請求と介入
本編3章3話です
仕事行きたくない……生きたくねぇ
3章3話
それから2日。
宿での生活は、少しずつ“日常”の形を取り始めていた。
5日分の宿代を前払いしているから、今日で泊まる最終日となる。
朝は軽い運動と復習。
昼は市場での実地練習。
夜は宿に戻って、その日の反省と次の計画。
言葉も、読み書きも、まだ完璧とは言えない。
だが――困らない程度には回る。
「でさ」
夕方、部屋の丸テーブルを挟んで、冷夏が椅子にだらっともたれかかった。
「そろそろ仕事しないとだよね〜」
「だな。今後のことを考えると、延長してこの宿に泊まる必要もありそうだ」
俺は紙にいくつかの単語を書きながら頷く。
「短期でいい。身分証がなくてもできるやつ。
肉体労働か、雑用、あとは……」
「護衛とか? 異世界といえば冒険者!」
「無理だ。武装と信用が要る」
「え〜。じゃあ案内役とか?」
「文字と土地勘が足りない」
一つずつ、選択肢を潰していく。
消去法だが、こういう作業は嫌いじゃない。
「……洗濯とか、掃除とか?」
「それは現実的だな」
「でしょ?」
冷夏は、にやっと笑った。
「宿に長く泊まってるんだしさ。
『手伝えますよ〜』って言えば、話くらいは聞いてくれそう」
「まあ……店主の性格的にもな。
理想的なのは、ここで住み込みで働けることだが」
5日間、観察してきた限り、
この宿の女主人は“人を見る”目を持っている。
危ない橋を渡らなければ、悪い方向には転ばない。
「とりあえず、頭の整理がてら風呂行ってくる」
冷夏が立ち上がり、大きく伸びをする。
「行ってらっしゃーい。
ボクはそこら辺ウロウロしてるよ〜」
そうして俺は、大浴場へ向かった。
⸻
一人で風呂を使い、身体を温める。
湯気の向こうで、思考が自然と整理されていく。
風呂を上がり、濡れた髪を拭きながら階段を上がっていた。
木製の段を踏むたび、乾いた音が静かに響く。
この時間帯、客はほとんどいない。
食堂も、基本的に使われていないはずだ。
――はず、なのに。
階段の踊り場で、冷夏が立ち止まっていた。
両手を目元に当て、双眼鏡のような形を作っている。
「ね〜、ハル」
小声で、妙に楽しそうな声。
「あの子、私よりバカじゃね?」
「何いきなり言ってるんだよ……
そもそも、お前と比べたら上も下もそうそう――」
言いかけたところで、俺は言葉を失った。
冷夏の視線の先。
食堂の端のテーブルで、交渉らしきやり取りが行われている。
金髪の少女と、フードを深く被った男。
男の背後には、甲冑姿の護衛。
さらにその横に、視線を泳がせるメイド姿の人物が一人。
――構図が、歪だ。
「……あの男、警戒した方がいい」
俺が低く言うと、冷夏が小さく頷いた。
「ハル、フードの人に見覚えある?
私は女の子の方と、すれ違ったことあるけど」
「ああ。異世界に来た夜だ。
武器を手入れする特有の匂いと身なりだった」
「なるほど……治安の悪いところでそれは危険だね」
冷夏はそう言ってから、俺を見る。
「それで。
ハルは見て、どう思う?」
俺は視線を交渉の卓に戻した。
テーブルの上。
無造作に置かれた革袋。
口が緩く、重みで底が膨らんでいる。
――金貨だ。
袋の大きさ、膨れ具合から見て二十枚前後。
異世界に来て五日。
俺も冷夏も、まだ金貨そのものを手にしたことはない。
だが価値は分かる。
一枚で、およそ十万円以上。
庶民が持ち歩くものじゃない。
「……二百万は超えてるな」
俺がそう言うと、冷夏は肩をすくめた。
「でしょ?
それがこんな宿の食堂で、しかも人がいない時間帯」
「違和感しかない」
交渉は静かだが、緊張感がある。
少女は背筋を伸ばし、言葉を選びながら話している。
金髪は肩口で揺れ、
結いきれていない前髪の奥から、緑の瞳が覗く。
深い森の奥で、朝露を湛えた若葉みたいな色。
澄んでいるのに、どこか張り詰めている。
声は落ち着いている。
言葉遣いも丁寧だ。
だが――
指先が、微かに震えている。
スカートの端を、無意識に掴んでいる。
強気でいようとしている。
だが、怯えている。
冷夏も、それに気づいたらしい。
「……あの子、踏ん張ってるね」
「実務経験が足りないタイプだな」
男の方は、逆だ。
声は低く、間合いが近い。
護衛が背後に立ち、無言で圧をかけている。
交渉というより――囲い込み。
「それにさ」
冷夏が、声をさらに落とす。
「この交渉、多分連日やってるよ?」
「……見てたのか」
「昨日の夜も見かけた。
一昨日も、すれ違った様子からして多分ね」
「金額は?」
「日によって違うけど……
渡してる……毎回」
俺は腕を組んだ。
三日で、六百万前後。
店主が買い出しに出ている、人気のない時間帯。
簡素な場所で行われる高額取引。
不自然な点が、多すぎる。
だが――
割り込むのは、悪手だ。
理由として、
交渉内容が分からない。
仮に正当な取引だった場合、邪魔をしたら信用を潰す。
それに、身分不詳の俺達が口出せば最悪、
密告者扱いされる可能性もある
結論は一つ。
交渉後に少女へ声をかける。
事情を聞いてから、動く。
そう整理して、冷夏に伝えようとした――
その時。
冷夏が、いなかった。
「――っ」
視線を走らせると、彼女はもう階段を下りている。
「ちょっといーい?」
場違いなくらい、明るい声。
食堂の空気が、一瞬で凍りついた。
俺は、内心で舌打ちする。
(……やりやがった)
その背中に、迷いはない。
――ここから先は、もう止められない。
俺は一歩遅れて、階段を下りた。
次回は3日以内に投稿します




