35:悪夢の終わり
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――お前はいつ爆発するかわからない爆弾のようなものだわ。恐ろしい。生まれてきたこと自体が間違いだったのよ。
そう言ったのは他国に嫁いだミリエル姉上だ。似たようなことをアイザック兄上にも言われた。お前は王家の出来損ない、失敗作だと。
氷の礫のような言葉を浴びせられても耐えられたのは、セルジュ兄上がいたからだ。セルジュ兄上は毎日のようにおれの元を訪れ、花や果物を差し入れてくれた。ベッドから起き上がれないときは「早く元気になりますように」と言いながら頭を優しく撫でてくれた。セルジュ兄上がいたから、おれは他人から憐れまれても疎まれても、自暴自棄にならずに済んだ。
――ラディアス様――
ふと、遠いどこかでユミナの声が聞こえたような気がした。
ユミナ――そう、ユミナを初めて見たのは入学式の朝だった。
――嘘ぉ!! ベル姉様とクラスが違うなんて!!
校舎の前の掲示板に群がる生徒の中、ひときわ大きな声で嘆いていたのがユミナだった。
――大丈夫よユミナ、寮は同じ部屋なんだから。そうだわ、お互い寮に帰ったら、その日のことを報告し合いましょう。約束よ。
笑い合う二人を見て、仲の良い姉妹なのだなと思った。おれと兄上と同じだ、と。
同じクラスになってしばらくして、ユミナがやたらとおれを見てくることに気づいた。きっと他の女と同様に声をかけてくるのだろう。そのときは冷たく睨みつけてやろうと思っていた。
しかし、予想に反してユミナはおれに近づこうとはしてこなかった。ただ遠くから見ていただけだった。もの言いたげな、心配そうな瞳で。
――失礼ながら、殿下が『寄るな・触るな・声をかけるな』という三拍子揃った凄まじい圧を放っておられましたので! どんなに心配でも声をかけず、ただ遠くから見ているだけに留めていたのです! いざというときは駆けつけるつもりでした!
医務室でそう言われたときは驚いた。仮にも王子相手に馬鹿正直にそんなことを言うかと呆れたし、愉快にも思った。
ユミナはいつだってまっすぐにぶつかってきた。魔力過多症のことを知っても、おれを憐れむことは一度もなかった。難しい図案を刺繍して、なんとかおれを救おうとしてくれた。
――ああ、でも、多分もうこれは無理なのだろう。
焼けつくように全身が熱い。
血が沸騰しているのではないかと錯覚するほどの熱が、皮膚の下で渦巻いている。
呼吸をすれば肺が軋み、喉の奥で壊れた笛のような音が鳴った。
「……っ、く……ぅ……!」
魔力がおれの体内で暴れている。
制御の利かなくなった膨大なエネルギーが、猛烈な熱と痛みを引き起こす。
内側から自分自身の魔力に破壊される感覚――それは、悶絶するほどの地獄だった。
「……っ、は」
笑いたくなる。何故ロザリアが出した薬草茶を素直に飲んでしまったのか。十年以上付き合ってきた彼女がまさかこんなことをするとは思わなかった、なんて言い訳だ。信じたおれが馬鹿だった、それだけの話。
痛い。苦しい。耐えられない。いや、もう耐えなくても良いのではないか。幼いころから、魔力が暴走するたびに思っていた。こんなに苦しいなら、もういっそ――
――ラディ。
死を意識する度に思い浮かぶのは、セルジュ兄上の顔。おれが死んだら、きっと兄上は泣く。兄上を悲しませたくない。これまでは、その一心で生きてきた。
――私はラディアス様と一緒に生きていたいんです。
いまは泣く人がまた一人増えた。ユミナだ。ユミナも泣く。自分のせいで泣かせてしまう。それはダメだ。生きたい。なんとしてでも生きなければ――
「ラディ。起きなさい。しっかりするんだ。悪夢はもう終わったよ」
闇の底でもがいていたとき、セルジュ兄上の声が聞こえた。
額に誰かの手が触れた。
手のひらから温かい何かが流れ込んでくる。
この感覚は知っている。兄上が回復魔法をかけてくれているのだ。おれが体調を崩したときはいつもそうしてくれていたように。
――そこでようやく、目が覚めた。
「…………」
やけに重く感じる瞼を苦労して持ち上げる。
おれはサロンではなく、自室のベッドに横たわっていた。
おれの左手は誰かに強く握り締められているが、相手を確認する気にならない。
頭がぼうっとする。乾ききった喉が痛い。全身が腐り落ちるような、酷い倦怠感に蝕まれていた。
「大丈夫? 私のことがわかる?」
ベッドの右側からおれを覗き込み、兄上は手を下ろしながら問いかけてきた。
「……はい」
掠れた声で返事をすると、兄上は安堵の息を吐いた。
「ああ、良かった。これも全部ユミナのおかげだ。ユミナがいなければどうなっていたことか……」
兄上は目を潤ませ、ベッドの逆側を見た。
視線だけ動かしてそちらを見れば、ユミナがベッドに突っ伏していた。
彼女の顔は白い。呼吸音も弱々しく、衰弱しきっているようだった。
それでも、ユミナはおれの手をしっかり握っている。皮膚に彼女の指が食い込み、痛みを覚えるくらいだ。絶対に離したくない、離してたまるものか――そんな強い意志を感じた。
――覚えている。思い出した。
白く霞んだ視界の中、ユミナが必死の形相で針を刺していたことを。
《魔力譲渡》はなんとか発動したものの、これまでと違って、おれはユミナに流し込む魔力量を調整する余裕などなかった。
それでも、彼女はこれまでの比ではない過負荷と苦痛に耐え抜き、おれのために頑張ってくれたのだ。




