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恋人『役』の刺繍令嬢ですが、気づけば王子の最愛になっていました  作者: 星名柚花


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31:聖女様はお困りです

 目を開けると、見覚えのある天井が広がっていた。

 モスグリーンのカーテン。花の紋章が描かれた壁紙。全て知っている。間違いない。ここは蒼星館の客室だ。

 私は勢いよく起き上がり、前と同じように水差しを傾けて水を飲んだ。


 喉を潤した後で侍女を呼び、着替えを済ませて部屋を飛び出す。

 ラディアス様とセルジュ様はサロンではなく、居間にいた。

 紅茶とお菓子が用意されたテーブルを挟んで、向かいにはロザリア様が座っている。


「ユミナ。目が覚めたんだね、良かった」

 セルジュ様は安心したように微笑んだ。


「身体は大丈夫か?」

 ラディアス様は立ち上がり、心配そうな顔で歩み寄ってきた。

 彼の左手首には私が刺繍したスカーフが結ばれている。


「はい、大丈夫です。ラディアス様こそ、お身体の調子はいかがですか? そのスカーフは役に立ちましたか?」

「ああ。このスカーフを身につけていると、嘘のように身体が軽い。ありがとう」

 ラディアス様は左手を上げて破顔した。


「良かった!」

『魔力吸収』の魔法陣はラディアス様の魔力を良い具合に吸収してくれているようだ。苦労した甲斐があった。


「ユミナ様は素晴らしい偉業を成し遂げられました。さきほど見せていただいたのですけれど、よくあんな難しい図案を三種類も刺せましたわね。きっと大変な努力をされたのでしょう。敬服いたします」

 ロザリア様は穏やかに微笑んでいる。


「ユミナ様のおかげで、私はお役御免になりました。もう毎日来なくていいとキッパリ言われてしまいましたの。少々寂しいですわ」

 ロザリア様は頬に手を当て、微笑を苦笑へと変えた。


「お前にとっては良いことだろう。もしまた体調を崩したら、そのときは遠慮なく呼ばせてもらう。だからもう必要以上におれを気に掛けるな。これからはおれ以外の事柄に目を向けるようにしてくれ」

「そうですね、そういたします。それでは、私はこれで失礼しますね」

 ロザリア様は立ち上がって一礼した。


「もう帰られるのですか?」

「はい。皆様の楽しいひと時をお邪魔するわけにはいきませんから」

 ロザリア様は微笑み、案内役の侍女と一緒に歩き始めた。


「ロザリア」

 部屋を出ようとしたロザリア様の背中に、ラディアス様が声をかけた。


「はい、何でしょう?」

 青いドレスの裾と艶やかなプラチナブロンドを揺らして、ロザリア様が振り返る。


「いままでありがとう。おれは何度もロザリアに救われた。感謝してる」

 ラディアス様はロザリア様の目を見つめて、真摯にそう言った。


「まあ、ラディアス殿下。そのような畏まったご挨拶はおやめください。まるでこれきりのようではありませんか。私たちの縁はこれからも続くのですよ? 忘れないでください」

「そうだね。やはりロザリア嬢の回復魔法は貴重だ。いざというときは、ラディの助けとなってほしい」

「もちろんですわ。それが私の役目ですから」

 セルジュ様の言葉にニッコリ笑って、ロザリア様は去った。


 ◆   ◆   ◆


 ――とても困ったことになったわ。


 寮の前へと辿り着いた私は、無意識にため息を零していた。

 去年はセルジュ殿下と同様に王宮から馬車で登下校していたけれど、今年からは寮暮らしをしている。


 ラディアス殿下が学園の敷地内にある蒼星館で暮らされるなら、少しでも近い距離にいたほうが動きやすい。目と鼻の先にいれば、助けを求められたときに素早く駆けつけることができる。


 そんな風に、私はいつだってラディアス殿下を最優先にしてきた。国王に聖女として召し上げられた日から十年以上、私は毎日のようにラディアス殿下の様子を見に行き、調子の悪そうな日はもちろん、良さそうな日であっても回復魔法で癒してきた。きっとラディアス殿下も、常日頃から献身的に尽くす私に感謝してくれていると思っていた。


 ――ああ、それなのに……。

 もう毎日来なくていいと言われてしまった。これまで何度もそう言われたけれど、今回は本気だろう。特別な刺繍が施されたスカーフがあるから、私はもう要らないらしい。


「どうしましょう……」

 寮の玄関ホールを歩きながら、再びため息をつく。


 こうなったのも全てユミナ様のせいだ。ユミナ様が刺繍魔法なんて余計なものを習得したから、ラディアス殿下に不要と判断されてしまったではないか。


 頬だけが赤い病人特有の真っ青な顔、苦しそうに喘ぐ姿、熱で潤んだ瞳――全てが失われてしまう。ラディアス殿下が哀れな病人でなくなったら困る。健気に介抱する私が周囲から賞賛されることもなくなってしまうではないか。癒す相手がいなければ聖女は聖女足り得ない。それがラディアス殿下にはわかっていないのだ。


「困ったわ……」

 どうにかあのスカーフを奪えないかしら。

 いや、たとえ奪ったところでユミナ様がまた作るだけよね。


 では、どうにかしてユミナ様にいなくなってもらう?

 でも、首謀者が私だと露見すれば身の破滅だ。

 奉仕と献身を信条とし、清廉潔白で慈悲深い聖女は、間違っても人殺しなど企んではいけない。


「うーん……」

 金の手すりのついた階段をのぼりながら、私は小さく唸った。

 スカーフなど無価値、私のほうが役に立つと思っていただくにはどうすればいいのだろう。


「あの刺繍魔法はどれほどの効果があるのかしら。さすがにラディアス殿下の魔力が倍増したら耐えれないのでは……?」


 そうだ、イルセリ茶を使ってラディアス殿下の魔力を倍増させてしまえばいい。きっとあの魔法陣はラディアス殿下の魔力を吸収しきれずに崩壊するだろう。そこで私の出番だ。私が回復魔法で完璧に癒して差し上げれば、ラディアス殿下は考えを改め、私を再び傍に置こうとするはず。


 素晴らしい思いつきに頬が緩む。

 鼻歌でも歌いたい気分で踵を返し、ついさっき上がってきたばかりの階段を下りた。

 二階へ到着して廊下を進み、目当ての部屋をノックする。


「はい――えっ、ロザリア様? どうされたんですか?」

 驚いたような顔で部屋から出てきたのは子爵令嬢ゾーラ・ロースターだった。

 三年前、私は病にかかったロースター子爵を回復魔法で治したことがある。

 それ以来、ゾーラは聖女様聖女様と、子犬のように私を慕ってくれる。

 素直で純粋な彼女は、私の自尊心を満たしてくれるお気に入りの下級生の一人だ。彼女なら、多少の無茶な頼み事も聞いてくれるだろう。


「突然ごめんなさいね。あなたに折り入って頼みがあるの。あなたの領地は薬草栽培が盛んでしょう? 『シェラフ』という薬草は扱っていないかしら?」

 お身体の弱いラディアス殿下のためにと、私はこれまで色んな薬草を研究し、調合してきた。

 その過程で知ったのだ。

 イルセリの強い匂いは、シェラフが打ち消してくれることを。


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