11:王子を蝕む不治の病
「……はい。謹んでお引き受けいたします」
はにかみながら微笑む。
もはや、何故ラディアス殿下が私を恋人役に選んだのかなんてどうでもいい。
望まれているのなら、演じるだけだ。それがどんなに分不相応な役であっても。
「それは良かった。――こんな恥ずかしい台詞、二度と言わないからな」
ラディアス殿下は顔をしかめ、教室に向かって歩き出した。
斜め後ろから見るラディアス殿下の頬は、ほんのちょっとだけ赤い。
相当に恥ずかしかったようだ。
多分、セルジュ殿下に――もしかしたらベル姉様にも――そう言うように指導されたんだろうなあ。
そんなに恥ずかしいなら嫌だと突っぱねればいいものを、素直に聞き入れて実行するあたり、意外と可愛いところがあるのかも?
廊下を歩きながら、私はこっそり笑った。
「それは残念です」
「まさかとは思うが、もう一度聞きたいのか?」
「そうですね。これからお互い、恋人らしく振る舞わなければならないわけですし。周囲に仲睦まじさをアピールするために、演技として甘い言葉を囁き合うというのもアリなのでは?」
「誰が囁くか。調子に乗るな」
「すみませ――あっ」
私は声を上げて、その場に停止した。
立て続けに衝撃的なことを言われたせいで、ポケットの中のハンカチのことをすっかり忘れていた。
「なんだ?」
ラディアス殿下が不思議そうに立ち止まり、私を見る。
「驚かせてすみません。お渡ししたいものがあったことを忘れていました」
私はポケットからハンカチを取り出し、ラディアス殿下に差し出した。
「よろしければ、受け取ってください。ラディアス殿下の紋章を刺繍してみたのです。気に入ってくだされば良いのですが……」
片手でハンカチを受け取って、ラディアス殿下は眉をひそめた。
「……本当にお前が刺繍したのか? 針子に頼んだのではなく?」
「お疑いになるのなら、殿下の目の前で全く同じ図案を刺繍しますよ? 刺繍に限らず、針仕事は得意なんです。採寸させていただけるなら、殿下に似合う服だって作ってみせます」
元・針子としてのプライドにかけて言う。
リース男爵家では刺繍もしたけれど、服も作ったりしたのだ。
ただ、お母様に「服まで作るのはやりすぎ」と言われたため、刺繍ばかりするようになり、結果的に刺繍が一番得意になった。教会に出した慈善バザーでも、私が刺繍した作品は全て高評価を得ている。
「……いや、疑って悪かった。あまりに見事だったから。凄いな、お前の腕は」
「……ありがとう、ございます」
褒められて、頬と胸の奥がポッと温かくなった。
「こちらこそ、ありがとう。使わせてもらう」
「はい。引き出しにしまわれるよりも、使っていただけたほうが嬉しいです。汚れたり、紛失されたときは、またお作りしますので」
ハンカチを大事そうに畳んでポケットに入れるラディアス殿下を見て、私は口の端を上げた。
「ひとつ、殿下にお願いをしてもよろしいでしょうか」
「ハンカチの代価というわけか。何がほしいんだ? 宝石? それともドレスか?」
心なしか、ラディアス殿下の視線と声音が冷たくなった。
「いえ。『お前』ではなく、ユミナと名前で呼んでほしいのです」
ねだるように、ダークブルーの瞳をじっと見上げる。
「……代価にしては随分と安いな。呼び方を変えるだけでいいのか?」
ラディアス殿下は意外そうな顔をしている。
私がハンカチ一つで高価な宝石やドレスをねだると本気で思っていたのだろうか。
心外だ。私はそんなに図々しい女ではない。
もしかしたらこれまで接してきた女性の中にそんな人がいたのかもしれないけれど、一緒にしてほしくなかった。
「いいえ。安くはありませんよ。私がいま一番ほしいものですから、私にとっては宝石やドレスよりも価値があるものです」
「…………」
ラディアス殿下は二、三度と瞬きを繰り返して――それから、気に入ったように笑った。
――あ、また笑った。
なんだろう。ラディアス殿下の笑顔を見ると、胸の奥がくすぐったくなる。
やっぱり、見慣れなくて新鮮だから、身体が勝手に過剰反応してるんだろうな。
「なら、交換条件だ。おれのことを『殿下』と呼ぶのは止めろ。他人行儀にしていたら、本当に恋人なのかと怪しまれる」
「……では、……僭越ながら、ラディアス様とお呼びさせていただきます」
私はギクシャクとした動きでお辞儀した。
「それでいい。ユミナ」
ラディアス様は頷いて、また歩き出した。
斜め後ろから、改めてラディアス様の顔を見る。
今日は顔色が良さそうで、ほっとした。
「……あの。ラディアス様。実は昨日、セルジュ殿下からラディアス様を蝕む病のことを伺ったんです」
近くに生徒はいないけれど、念のために小声で言う。
ラディアス様は数秒、足を止めた。
「……余計なことを……」
ラディアス様は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
それでも怒り出さないのは、自分のためを想っての行動だとわかっているかだろう。
「セルジュ殿下とのお約束通り、決して口外は致しません。けれど、事情を知る数少ない者の一人として、心配はさせてください。私にラディアス様の苦しみを推し量ることはできませんが……辛いときはきちんと休んでくださいね」
「……。休めば治るというわけでもないんだけどな」
呟いて、ラディアス様が歩き出す。
その後を追いながら、私はこっそりと息を吐いた。
――そう、不治の病だから問題なのだ。
どこかに治す手立てがあればいいのに……ロザリア様の回復魔法でも症状を緩和することが精いっぱいだなんて……一体どうしたら……。
「そんな顔をするな。症状には波がある。いまは調子が良いから大丈夫だ」
ぽん、と腕を軽く叩かれた。
「……それは良かったです」
言いながら、私は叩かれた個所を手で押さえた。
ほんの一瞬の接触だったけれど、まだラディアス様の手の温もりが残っているような気がする。
――願わくば、ラディアス様の体調が良い日がずっと続きますように。
心からそう祈った。




