32:狂乱
「おれに構わなくていいと言っただろう。心配せずとも、ユミナのスカーフのおかげで、おれはあれから健康そのものだ」
「まあまあ、そう仰らず。是非飲んでください。お身体を癒し、魔力の巡りを整える薬草茶です」
一週間後の放課後、私は蒼星館のサロンにいた。
サロンにいるのは私とラディアス殿下だけだ。たまには二人きりで静かにお茶を飲みたいと頼むと、渋々ながらラディアス殿下が使用人たちを下がらせてくれた。
セルジュ殿下はまだ帰らない。この日は三年生の授業数が一年生や二年生より一時間多いのだ。だから私はこの日を狙ってここに来た。
「さあ、どうぞ」
私は深緑色の液体で満たされたティーカップをテーブルに置いた。
「……ありがとう」
仏頂面ながらも、ラディアス殿下はお礼を言ってティーカップを持ち上げた。
「……変わった匂いだな。甘酸っぱいような……果実のような香りがする」
「良い香りでしょう?」
私は自分用のティーカップに薬草茶を注ぎながら微笑んだ。
「まあな。これまで飲んできた数多の苦い薬草茶よりは美味しそうだ。肝心の味はどうか知らないが」
ラディアス殿下はティーカップに口をつけた。
「どうですか? 問題なく美味しいでしょう?」
実験結果を確かめる科学者のような気分で、ラディアス殿下を見つめる。
「ああ。美味い。薬草茶が全部これならいいんだけどな」
気に入ったらしく、ラディアス殿下は薬草茶を飲み続けた。
私は微笑みながら薬草茶を飲んだ。味も含めて完璧に調合したのだ。まさかイルセリが入っているなどとは思うまい。
――この世に生きる魔法使いにとって、イルセリは魔力を倍増してくれるありがたい薬草だけれど。元より魔力過多で苦しんでいるラディアス殿下にとっては、ただの劇薬なのよね。
和やかに会話していたラディアス殿下の顔色が変わったのは、しばらく経ってからだった。
「な……なんだ? 身体が、急に、熱く……まさか、……」
愕然とした様子で、ラディアス殿下は空になった自身のティーカップを見つめた。
――ああ、やっぱり気づいたか。
というのも、ラディアス殿下は幼少時に誤ってイルセリ茶を飲んで死にかけたことがあるのだ。『誤って』とされているが、真相は第一王女ミリエルか第一王子アイザックの仕業だという噂がある。
魔力が強すぎるあまりに度々暴走を起こしてきたラディアス殿下は王宮の厄介者で、隙あらば消そうとする一派がいるのだ。
「まあ、大変! 私としたことが、誤ってイルセリを混ぜてしまったのかもしれませんわ。殿下、本当に申し訳ございません。すぐに――すぐに癒しますから」
私は慌ててみせながら、ラディアス殿下に触れようとした。前回イルセリ茶を飲んで死にかけたときも私が癒して差し上げた。
だから、今回も同じことをしようと思っただけなのに。
「触るなっ!!」
「きゃあ!!」
強く突き飛ばされた私は、たたらを踏んだ。
まさか突き飛ばされるとは思わず、唖然とラディアス殿下を見る。
ラディアス殿下は苦しそうに息を荒らげながら、震える手で左手首に巻いたスカーフをつかんだ。
――聖女である私より、スカーフにすがるというの?
