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第44話ー土壇場での応用

「登録率は…七十九・二パーセントかー。あと一人くらいで八十パーセント到達かな」


 撫川は目録をめくって登録率を確認した。既に八十パーセントに到達していれば言うことなしだったのだが、しかしこの状況にまで持っていけた以上、大きな問題ではなかった。


「この子達は…どうしようかな」


 裏空間の室内を見回す。思考を止めた生徒達が呆けて突っ立っている。命令を上書きすれば自分の意のままのデク人形にすることができた。


「結果的に自警会が壊滅しなかったのは功を奏したかな…。私のためにこれからも登録率向上を頑張ってもらお」


 近くにいる空見を雑にどかして、床でうずくまっている高下、本間、光山に近づく。三人とも自分が近づいても微動だにしない。思考が止まった人間はマネキンと同じだ。


 そのはずだった。


 顔を起こした高下が、毅然とした目つきで撫川を睨んだ。その瞳には自らモノを考えられる理知が込められていた。


「えっ!?」


 驚く撫川をよそに、高下は動いた。裏空間の戸に手をかけて開く。再び黒い平面が現れた。


 本間が操られる直前に開いてくれた入口、時間が無かったので行先は聞いていないが、飛び込むしかなかった。


 屈んだ状態で獣のように四つ足で跳んで、黒い平面に飛び込んだ。撫川は思わず近づいたが、しかしこの先がどの場所で、どういう状況か分からないため躊躇った。何より今一番気になることは、何故高下に能力が効かなかったのか、ということである。


 その時、足元に何かが転がってきた。コップより一回りほど大きい茶色い筒状の何かだった。


 覗くように観察すると、それはごく普通そうな壺だった。


「どういうこと…?」


 それが、かつて高下が出会った美術部の女子三人衆の一人、筆沼の能力『希望合わせ』(フレンドシップ)の効果を持った壺であることなど、撫川には知る由も無かった。


 焦りが募るが、今は何をどうすべきかを考える。高下を逃がしてはいけない。今度こそ操るか、あるいは生徒手帳を奪って能力を喪失させるべきだった。とにかく自分に敵対する人間を放置するわけにはいかない。


 それを実行するのは自分である必要はない…。撫川は、虚ろな目をして座り込んでいる本間を見下ろした。


「本間さん…だったかな?あまり学校に来ていないと思ってたけど、裏でこんなことに加担してたのか…」

 厳かな口調で話しかけた。


「私に、自分の能力の詳細を教えろ」



 裏空間から飛び出した高下が到着したのは、校舎内のどこかの廊下だった。勢いよく出たせいでつまづいて前のめりに転ぶ。


「いってぇ!」


 強く打った顎をさすりながら立ち上がって窓の外を見る。ここは四階のようだった。


 自分が脱出できたのは、全て本間のおかげだった。脱出のための出入り口を作ってくれたのもそうだが、高下の持っていたコンパクトミラーを、美術準備室の掃除用具入れに繋げてもらっていた。


 筆沼達は、普段掃除用具入れに『希望合わせ』(フレンドシップ)の壺を入れていると言っていた。それを思い出してそこに繋げて、コンパクトミラーに腕を突っ込んで取り出したのだ。


「大事にしてる物だろうに、勝手に借りて使っちゃったな…あとで謝らないと」


 一人呟くが、高下自身が自分の声を聞いていなかった。高下の聴覚は完全に失われていた。


 高下は筆沼が説明した『希望合わせ』(フレンドシップ)の能力を詳細に覚えていた。任意の者が壺に『感覚』を捧げることができて、筆沼自身がそれを享受することができる、という説明と、その時の大山寺とのやり取りを。


『感覚とは具体的にどういうものなんだい?』


『視覚、聴覚、味覚、そういったものです』


 大山寺の問いに筆沼はそう答えていた。筆沼達は応用として美的感覚を壺に注いでいたが、本来の用途を利用して高下は自身の聴覚の全てを注いだ。無音と化した世界で放たれた撫川の「思考を止めろ」という命令は、高下には効かなかった。


「だが今の俺じゃ撫川先生には攻撃できねぇ…」


 最初の命令の「私に近づくな」の効果は効いてしまっている。どうやらその場で手を伸ばすことはできても、近づいて距離を詰めることはできないようだった。先程逃げたのも、あのままあの場所に居たところで撫川を攻撃する手段が無かったためだ。


 状況は好転しているとは言い難かった。


「本間さんは操られているし、この『私の世界』(シャッターアイランド)の扉も開いたままだ。いずれ誰かが俺を追ってくる…!」


 ポケットからスマホを取り出して、通話画面を開く。躊躇する時間は無い。自分がやれる最大の限りを行っていくしかない。

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