38:その顔はずるいです
一週間後、私は蒼星館の居間にいた。
事件現場となったサロンはまだ修復作業中だ。とはいえ、あとは窓ガラスを嵌めるだけらしいが。
「バローネ伯爵家は官職を剥奪。さらに、領地の大半を没収。伯爵家の名前は一応残るけれど、実質的には男爵に格下げされたも同然だ。事件の元凶であるロザリアはリーガス修道院に送られることになった」
向かいのソファに座るセルジュ様は事務的な口調で、淡々とそう言った。
リーガス修道院は北の果ての孤島に建つ修道院だ。
規律の厳しさで知られ、そこへ送られることは社会的な死を意味していた。
「王子を殺害しかけたんだ。本来なら極刑でもおかしくはない。しかし、ロザリアはこれまで大勢の人間を癒し、十年以上もラディを傍で癒し続けた。それに、『未来視』の予言によって大小の悲劇を防いだという実績もある。落としどころとしては修道院送りが妥当だったのだろう。報告は以上だ。何か質問はある?」
「いえ、ありません。ご丁寧に教えてくださって、ありがとうございます」
私の隣に座るラディアス様は、なんとも形容しがたい顔で押し黙っている。
ラディアス様の首には相変わらず、毒薬入りの首飾りがあった。
私はそれが大いに不満だったけれど、国王の命だと言われては何も言えない。
――心配しなくても大丈夫よね。もう二度と毒薬を必要とする事態が起きないように、できることをやればいい。それだけの話よ。
ラディアス様はいま、私が刺繍した肌着を着ている。
そのおかげか、あれからずっと体調が良さそうだ。
騒動の後、蒼星館の使用人たちは私を褒め称えてくれた。
ジャスパーさんは「御見それいたしました。ユミナ様の刺繍魔法を軽んじていたこと、心よりお詫び申し上げます。ユミナ様の刺繍魔法は、まさしく奇跡の業。どうか今後ともラディアス殿下のために、その力をお貸しくださいますようお願い申し上げます」と頭を下げた。
でも、そんなの頼まれるまでもない。
私の刺繍でラディアス様の健康が守られるのならば、いくらでも針を刺すつもりだ。
「……癒し続けたといっても、ロザリアは周囲の関心や同情を引くために、病気のおれを利用していただけなんだがな」
不意に、ラディアス様が呟いた。
その眼差しは、ここではないどこか遠くを彷徨っているように見えた。
「どんなに優しくされても、どんな労りの言葉をかけられても、どうしてもロザリアが苦手だった理由がわかった。ロザリアはおれが大切だと言いながら、おれのことを見ていなかった。ロザリアにとって大切なのはおれじゃなく、『ロザリアの助けなしでは生きられない、可哀想で惨めな病人』だったんだ」
「ラディアス様……」
何と言ったらいいのかわからず、私はラディアス様の手に触れた。
大丈夫だというように、ラディアス様は私の手を握り返してくれた。
「ラディの勘は正しかったということだね。まさかロザリアがあんな女だったとは……いや、もう考えるのは止めよう。気分が悪くなるだけだ」
セルジュ様はため息をついた。
「ロザリアのことは許せないけれど。一番許せないのはラディの危機に気づかず呑気に授業を受けていた自分だよ」
「気づくなんて不可能ですよ、兄上。蒼星館は宮廷魔導師たちが張った魔法結界によって空間そのものをずらされ、外部から完全に遮断されているんですから」
「理屈ではわかっていても、感情が納得しないんだよ。物語の中では家族や恋人に危機が迫った場合、主人公は決まって胸騒ぎを覚えるじゃないか」
「それはあくまで物語の中の話でしょう。現実はそんなふうに都合よくはいきませんよ」
不満そうなセルジュ様を見て、ラディアス様は苦笑している。
「でもユミナは駆けつけられたじゃないか。私はこれまで目一杯ラディを愛してきたつもりだけれど、まだ足りないのかもしれない」
「そんなことありませんよ。おれがいま生きているのが証拠です。兄上はおれにとって太陽ですから」
「!」
ラディアス様が微笑むと、セルジュ様は目を見開いた。
「そんな、太陽だなんて大げさだよ」
と言いつつ、セルジュ様は嬉しそうだ。私は笑みを堪えて兄弟のやり取りを見守った。
「もうすぐ夏季休暇ですね」
それからしばらく談笑を楽しんだ後、私は話題を切り替えた。
「夏季休暇に入れば、一か月はお会いできません。お二人には毎日のようにお会いしていましたから、少し寂しいです」
夏季休暇中、セルジュ様とラディアス様は王宮で過ごされるらしい。
私もベル姉様と久しぶりに帰省するつもりだった。お母様には報告したいことがたくさんある。お会いするのが楽しみだ。
「ユミナが寂しいのは『少し』だけ?」
セルジュ様は意味ありげな笑みを浮かべて、ラディアス様を見た。
「ラディはどう? ユミナと会えなくなったら『少し』寂しい?」
「『少し』どころか、『ものすごく』寂しいです」
さらりと言われて、顔から火が噴き出すかと思った。
な、なんだろう。
最近、ラディアス様の態度が変わったような気がする。
いや、『気がする』んじゃなくて、確実に変わったわよね?
前はこんなこと、絶対に言わなかったもの。
言うとしても、それは私をからかってのことだったのに、いまは素で言っているのがわかるから……反応に困ってしまう。
大体、なんでラディアス様は当たり前のような顔で私の隣に座っているのか。それもまた大きな謎の一つだ。
「そ、そうですか……それはその、光栄? です」
何と言えばいいのかわからず、微妙な返答をしてしまった。
「なあ、ユミナ。おれと会えなくなることを本気で寂しいと思ってくれているなら、夏季休暇に入る前に、思い出作りを兼ねてデートをしないか? たまには学園を出て、王都を見て回るのも楽しいと思う」
「えっ? いえ、デートって。学園内ならともかく、外でまで恋人役を演じる必要はありませんよね?」
ラディアス様の提案に、私は戸惑った。
「じゃあ、友人としてでいい」
『じゃあ』ってなんですか?
まるで、仕方なく妥協したみたいな言い方なんですけど。
事実、私とラディアス様はただのクラスメイト――友人関係ですよね?
「それはいいね。良い思い出になると思うよ」
セルジュ様も微笑んでいる。
「いえ、しかし……」
「……嫌か?」
私の言葉を遮って、ラディアス様は悲しそうに眉尻を下げた。
ううっ、なんでそこで捨てられた子犬のような顔をするの!? ズルくない!?
美形にそんな顔をされると、自分がとっても酷い人間に思えてしまう!!
「……わかりました。行きましょう」
「決まりだな」
ラディアス様は一転して笑顔になった。
あ、さっきの悲しそうな顔は演技だったんだなと気づいたけれど、もう遅かった。