大変にプライドが傷ついた。
「あっ」
私はよろめいたふりをして手を伸ばした。ラディアス殿下の手からスカーフを毟り取り、ソファの向こうへ放り投げる。弱ったラディアス殿下は取りに行くこともできまい。
ラディアス殿下は反射的な動きで立ち上がろうとして――足に力が入らなかったのだろう。そのまま崩れ落ち、テーブルに突っ伏した。
ガシャン、と食器類が耳障りな音を立てる。
割れたティーカップの破片が飛び散り、ラディアス殿下の右手に赤い線が生まれた。
「ぐ、……あ」
胸を押さえた殿下の肩が痙攣し、息の音が掠れた。
整った顔立ちは高熱のために朱に染まり、長いまつ毛の影が頬に落ちている。
汗に濡れた白髪が額に貼りつき、眉間には深い皺が刻まれていた。
――そう、この姿こそラディアス殿下の正しい姿だ。
私は目の前で悶え苦しむラディアス殿下を見て歓喜した。自分の足で力強く立ち上がり、陽の下で健康的に笑う姿などラディアス殿下には似合わない。傷つき、弱った姿こそラディアス殿下のあるべき姿だ。それでこそ、治療のし甲斐があるというもの。王子である彼を癒してこそ、聖女たる私の評価も上がるのだ。
「申し訳ございません。突き飛ばされた衝撃で足元がふらつき、手が滑ってしまいました」
私は悪くないと弁解しながら、ラディアス殿下に歩み寄る。
「ご安心ください。スカーフがなくとも大丈夫です。ここには私がいますもの。聖女の名にかけて、どんな苦しみも痛みも取り除いてみせます」
絨毯に跪き、ラディアス殿下に手をかざす。
ぽうっ――と、金色の淡い光がラディアス殿下を包み込む。
これで大丈夫。万事解決……の、はずだったのだが。
不意に、バチバチと、何かが弾けるような音がした。
次の瞬間、ラディアス殿下の身体から迸った金色の稲光が部屋中を貫き、猛烈な風が吹いた。
「きゃあっ!?」
稲妻に触れた手が熱と痛みを訴える。
沸き起こった風に身体ごと押し流されて、私は大きく後退せざるを得なかった。
な、何? ラディアス殿下の身体から風と稲妻が?
これはまさか、体内で抑えきれなくなった魔力が暴走しているの?
馬鹿な。予想外だ。昔イルセリ茶を誤飲したときは酷く苦しむばかりで、こんな超常現象が起きたりはしなかったのに――
――そうか!
あの頃より年月を重ねた分、ラディアス殿下の魔力量も増えていたのだ。イルセリ茶を飲ませて魔力を倍増させてしまえば、私の回復魔法では手に負えなくなる。その可能性をすっかり忘れていた。
「ラディアス殿下、これでは近づけません! どうか魔力を抑え――」
――バチバチバチバチッ!!!
「きゃあああ!?」
ラディアス殿下を中心として放射状に広がる雷に撃たれそうになり、私は部屋の端まで逃げた。
こんなに距離が開いては、回復魔法をかけられない。
しかし、吹き荒れる風と雷が行く手を阻む。
かなりの重さがあるはずの椅子が冗談のように吹き飛び、壁に激突して壊れた。
「な、なんなのですか――なんなのですかっ!? こんなことになるなんて知りません!」
ラディアス殿下は相変わらずテーブルに突っ伏している。
体内で暴れ狂う魔力を抑え込むことに必死で、とても動く余裕はなさそうだった。
しかし、私の予想に反して彼は動いた。
震える手を動かして自分の首飾りを握り、力任せに引っ張って鎖を引きちぎったのだ。
「……?」
この非常時に首飾りなど持って、何がしたいのだろう。
あの首飾りの中には家族の似姿でも入っているのだろうか?
訝る暇もなく、ラディアス殿下は首飾りを床に落とした。糸の切れた操り人形のように倒れ、それきり動かない。
――まさか、死んではいないわよね?
肝が冷えたが、ラディアス殿下の肩は呼吸に合わせて上下している。いまにも死にそうな有様だが、かろうじて生きてはいるようだ。
「殿下! 起きてください! 風と雷をなんとか――ひっ!?」
飛んできた花瓶が頭を直撃しそうになり、亀の子のように首を縮こめる。
「も、もう嫌です! なんなのですかこの魔力量は! 冗談――冗談ではありません! 学園どころか王都一帯を消滅させる気なのですか!?」
「――なんの騒ぎですか!?」
半泣きになりながら頭を抱えて震えていると、ユミナ様が部屋に飛び込んできた。




