷へ」
ラルスの声は、まだかすかに震えていた。
だが背筋は折れていない。
ついさっきまで“脅される側”だった少女が、今は隊列の先頭に立ち、迷いなく道を選び、警備に短い指示を飛ばしている。その切り替えの速さに、俺は妙な現実味を覚えた。
宿の外へ出ると、夜風が焼けた皮膚に刺さった。
肩口から胸にかけて、遅れてじわじわと熱が広がる。
痛い。確かに痛い。
だが、それだけで済んでいるのも事実だった。
範囲は広いのに、深く抉られた感触はない。
火が“軽く全身を走った”だけ——そう言い聞かせる。
それでも、身体の芯がふらつく。
冷夏が「顔色、悪いよ」と言った通り、限界を誤魔化して動いていたらしい。
魔法の火は、想像よりずっと軽い動作で致命に届く。
詠唱も、溜めも、儀式もない。
ただ腕を空に切るだけで、炎が生まれ、ぶつかり、燃え移る。
理屈が追いつく前に結果が来る。
その怖さが、遅れて後悔と一緒に残っていた。
「ハル、歩ける?」
冷夏の声。
「歩ける。……」
言いかけた瞬間、視界がわずかに揺れた。
「ふらついてるじゃん。ラルス、肩、貸してもらっていい?」
「えっ……い、いえ、もちろん……!」
冷夏が俺の腕を掴み、半ば強引に前へ出る。
さっきまでの悲鳴や大仰な動きは、もう影も形もない。
こういう切り替えができるのが冷夏の強さで、
同時に、俺が一番気を張らされる部分でもある。
ラルスは戸惑いながらも、俺の反対側へ回って肩を入れた。
細い腕なのに、支え方は妙に的確で、体重を“受ける”より“流す”ように運ぶ。
「宿は……燃えてない?」
「大丈夫。床の焦げは、私が弁償するって言ったもん」
「“多分”な」
「うるさい!」
軽口を叩きたいのに、息がうまく回らない。
吐く息が、やけに熱い。
俺は意識して呼吸を整え、頭の中で境界線を引き直した。
守る対象。
冷夏。——そして。
ラルス・アストリア。
名乗った瞬間、警備の態度が変わった。
家柄が秩序を上書きする、あの感覚。
俺たちみたいな“身分がない者”にとって、それは希望であり、同時に恐怖だ。
助けられる側でいるうちはいい。
だが、巻き込まれる側になった瞬間、
その立場は、刃になる。
(……頼りなかった)
境界を引いたつもりでいた。
守ったつもりでいた。
だが、魔法一発で崩れた。
偶然と反射で、どうにかなっただけだ。
それを、はっきりと思い知らされた。
(守るものは、増えた)
重さじゃない。
逃げられなくなった、という事実だ。
(なら、泥くさくていい)
派手じゃなくていい。
強くなくていい。
境界を引いて、そこから動かない。
守り切る。
それだけを、徹底する。
警備隊は、フードの男と甲冑の護衛、そしてメイド姿の人物をまとめて連れていった。
手錠の代わりに縄。
抵抗すれば槍の柄で抑え込む、手慣れた動き。
その中で、あのメイドだけが最後まで、言葉にならない顔をしていた。
視線が合った一瞬、その表情を、俺は見逃さなかった。
——だが、今は追えない。
追っても、助けられない。
俺はまだ、“守る側”を名乗れるほど安定していなかった。
屋敷へ向かう道は、宿の通りから一本外れた静かな並木道だった。
街灯は一定間隔で吊られ、石畳は丁寧に整えられている。
さっきまで鼻に残っていた油と汗の匂いが、少しずつ薄れていく。
街が一枚ずつ“格”を変えていくのが、足裏から分かった。
同じ夜の中にあるのに、
守られている場所と、守られていない場所の境界が、こうして目に見えて引かれている。
門が見えたのは、そこから少し歩いた先だった。
高い石壁——いや、塀というより城の外郭に近い。
重厚な鉄門に刻まれた紋章。
左右に詰所。番兵が二人、槍を持って立っている。
彼らは俺たちを視認した瞬間、まずラルスの顔を見て、次に俺の焼けた服と包帯、最後に冷夏の表情を見た。
判断が、速い。
「ラルス様」
「戻りました。医師を。……怪我人がいます」
短い言葉だけで、門が開いた。
通される感覚が、違う。
俺はそこで初めて、自分が“物語の舞台の内側”へ踏み込んだのだと実感した。
外で必死に拾ってきた言葉や、身振りの交渉じゃない。
“名前”と“家”が、道を開ける。
敷地内は、広かった。
夜でも分かる。
手入れされた芝。低い生垣。遠くに噴水の白い影。
石畳の道が屋敷へ伸び、その両脇に背の高い木々が並んでいる。
夜なのに、怖さより先に、整えられた静けさが来る。
