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第45話ーどこよりも死地にて友は叫ぶ

 しばらく動きの無かった黒い平面から手が伸び出た。それを追いかけるように腕、肩、そして全身が現れた。


 尖角が廊下に現れた。その表情は曖昧で、敵を追い詰める狩人の態度としてはいささか無味だった。


 次いで黒い平面を通って来たのは撫川だった。撫川は、操った本間を使い『私の世界』(シャッターアイランド)で校内を観察することで、隠れて校内に潜伏していた尖角と合流することに成功していた。


 尖角は、強化された『無敵の人』(パーフェクト)の命令を受けて、もはや感情のほとんどを失いつつあった。胸に宿るのは撫川の命令の「高下を見つけて生徒手帳を奪うか、破壊しろ」という指令だけだった。


「本間さんが言うには、つい先程までこの辺りを歩いていたらしい。尖角、探しなさい」


 撫川の命を受けて、尖角は廊下を歩きながら各部屋を見回す。一つの教室を廊下から覗いて、誰も居ないと判断すると隣りの教室へ向かった。


 するとその教室の扉が開き、中から高下が飛び出してきた。


『素晴らしき善意』(カインドネス)…!」


 高下の手中に現れたのは、陶器でできた花瓶だった。今まで居た教室で見つけたものだった。それに前に放ってから、宙を飛ぶ花瓶を拳で叩きつけた。


『致命拳』(ストライク)!」


 『致命拳』(ストライク)を叩き込まれた花瓶はその場で派手に砕け散り、礫となって正面の尖角を襲った。


「ぐ…!」


 高速で飛んできた礫の一片が尖角の頬に刺さり流血した。尖角の油断を誘った高下は、押し倒そうと近づく。


 しかし尖角は怯まなかった。


『無限鋭利』(スキャッタード)


 円を描くように腕を回すと、それに合わせて振り回された鋭利な糸が廊下の床や壁や天井を刻んだ。近くのガラス窓が糸に当たって割れる。


「うう!クソ…」


 尖角に詰め寄ることを諦めた高下は後ろに下がった。


 撫川の攻略をまだ思いついておらず、そしてそもそも尖角を倒さねばどうしようもなかった。


 対して撫川は、磐石の体制でここに現れていた。


「高下くん、あなたを倒せば万事解決するのなら、全力を注がないとね…」


 そう喋った横で、裏空間から新たに一人が出てきた。それは尖角以上に虚無の表情をしている葛西だった。


 撫川からすれば、自分の能力の影響下に落ちた者は全て意のままに操れるのだが、しかし高下に能力が効かなかった理由が分からない以上、空見を使うことに抵抗があった。高下が持つ手段しだいでは、有り得ないことではあったが空見の洗脳も解けてしまうかもしれない。


 また本間の能力は戦闘向きではなく、光山の能力もまるで不明でそれを確認する時間も惜しかったため、今使うべき戦力は勝手知ったる二人、尖角と葛西だと考えた。


 そして事実としてそれで十分だった。葛西は現れるや否や高下に向けて黒炎を放った。


「うおおっ!」


 高下はさらに下がるが、尖角と葛西の連撃は止まらない。葛西が放った炎の渦を貫くように尖角の糸が伸び出たことで、黒炎を纏った糸が無慈悲に高下を攻めた。


「うわっクソっ!」


 肌を切られ、制服は焼ける。高下ができることは逃げることだけだった。それさえも容易ではなく、一本の伸びてきた糸が高下の足に絡まった。絡まった瞬間、それは迅速に巻き付き始め、ズボンの上から高下の足首の皮膚を裂き始めた。


「うおおっ!」


 高下はよろけて転びつつも腕を振り上げた。


『致命拳』(ストライク)!」


 振り下ろした拳が足に巻き付く糸に当たる。ガシャッと砕ける音を出して糸は粉微塵になって消滅した。


 糸を壊すことが精一杯で、体勢を戻す余裕など全く無かった。急いで起き上がろうとするが、こうしている間にも尖角と葛西は距離を詰めていた。


 二人同時に腕を上げ、最終攻撃と言わんばかりにこれまで以上の猛火と、全てを前方に向けた糸が放出された。


 これら全てを防ぐ術など、あるわけがなかった。


 高下は目を閉じなかった。毅然とした面持ちで敵を睨んでいた。それでも心の中で、これで終わりか、と諦観を抱いていた。


 津波のような攻撃の塊が、高下を包んだ。


「…」


 高下は無心だった。しかしやがて疑問を覚え、それはしだいに驚愕に変わった。


 まだ無事だ。傷一つ無い。何故なのかは分からない。自分の周囲に炎も糸も押し寄せてきているのに、まるて透明なドームに守られているかのように、それは高下の周囲に漂うだけで触れてこなかった。


「なんだ、なにこれ?」


 このまま発動し続けても命中しないと判断したのか、尖角も葛西も無表情のまま攻撃を引っ込めた。


 黒炎が晴れた視界で、高下は少し離れた所で様子を見ていた撫川の姿を捉えた。


 撫川もまた、高下同様に理解しかねていた。


「なに?どうなってる?なんなの?」


 その場にいる誰もが理解しかねていた。それもそのはずで、その場にいる誰もがその能力を知らなかったためだ。


 裏空間からさらに一人が現れて、申し訳なさそうにそばの壁にピッタリと身体をくっつけていた。震える表情で、腕を高下に向けて伸ばしている。


 そこに居たのは光山貞男、そして高下を守ったのは彼の能力だった。


『日陰の空気』(グッドプレイス)…!」


 光山は明らかに自分の意思で動いていた。


「お前…どうやって!」


 狼狽える撫川に、光山は恐怖で震える声で返事した。


「空気の壁っすわ、先生…!」


 『日陰の空気』(グッドプレイス)、その能力は空気を操作して、透明で質量のある塊を作る能力だった。それは自在に成型することができ、大小や硬軟も調節することもできた。


 光山もまた「私に近づくな」の命令は受けてしまっていたが、「思考を止めろ」の命令を受ける前に、硬度の高い小さなエアークッションを作って両耳にはめ込み音を遮断させていた。


 さらに今まさに高下の周囲に空気の壁を作り、尖角の糸や葛西の炎さえも防いだのだった。


「何がどうなってるのかも分からねぇし、誰が善人で誰が悪人かもよく分からないけどよぉー」


 光山は泣きそうな声で叫んだ。


「何か一つやるんだったら、まずは友達を助けることだろうがよぉー!」


 勇気を奮った光山の叫びを、聴覚を失っている高下は聴くことができなかったが、しかし心で感じ取ることはできた。


「助かったぜ、親友…!」


 感動する高下の後ろから足音がした。驚いて振り向くと、いつの間にか知った顔が現れて近づいてきていた。


「家で寝ていたのに鬼電で起こしやがって…しかも耳が聞こえないだか何だか知らんが、俺の話を全部無視して助けに来てくれの一点張りとはな」


 その者が、高下の横に並んで止まった。


「良い度胸してやがる」


 我猛が一切物怖じしない態度で、不機嫌な表情をたたえて仁王立ちしていた。


「我猛先輩…!」

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