30:ユミナ、頑張る
翌週の休日、私は蒼星館のサロンにいた。
私の手の中には刺繍枠をつけた白いスカーフがある。
スカーフには既に『安定』と『増幅』の魔法陣を描いていた。
私はこれから『魔力吸収』の魔法陣を描き、2つの魔法陣と連結させることに挑戦する。
言うまでもなく大仕事だ。果たして上手くできるだろうか。
「準備はいいか?」
深呼吸していると、私の隣でラディアス様が言った。
向かいのソファに座るセルジュ様と同じく、ラディアス様が私を見る目は不安そうだ。
「ユミナには大きな負担を強いることになる。辛くなったら、無理せず手を離せ。失敗しても気にしなくていい。ロザリアの回復魔法があればおれは生きていけるんだ――」
「いえ。やります。この日のために頑張ってきたんです。意地でも最後まで縫い上げてみせます」
すうっと息を吸い込んで、私は刺繍針と魔糸を取り上げた。
「魔力をください」
決意を込めて、ラディアス様を見つめる。
「…………」
ラディアス様は何か言いたそうな顔をしたものの、私の背中にそっと手を押し当て、呪文を唱え始めた。
私とラディアス様の胸元に全く同じ魔法陣が浮かび上がる。
背中に押し当てられたラディアス様の手から魔力が流れ込んでくる。魔力は熱となって私の身体を燃え上がらせた。
「……!」
針を握る手が震え、噴き出した汗が頬を伝う。
「大丈夫か?」
「……はい。だい、じょうぶ……です」
私は歯を食いしばって答えた。
本当は全然大丈夫じゃない。体内を縦横無尽に暴れ狂うエネルギーの波に耐えられず、気絶したいと身体が悲鳴を上げている。
――いいえ、呑気に気絶してなどいられない!! 私はラディアス様を助けると決めたんだから!!
魔糸を指にかけて、まずは魔力を込める。心臓から腕、指先へ――いつもはそんなイメージが必要だけれど、イメージする前に魔糸はいつになく強く光り輝いた。
どうやらラディアス様から供給されている膨大な魔力のおかげで、イメージせずとも勝手に魔力が流れ込んだらしい。
――さあ、やるぞ!!
大きく息を吐いて、吸う。
それから、狙いを定めた一点を針で突き刺した。
刺し始めを縫い、これからが本番だ。
針が布を突き抜ける音が、やけに大きく私の耳に響く。
時間の感覚が溶ける。
思考は針先の一点だけに集中し、ただただ下絵通りに縫うことに専念する。
『魔力吸収』の図案は狂気としか言いようのない難しさ。
曲がりくねった線と直線、かと思えば楕円や同心円。複雑な幾何学模様も描かなければならない。
それでいて、針を刺す角度が一度でも狂えば魔法陣そのものが破綻する。
針を刺し、糸を引く。
刺し、引く。
ただそれだけの動作に、己の全てを賭ける。
――よし、この輪を閉じれば終わる……!!
針を突き刺して魔糸を引き、外側の大きな輪を閉じた瞬間、魔法陣が虹色に光り輝いた。
「――!!」
『魔力吸収』の効果が発動し、魔法陣を構成する魔糸に込められた魔力を、魔法陣の紡ぎ手である私の魔力を――容赦なく奪おうとしてくる!!
「ラディアス様、もっと魔力をください! 遠慮はいりません!!」
私は叫んだ。このままでは魔力を根こそぎ食いつくされる。もっと大きな魔力が――魔法陣でも食いつくせないほどの膨大な魔力が必要だ。
「本当に大丈夫なんだろうな……!?」
横から聞こえたラディアス様の声には、不安と心配が等しく入り混じっていた。
直後、これまでとは比較にならないほどの――凄まじく濃密な魔力が私の体内を蹂躙した。
「…………!!」
目の奥で火花が散った。
強いお酒を飲んだときのように、身体がカッと熱くなり、頭がクラクラする。
頬の肉を嚙み潰すことで、飛びそうになった意識を保った。
――耐えろ、あともう少し。あと、もう少しだから……!!
震える手で針を操り、『魔力吸収』と『増幅』の魔法陣を連結させていく。
針が踊る度に、虹色の光の粒子がキラキラと宙を舞う。
ぜえはあと呼吸を荒らげながら、私は夢中で手を動かす。
顎から汗が滴り落ちた。
見えない力で圧迫されているかのように胸が苦しい。
――あと一つ、『安定』の魔法陣と連結させれば終わる……!!
意識が朦朧とする。視界は白く狭まり、もはや映るのは針先だけ。
私は乾き切った喉に唾を送り込み、息を吸って、最後の針を刺した。
――よし、全ての魔法陣が繋がった。後は糸を始末するだけ……!!
震える手でハサミを持つ。
ぱちん——小さな音と共に、魔糸が切れた。
――終わった……!!
気が抜けたせいで、意識が飛びそうになった。
全身から力が抜け、視界がぐらりと傾く。
あ、倒れる――と思ったけれど、ラディアス様が後ろから抱き留めてくれた。
膝に落ちた針と、刺繍枠がついたままの布地は、セルジュ様が回収してくれたようだ。
いつの間に近くにいたのだろう。刺繍に集中しすぎて、セルジュ様がソファから立ち上がっていたことに全然気づかなかった。
「よくやってくれた。本当に……よく……」
耳元で聞こえるラディアス様の声は震えているようだった。
まさか、泣いているのだろうか。いまラディアス様はどんな顔をしているのだろう。気になる。見てみたい――でも、無理だ。水に落としたインクのように、意識が拡散していくから。
「……へへ。私、頑張りました……」
私はふにゃりと笑い――ラディアス様の腕の中、晴れやかな気分で気絶した。