静けさは、時に暴力よりも強い。
そして、屋敷。
赤茶の煉瓦で組まれた正面に、淡い石の縁取り。
左右に張り出した角塔。規則正しく並ぶ窓。
どっしりしているのに、どこか“見せる”ための意匠がある。
背後の別棟は、煉瓦より石の割合が多く、古い修道院のような渋さを帯びていた。
建てた年代が違うのか、継ぎ足されたのか。
格式と実用が、同居している。
首都の宮殿みたいな虚飾はない。
だが、ここは確かに、この街の重心だ。
「……すご」
冷夏が、ぽつりと漏らす。
「な、ここに住んでるの?」
「……住んでいる、というより……責任を置いている場所です」
ラルスの言い方は、少し固かった。
自分の家なのに、自分の居場所と言い切れない。
その違和感が、今夜の交渉と同じ匂いを持っている。
強がる声の奥に、指先が震える理由がある。
玄関を開けると、室内の空気は外より温かかった。
磨かれた床。壁に掛かる絵。
蝋燭と魔導灯——火より少し白い光が揺れ、影を柔らかくする。
踏み込むたび、靴音が高く返る。
俺は無意識に背筋を伸ばしていた。
礼儀のためじゃない。
怯えを、隠すためだ。
「こちらへ。……医師を呼びます」
ラルスが廊下を先導し、途中で使用人の一人に短く指示する。
返答が早い。
やはり、この場所で生きてきた人間だ。
案内されたのは、客用の小さな部屋だった。
ベッド。机。洗面台。暖炉。
窓の外には庭。
質素ではないが、豪奢でもない。
必要なものが、必要なだけ整っている。
「ここで休んでください。……冷夏さんも、どうぞ」
「ラルス、優しすぎない? 私たちへの警戒、しないの?」
冗談めかして言う冷夏に、ラルスは一瞬だけ目を伏せた。
「命の恩人です。……それに、宿の方に任されましたから。責任は、果たします」
“責任を果たす”。
その言葉が、胸に引っかかった。
——まだ、終わっていない。
さっきの男たちが捕まったから終わりじゃない。
治安が悪いのではなく、治安を悪くする“仕組み”がある。
そして、その仕組みに噛みついたのが冷夏だ。
俺の判断を待たずに。
その結果が、これだ。
医師が来たのは、思ったより早かった。
年配の男で、白い布を肩に掛け、薬草の匂いをまとっている。
言葉は完全ではないが、要点は通じた。
赤くただれた箇所に、冷たい薬膏が塗られる。
熱が引く感覚に、思わず息が漏れた。
「……効く」
「当然です。アストリア家の医師ですから」
ラルスの口調に、わずかな誇りが混じる。
だが、すぐに影が落ちる。
医師は皮膚の状態を丁寧に見て、指先で軽く押し、俺の反応を確かめた。
「深くはない。焼けた面は広いが、皮膚の奥は守られている。——痕は、残りにくい」
救われた気がした。
戦いの勲章なんて、要らない。
医師は包帯を巻き、最後に苦い薬を渡す。
「夜は眠れ。熱が上がる。無理に動くな」
現場の人間の断言だ。
俺は頷いて薬を飲み込んだ。
ベッドに腰を下ろすと、身体の重さが一気に現実になる。
冷夏が、俺の顔を覗き込んだ。
今度は、冗談を言わない。
「……ハル、無理してない?」
「してない。……いや、してるかも」
「正直でよろしい」
細い笑い。
今日の火は、冷夏の中にも刺さっている。
守れたのに、守りきれていない。
あいつは、そういうところで一人で背負う。
俺は言いかけた言葉を、飲み込んだ。
ラルスが小さく咳払いをして、俺たちの前に立つ。
「今夜は、屋敷にいてください。
……後ほど、事件についてお話しする時間を設けます。冷夏さん、その時は同行を」
その言葉に、ラルスの表情がわずかに揺れた。
失敗に対する評価を、もう想像しているのだろう。
「うん。大丈夫だよ」
冷夏が、柔らかく答える。
「私の視点も含めて、ちゃんと話すから」
「……ありがとうございます」
ラルスの緑の瞳が、少しだけ潤む。
森の若葉みたいな色が、灯りの中で揺れた。
——この子は強い。
強く見せる訓練を、ずっと積んできた。
だが強さは、痛みを消す道具じゃない。
痛みを隠す技術だ。
隠した分だけ、夜に崩れる。
俺は、そこでようやく理解した。
この屋敷にあるのは、豪華さじゃない。
“守るべきものが多すぎる”という責任の重さだ。
俺は境界を引く。
ラルスは、引けない。
だから——俺が、引く。
泥くさくてもいい。
頼りなくてもいい。
守るものが増えたなら、
その分、覚悟を固めるだけだ。
次回は3日以内に投稿予定です




