第5話-『無限鋭利』(スキャッタード)
痛みで呻いている相手を前に、高下は十分な時間を使って腰をひねり、腕を振りかぶった。
渾身の一撃を相手の頬に当て、そのまま殴り抜いた。
「うげっ…!」
廊下にすっ転んだ先輩を、高下は勢いを止めることなく駆け寄り、さらに蹴り飛ばした。
「ぐっ…」
「何で俺の能力を喪失させたいのかとか、解之夢を調べてたことを何で知ってんのかとか、そこらへん教えてもらってもいいすか」
答えないなら追撃するまで、とでも言いたげに片足を持ち上げている高下だったが、不意にかけられた死角からの声に意識が向いた。
「久場、そんな一年坊主に何を手間かけてるんだ」
廊下の十数メートル先を見る。こちらへ男が一人近づいてきていた。声の主の顔と姿を見て、高下は戦慄した。久場と呼ばれた目の前の不良と同様、制服を着崩して着ており髪は茶髪のウルフカット。しかしそれらより遥かに印象的なのは研ぎ澄まされたような冷徹な目付きだった。コンクリートを思わせる冷たい瞳に否応無く高下の身体は強ばった。
「すまん、尖角」
久場が頬を撫でながら弱々しい声で話しかけた。
「早くしないと空見達が来る。やるならやるんだ」
尖角と呼ばれた冷たい瞳の新手はそう言うと、流れるような動きで右腕を上下左右に振り始めた。
高下は見た。尖角の右手の先からか細い紐が出ているのを。そしてそこから発せられている何らかの脅威も同時に感じた。
恐怖に近い本能で、高下は飛び退いた。ほぼ同時に風を切るような音がして、眼前に鋭いものが通った感覚がした。
突如、消火器のグリップ部分が弾け飛び、カラカラと音を立てて廊下を転がった。久場が悲鳴を上げた。
「尖角!俺がいるんだぞ!」
「当たらないようにやってる」
尖角はさらに腕を振る。高下は今や、新手からさらに攻撃をかけられていること、その攻撃が糸のような何かであることを理解していた。
しかし攻撃が見えなさすぎた。数秒しか無い猶予の中で、ともあれ身を小さくせねばと倒れ込むように廊下の床にへばりついた。
下げた頭の真上から再び風切り音が聞こえた。壁にかけられていた木製の掲示板が、何かに切断されて下半分だけ廊下に落ちた。その有様を見て、尖角の糸の鋭利さを震えるほど理解した。
「やべぇ…!」
「いや、もう詰んでるよ、お前」
尖角の宣告のような言葉を飲み込む前に、右肩に違和感を覚えた。
肩を見ると、半透明の糸が脇の下をくぐって何重にも巻きついていた。改めて尖角を見ると、先程まで振っていた右腕ではなく、左腕を高下に向けて伸ばしていた。
「右はフェイントだ」
尖角は淡々と告げ、そして伸ばしていた左腕を軽く引いた。
途端に高下の右肩の糸が素早く締め付けだし、瞬時に肩と脇下の皮膚が裂けた。痛みと共に血が溢れ出す。
「うおおおお!」
「『無限鋭利』は、俺の腕力とは関係なく、ただひたすらに鋭く切れる。そして今、お前の肩の関節に糸がくい込んだ。もう、簡単に切り落とせる」
相手からの躊躇の無さに、痛みよりも恐怖を覚えた。尖角の言う通り、既に上着もシャツも裂け、巻きついた糸は体内に入り込んだ感触があった。
「久場、こいつのポケットから生徒手帳を取り出せ」
言われて久場が高下へ向かってくる。余裕を取り戻したのか悪意を込めた表情が蘇っていた。
高下の胸ポケットに手を伸ばした、その時、
「そこまでだ、尖角、久場」
次なる新手は、自分にとって味方だと高下は思いたかった。それはどうやら叶ったようで、少なくとも現れた二人のうち一人は空見だった。




