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第42話ー『無敵の人』(パーフェクト)

 本間が開けた裏空間への入口は、既に本間も空見も中に入ったらしく周囲には誰も居なかった。


「あの黒い所に飛び込むんだ!」


 黒炎が踵を撫でているのが熱気で伝わってくる。全力疾走し、そして三人ほぼ同時に黒い平面に飛び込んだ。


 一切の抵抗無く三人とも裏空間へくぐり抜けた。直後に誰かと衝突してしまう。本間も空見も裏空間の戸の近くにまだ居たようで、思い切り激突してしまった。


「きゃ!」


 悲鳴を上げて倒れる本間の上に被さってしまう。光山も撫川先生もそばで転がるように倒れたのが気配で分かった。


「何だ?どういうことだ?」


 尻餅をついていた空見が起き上がりながら部屋の中を見回す。想定していなかった入室者の存在に気づいて目を見開かせていた。


「すみません、廊下で見かけたからやむなく連れてきたんです」


 慌てて説明しながら振り返る。開いていた戸を閉めると、廊下に繋がっていた裏空間の出入口は閉じ、黒炎が廊下を焼く音がピタリと止んだ。外界との接触が無くなったのだ。


「よし、間に合った…ギリセーフ。本間さん、ごめん」


 本間の上に乗っかっていることに気づき、身体をどかす。


「高下…この状況はおかしい」


 空見が抑揚の無い声で言った。


「何がです?」


「君には言ってなかったが…」


 話している空見自身が混乱しているようで、いつになく動揺していた。


「ミエの『私の世界』(シャッターアイランド)による裏空間は、能力者しか入れないんだ」


 え、と高下は声にならない声を発した。恐る恐る横を見る。


 裏空間をキョロキョロと見回している光山と目が合った。


「光山…おまえ…」


 高下も状況を把握しかねていたが、しかし一つの言葉が脳裏に浮かんだ。


 『秘匿型』。他人に能力者であることを隠すタイプの能力者―― 。


「お前、能力者だったのか」


 声をかけたところで、脳が素早く動いてこれまでのやり取りを思い出した。そして一つの可能性に気づいた。


 高下が解之夢一葉に能力について聞いた日、放課後に久場に絡まれて攻撃された。あの時、何故久場は高下が解之夢に質問したことを知っていたのか。


 解之夢に尋ねた時の状況を思い出すと、自分のすぐそばに光山が居て会話を聞いていたではないか。


 さらに思い出す。自警会の正式メンバーになる際の歓迎会の当日、自警会の各メンバーは尖角達の奇襲にあったが、何故メンバーがバラバラに行動して警戒心も薄らいでいたことを知っていたのか。


 それは自分から光山に、今日は歓迎会だと教えていたからではないか。


 光山は自分のすぐそばで、情報を手に入れることができていたのだ。


「光山…お前が尖角達に情報を流していたのか…?」


 言いながら、無意識に拳を握っていた。見返す光山の瞳孔は開いていた。


「俺はただ、目立つのが嫌で――」


「ちがう、高下くん」


 小さく掠れた声がした。高下のそばでまだ身体を起こしきれていない本間の声だった。


「その人じゃない」


「どういうこと?」


「問題なのはその人じゃない…。やられた。中に入られた――」


 突如として、誰かが激しく動いた。顔を上げると、撫川先生が起き上がるや否や素早く駆け出していた。棚に手を突っ込み、何かを取り出した。それは目録だった。


「私は、加入する!」


 目録が青白く発光しだした。高下も空見も本間も、この光り方には見覚えがあった。それは目録の編集者が新たに登録された時の発光だった。


 高下は自分の大いなる勘違いを自覚した。光山じゃない。撫川先生も近くにいたのだ。解之夢一葉に能力を聞いた時、今日は歓迎会があると光山に話した時。


「止めて!」


 本間が叫ぶ。それを聞くより先に空見は動いていた。駆け寄って目録を掴もうとする。


 しかしそれが実際に届くことはなかった。


「私に近づくな」


 撫川先生が発声すると、空見の動きがピタリと止まった。


 高下自身も起き上がって目録を取り返そうと思っていたが、意思に反して何故か撫川先生のもとへ近づくことができなかった。身体がそういう構造になっているかのように、どれだけ力んでも念じても近づくことができなかった。


「命令することで発動する能力か…!」


 空見がこれまでのどの時よりも焦りと苦痛で満ちた声を発した。


 この状況を見た高下は一つの能力を思い出した。双海兄弟の兄の能力『弱体波』(コントロール)は相手の思考を曖昧にさせる能力だった。


 これは、人の精神や心に干渉する『精神系』の能力だ。


「本間さん!美術準備室の…」


 高下がポケットからコンパクトミラーを出して本間に見せる。


 各々の様子を見ていた撫川の表情は、愉悦を押し殺そうとするも漏れ出てしまっているような、多幸感を持て余しているようなものになっていた。


「これが登録率六十パーセントによる強化…。私の『無敵の人』(パーフェクト)が、こんな意志の強そうな子にも効いている…。すごい!もう誰でも操れる!いや、でも慢心しちゃ駄目だよね…確実に、そう確実で磐石な選択をしないと。そういう命令をしないと。そうだな…」


 独り言を続けた後、何かとても素敵なアイデアを思い浮かんだといった感じで手を叩いて、そして一際大きい声で、ここにいる全員に聞こえるように話した。


「思考を止めろ」


 そう告げた直後に、その場の戦意に満ちた空気感が霧消した。激怒の表情の空見は、全ての感情を落としたように無為な表情に変わり、本間もまた同様だった。


 この場にいる撫川以外の者が思考を止めた。戦う意志も自警会を守る責任感も、もはや何も無い。思考が止まるということは精神的な死だった。死人が生者に反撃することなど、絶対にありえないことである。


「はは…は、は、は…」


 撫川の口元から笑い声が漏れた。一度漏れ出すともう止まらなかった。


「は!は!はは!勝った!勝った勝った勝った勝ったぁ!」


 逆らう者など誰一人居ない状況で、絶対的な勝利を確信した撫川先生は、その場で何度も何度も勝利の狂声を上げた。

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