21:国一番の刺繍魔法の使い手
「問題ないと思う」
しばらく無言で図案と刺繍を見比べていたセルジュ様が、布を下ろして言った。
細く長い指で眉間を揉んでいるのは、私と同じ理由で目が痛くなったからだろう。
「凄いな。これほど複雑な刺繍を、よく刺した」
セルジュ様と一緒に刺繍を眺めていたラディアス様が、私に顔を向けて微笑んだ。
「お褒めいただき光栄です」
私は謙遜しつつも、密かに胸を張った。
「それでは、これがただの美しい刺繍ではなく刺繍魔法であるかどうか確認してみようか」
セルジュ様の声が聞こえて、ピリッと、場に緊張が走った。
そうだ。図案通りに刺繍できたところで、それはただの刺繍でしかない。
肝心なのは魔法が発動するかどうかだ。これまで刺繍魔法に挑戦した何人もの人が、魔法が発動せずに涙を流してきた。私もその中の一人で終わるかもしれない。
「これが刺繍魔法であるなら、刃が通りにくいはずだ」
セルジュ様はテーブルの上の小さな鋏を手に取った。
「…………」
心臓が早鐘を打ち始めた。
手のひらに汗が滲み、ついさっき紅茶で潤したはずの喉が干上がる。
魔法が発動しなければ、セルジュ様の薬草茶も、禁を犯して魔力を譲渡してくださったラディアス様の行為も、全てが無意味に終わってしまう。
――お願い、どうか、どうか、魔法が発動しますように――
手を組んで祈っている間に、セルジュ様は布に鋏を入れた。
いや――入れようとしたのだろう。
でも、見えない力が働いているかのように、刃は布から数ミリの距離で留まり、それ以上動こうとしなかった。
「兄上? 何をしているんですか?」
鋏を握ったままプルプルと震えているセルジュ様を見て、ラディアス様が眉をひそめた。ふざけているのかと思ったらしい。
「いや、これ以上動かないんだ。疑うなら、ラディもやってみてごらん」
「動かないって、そんなわけないでしょう。たとえ魔法が発動したのだとしても、『刃を通しにくくなる』だけであって、『刃を通さない』なんて聞いたことが……」
セルジュ様から鋏と布を受け取ったラディアス様は、鋏で布を切ろうとして、そのまま固まった。
「……嘘だろ。切れない!?」
「ねえ!? 凄いよね!? 『刃を通しにくくなる』どころか『そもそも切れない』んだよこの布は!! 驚いたよ、ユミナは私の期待以上だった!! 間違いなく、国一番の刺繍魔法の使い手だ!!」
セルジュ様は興奮したように立って叫んだ。透き通ったエメラルドグリーンの瞳は、今日の太陽に負けないくらいに輝いている。彼がこれほど喜ぶのを見たのは初めてだった。
「えっ、私、凄いですか? そんなに凄いんですか?」
胸の前で拳を握って立ち上がる。そんなに喜ばれたら、私だって喜ばずにいられない。刺繍魔法が使えた上に、国一番の使い手だとまで言われたのだ。人の目がなければ小躍りしたい気分である。
「ああ! もしかしたら、ユミナなら……」
セルジュ様は何か言いかけて、続きの言葉を飲み込んだ。
そして、私の傍までやってくる。
「ユミナ、君に頼みがある。これから刺繍魔法の経験を積んでほしい。それこそ、どんな複雑な図案も縫えると自信を持って言えるくらいに、毎日欠かさず訓練してほしいんだ」
「わかりました。ただ、理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
一体何を言いかけたのか、気になって仕方ないのだ。
「もしかしたら、ユミナの刺繍魔法はラディを救うことに繋がるかもしれないんだ」
セルジュ様の顔は真剣そのものだった。
「!!」
「おれですか? 何の話です?」
一人だけソファに座ったままのラディアス様が不思議そうな顔をしている。
それには構わず――というか、構う余裕などあるはずもなく――私は目を剥いて固まった。
セルジュ様が私に何をさせたいのかはわからない。
でも、それがラディアス様のためになることだというのなら、私の答えは一つしかない。
「わかりました。私は刺繍魔法を極めてみせます。必ず」
決意を込めて言う。
「ありがとう。よろしく頼むよ」
セルジュ様は微笑み、テーブルに置かれたままの布を持ち上げた。
「さて。せっかく素晴らしい効果のある刺繍をしてもらったわけだし、この布はラディの服にでもしてもらおうかな。君、頼める?」
セルジュ様は使用人の一人に布を渡した。
使用人は他の人たちと顔を見合わせて、それからおずおずと言った。
「……申し訳ございません。刃が通らなければ、裁縫できないと思うのですが……」
「「あ」」
私とセルジュ様が上げた声は、綺麗に重なった。
「……一つ学びを得た。これから『防刃』の魔法効果がほしいときは、布ではなく、完成した服に刺繍してもらうね」
「はい」
私はセルジュ様と同じような苦笑いを浮かべたのだった。




