第50話ー初代
立ち上がろうとするが、脳震盪を起こしているのか膝がガクつき、起き上がりかけた身体がまた廊下に倒れ込んだ。
『致命拳』の顔面への直撃は、撫川の意識を奪い去るに十分な威力を有していたが、しかし恐るべき精神力で撫川は意識を保っていた。
「うぉ、うぉ、ううぁぅうあ」
動物のような呻きを上げて、どうにか立ち上がろうとする。
その時、足音がした。高下が音のした方を見ると、いつの間にか裏空間から出てきていた本間が、呆然とした表情でこちらに歩いてきていた。
「本間さん…なんで?」
高下の驚きの声を聞いて、撫川も震えながら振り向いて本間を見た。撫川も驚きを隠せないでいたが、しかしニタリと笑うと本間に呼びかけた。
「本間ぁ…そいつを殺せぇ、殺せぇ…殺…せ」
『無敵の人』による命令を本間に与える。どうやっても勝ちたいという執念の声だった。
しかし操られて思考を止めているはずの本間は、無表情のままであったが勝手に発言を始めた。
「これはもう既に『決着』だ」
抑揚の無い、平坦で静かな声だった。
「な…に…?」
「この勝負、高下くんの勝ちだ。戦いとは互いが全てを賭けること。それぞれが自分の勝利を確信するが、しかしそれでも勝負である以上は、必ず勝者が生まれて敗者も生まれる」
本間は感情のこもらない目のまま、撫川を見つめた。
「撫川、君は昔から野心が強かった。それが君の短所だとは思わない。むしろそれが君の強さだった。だが欲で戦う者は、より欲の強い者に負ける。ある種、自然の摂理だ」
「おまえは…なんだ…なんだ…お前…は…」
撫川が混乱する一方で、高下は気づいたことがあった。この冷静な喋り方、大人びた話し方はあの男を思わせた。
「まさか…解之夢か?」
その名前を聞いた本間が、高下を見た。
「君が尋ねている人物が解之夢一葉のことだとしたら、そうじゃない」
本間は言ったあとで自身の身体を眺め回して、そして付け足すように言った。
「しかしこの本間も、また解之夢だ。一葉の左腕に登録されていて、普段は一葉の中に居た」
高下は、言われてすぐには意味を呑み込めなかった。本間も解之夢?ずっと一葉の中に居た?しかし言われて気づいたことだが、一葉と本間を同時に見たことは、これまで一度も無かった。
以前に二花は解之夢とは総称で、グループであると言っていた。一葉と二花の他にもいるのかと聞いた時に言葉を濁していた。
その時の答えがこれだと頭で考えても、心が追いついてこない。ただ混乱の中でも思い出したことがあった。本間と知り合ったばかりの時に言われた言葉だった。
『私にとって、自警団は大事な居場所。これまでも、これからも。だからそれを脅かす人がいるなら私も頑張らないといけないし、皆の意志に応えないといけない』
その言葉を聞いた時、本間の言う『皆』とは、在校生の自警会メンバーのことだと思っていた。しかしそうではなかったのだ。
あの時本間の言った『皆』とは、解之夢達のことだったのだ。高下や空見よりも長い付き合いの仲間が、本間にはいたのだ。
そして目の前にいる人物は、話し方から察するに一葉でも二花でも本間でもない、また新たな解之夢なのだ。
「なんだ…おまえは、おまえは誰だぁ!」
理解不能ゆえに混乱と激怒に襲われている撫川が叫んだ。
「僕は、僕らは君の同級生だよ、撫川。君は覚えていないようだけどね。名前で気づかないのは無理もない。解之夢とは僕らが考えた仮の名前だから。僕らが抱える目録の『呪い』…この悪夢からの解放を目指している僕らの総称」
「撫川先生と同級生…?でも二花は元・自警会メンバーと自分で言ってたが…二十年前の自警会って…」
高下が思考を整理させるために呟くと、それを聞いた本間は静かに頷いた。
「そのとおり僕達は二十年前のメンバーだ」
話しているところで突然、本間の首がボキリと折れた。右腕、左腕、右脚、左脚と関節が曲がり始め、骨が軋む音が漏れ出す。
「たとえ覚えていなくても撫川、本来の姿を君に見せよう。僕は解之夢の左脚に登録されて、ずっと君達のそばに居た…」
そして本間ミエ…正確には『解之夢三枝』の身体が崩れ落ちた。左脚が捻くれて球形になり、それはやがて顔の輪郭を描き出した。他の脚も腕へ、腕が脚へと変容していく。変形に合わせて制服と変化していき、スカートが男子の履くズボンに変わっていっていることに高下は気づいた。
三枝の顔が胴体に埋もれて、新たな脚がそこから生えてくる。四肢の再構成を終えて、新たに現れた者が立ち上がった。
背が低めの細身の少年だった。髪も眉毛も白く、その瞳は紅玉のように赤かった。
「僕は解之夢四季。僕らは自警会の初代メンバー。そして僕は自警会の創始者だ」
高下も撫川も、唖然とするより他なかった。
「そ…そうししゃ…?初代メンバー…だと?」
撫川の声は震えている。
「撫川、君もまたそうだったんだよ」
狼狽えている撫川に、四季が語りかけた。先程までの無感情さに比べると、その話し方には僅かに感情が込められているように高下には聞こえた。
「わたし…が…?」
「君も当時、自警会メンバーだった」




