第52話ー決戦の翌日
今年は冷夏なのかもな、と高下は思った。梅雨らしい梅雨が無いままに七月を迎えて、今日は朝から蒸すような暑気だった。
昼休み、高下は弁当を広げて手を合わせた。
「傷ついた身体を治すにはメシが一番だぜ」
「自警会の連中ってタフなんだな。昨日の今日で全員登校するとか。普通何日か休まないか。あんなことがあったらさ」
向かい合って座り同様に弁当を開けた光山が、ボヤきながら手を合わせた。
「そういうお前も来てんじゃん」
「いや俺怪我してないし」
「なぁ、操られてる時ってどんな感覚なんだ?心ここに在らずって感じか?」
「覚えてないんだよな、これが」
和気あいあいと昼食を取っていて、ふと高下は
隣の席を見て弁当箱を差し向けた。
「それで足りんの?オカズ一個食う?」
「大丈夫。少食なんだ」
解之夢一葉がいつもの無愛想な態度でパンを一個食べていた。
「なんというかさあ。あんなことがあったから俺はてっきり一葉は居なくなるのかなって思ってたんだけど、割とフツーに居るのね」
「僕らの目的はまだ何一つ達成できていないから。この身体には今も皆が居る。二花も三枝も、四季もね」
「ていうかさあ、解之夢の皆さんってすげぇ年上なんだよね。アラフォーだもんね。敬語にした方がいいっすよね」
「実年齢としてはそうだが、この身体は十八の頃のままなのだから、別に敬語はいらない」
「いやどっちみち年上やないかい」
「どっちみち敬語はいらない。僕は解之夢一葉として今は高校一年生だからね」
光山が白飯を頬張りながら聞く。
「ていうか戸籍上はアラフォーなのに、よく転校できたな」
「それは四季の『結んで開いて』の能力によるもものだ。対象者の感覚、常識、固定観念を改変できる。あらゆる関係者のそれらを改変させて僕は架空の高校からの転校手続きを済ませたし、三枝も普通に受験した体で入学した」
光山は「うへー」と仰天の声を上げた。高下も興味津々の表情で質問する。
「マジで無敵か。でも本間さんもお前も今年この学校に来た。そこには何か理由があるのか?不老が嫌になったのはつい最近とか?」
「不老を帳消しにしようと皆で考え出したのはもっと前さ。その時点で、三枝を入学させて自警会に入会させ、登録率を向上させる援助をしようとは考えていた。しかし問題はタイミングだった」
「タイミング?」
「現役の自警会のメンバーにどれほどのモチベーションがあるかが重要だった。四季の方針としては、僕らは助力する立場でしかなく、主体はあくまで現役の生徒だという考えだった。だから僕らは数年観察して待っていた。僕らの介入に関わらず、登録率百パーセントを目指す気概を持つ世代を」
言われて高下はピンと来た。
「…空見先輩?」
「そう。僕達は去年逸材を見つけた。一年生の空見さんだ。彼女は自分の目標として、百パーセントの到達に心血を注いでくれた。それも観察する限り彼女自身に他人を陥れようとする悪意は微塵も無かった。彼女はもう二度と現れないような人材だった。僕らは彼女を信じて翌年である今年に三枝を入学させた。空見さんは三枝をすぐに見つけて、自警会に加入させた」
「お前が転校してきた理由は?」
「校内を自由に動けるようになった三枝は、あることに気づいた。僕らの誰も予想していなかったことだが、撫川が教師としてこの学校に赴任していた。月日が経って見た目は変わったが間違いなかった。そして撫川が能力を使えていることにも観察して気づけた」
一葉は指で眼鏡を上げて思案げな面持ちをする。
「何故そんなことになったのかは、僕らでも分からない。僕らは最初に自警会なる集団を創設させただけで、目録のことで知っていることは君達と大して差は無い。それに重要なのは何故か、ではなくどうするかだった。僕らはより多く撫川を観察すべきだと考えて、僕を転校生として送ることとなった。僕と三枝は、必要に応じて身体を交換して活動するようになった。僕が主体で行動するようになったので、結果的に三枝は授業をほとんどサボるかたちになってしまったが、そこは『結んで開いて』で周囲の人の認識を改変させることで不審に思われないようにした」
「マジで便利だなその能力」
呟きながら高下はふと教卓を見た。昼休みなのでもともとこの時間に誰かがそこに居ることはないのだが、しかしそもそも朝から自分達の担任は姿を現していなかった。
「撫川先生はどうなるのかな」
階段で転んで大怪我をして入院したため、しばらく学校には来ないという報を朝方聞いていた。そういう風に四季が認識を改変させたことも知っていたが、気になるのは今後のことだった。
「撫川の記憶は改変されていない。彼女は今回のことを全てを覚えている」
語る一葉の表情はそれまでより少しだけ感情的で、どこか寂しげな面持ちだった。
「ただ彼女の欲に四季は蓋をした。彼女はもう、野望を抱こうと自らを奮い起こそうにも、もう何も沸き上がらない。彼女は夢も野望も欲も抱けず、ただ普通に静かに生きていくだろう。かつて夢に燃えていた記憶を残しながら、それでもどうしてもあの頃のような熱意を抱くことはできず、全てが過ぎ去ってしまった感覚を覚えながら生きていく。それが彼女への罰だ」
一葉が浮かべている薄らとした儚げな笑みは、そのまま撫川への情を表しているようだった。
「彼女は野心家で、僕達はそんな彼女を危険視していたが、でも一方でわりと気に入っていたんだ。彼女の危なっかしい野望、夢、欲をね。僕らは時として能力で遊んだ。僕の身体の中に皆で入り、特に意味も無く校内をブラついたりもした。撫川も僕の身体に右脚として入り、僕らは五人でまさに固まって動いていた。あの頃はまさに一心同体だった。僕らは同じ方向を歩んでいたし、同じ場所に集まって日々を過ごしていた。そこには紛れも無く、友情があった…」




