26:夜、二人きりの天文室で
学園には立派な天文室がある。
ちょうど空いたということで、私はラディアス様と共に足を踏み入れた。
天文室の天井は半球状の大窓になっており、澄んだ夜空が一面に広がっている。
中央の床には巨大な望遠鏡が据えられていた。
「すごーい! 私、こんなに大きな望遠鏡を見たのは初めてです!」
私は大感激し、胸の前で手を組んだ。
「ラディアス様、是非ご覧ください」
「……ああ。星が流れる様子がよく見える」
そう言いつつも、ラディアス様はすぐに身体を離した。
レンズを覗き込んでいた時間は、恐らく一分にも満たなかっただろう。
「私に遠慮することはありませんよ。もっとよく見てください。せっかくの望遠鏡です」
「いい。望遠鏡なら王宮にもある。星好きのオーウェル兄上がわざわざ外国から取り寄せた、これよりもっと大きくて、性能の良いやつがな」
「さすが王子……」
「だから、おれよりユミナが見ろ」
場所を譲るように、ラディアス様は二歩下がった。
「……では、遠慮なく」
私は望遠鏡の正面に立ち、レンズを覗き込んだ。
濃紺の空を、銀色に輝く星が尾を引きながら次々と駆け抜けていく。
「すごい……綺麗……」
あまりの美しさに、語彙力が低下した。
「ご存じですか、ラディアス様。星はとても遠いところにあるから、光が届くまで長い時間がかかるんです。私たちが見ているのは、遥か昔の輝きなんですよ。そんな遠い過去の光がいまこうして私たちの目を楽しませてくれているなんて、なんだかロマンチックだと思いませんか?」
流れる星々を見つめながら、私は微笑んだ。
「東方では『流れる星が消えてしまうまでに三度願いを唱えることができれば、その願いは叶う』という言い伝えがあるそうです。ラディアス様は、星にかけたい願いはありますか?」
「ないな」
ラディアス様の返事は淡白だった。
「そんなロマンのないことを仰らず――」
「何度神に願っても叶わなかったんだ。星に願ったところで叶うとは思えない」
私は思わず、レンズから顔を上げてラディアス様を見た。
ラディアス様は天窓を見上げ、何とも言えない顔をしていた。
それは、見ているこちらが切なくなるような表情だった。
「……願い事は、『魔力過多症が治るように』……ですか?」
「ああ。物心つく前から、おれが何度魔力の暴走で死にかけたと思ってるんだ。周りはみんな、腫れ物のようにおれを扱った。蔑む者もいたが、大半は憐れみの目でおれを見たな。おれはその目が嫌だった。弱者に対する労りの目だ。可哀想だと言われるたびに、自分が酷く惨めな存在であるように思えた」
ラディアス様は床に腰を下ろし、立てた片膝に腕をかけて星空を見上げた。
「学園では見下されたくなかった。憐れまれるよりは嫌われるほうが良かった。だから、おれに近づこうとする者は誰であろうと睨みつけて、孤立した。そのほうが気が楽だったんだ。他人と交流するのは疲れるから、何もかも拒絶して殻にこもった」
「…………」
何を、言えばいいのだろう。わからない。
幸いにも健康に生まれた私には、ラディアス様にかける言葉が見つからない。
ただ立ち尽くしていると、ラディアス様はふっと笑った。
「この前、ユミナはおれに言ったな。恋人役が必要だと言うのなら、何故兄上はロザリアに頼まなかったのだろう。不思議だと」
「……はい」
だって、私よりもずっと、ロザリア様のほうが恋人役に相応しいと思ったのだ。外見的にも、性格的にも。
それに何より、ロザリア様には回復魔法がある。魔力過多症に苦しむラディアス様を癒せる回復魔法が。
セルジュ様に聞いたのだけれど、ロザリア様はラディアス様の婚約者候補筆頭らしい。
それはそうだろう。私がラディアス様の親だったなら、婚約者にはロザリア様を選ぶ。
できることなら、ロザリア様には生涯、ラディアス様をそばで助けて差し上げてほしいと思うもの。
ロザリア様はラディアス様を憎からず思われているご様子だった。
もしもラディアス様の恋人役を頼まれたなら、喜んで引き受けたと思うのだけれど……。
「兄上はとうに気づいておられたんだろう。おれがロザリアを嫌っていることに」
「……どうしてですか? ロザリア様は素晴らしいお方なのに」
「そうだな。ロザリアは献身的に尽くしてくれる。おれが少しでも体調を崩せば、どこからでも飛んできてくれる。表面的に見れば、本当に、素晴らしい女だと思う。優しく、可憐で、慈悲深い。非の打ち所がないほど良い女だ。……でも……」
ラディアス様はそこで、口をつぐんだ。
「……なんだろうな。ロザリアといると、気分が落ち込むんだ。父上やイナンナはこれまで何度となくおれとロザリアを婚約させようとしたが、おれが強く拒否した」
『イナンナ』というのは、第二王妃の名前だ。一人の王女と四人の王子を産んだ第一王妃ソランジュ様は十四年前に亡くなっている。
「一度、本当に婚約させられそうになったときは、ロザリアと結婚するくらいなら死ぬと言い張り、なんとか諦めてもらった。でも、学園を卒業したらまた言われるんだろうな……」
ラディアス様は憂鬱そうに目を伏せた。
「……どうしてそこまで嫌われるのですか?」
困惑した。ロザリア様が嫌われる理由が全くわからない。
「理屈じゃない。感覚の問題なんだ。たまに、皆が天使のようだと讃える微笑みに酷い違和感を覚えるときがある。皆には美しい笑顔に見えても、おれの目にはそうは見えない。どこか歪んだ、不気味な笑顔に感じる」
自嘲するような笑みが、ラディアス様の口元を掠めた。
「……やっぱり、おれは病気なんだろうな。何度も自分を救ってくれた相手に、こんな感情を抱くなんて。でも……どうしても、ロザリアが苦手なんだ」
「…………」
私は何も言うことができなかった。
だから、ただ黙って、流れ星を見つめるラディアス様のそばにいた。
そばにいることしか、できなかったから。




