第41話ー『悪辣な炎』(ビシャスネス)の本領
場所は理科室だった。二階隅のその部屋から廊下へ黒煙が漏れ出ているのを、階に降りた時点で高下も空見も認識していた。
「空見先輩」
理科室から視線を決して外さず、一歩一歩と歩み寄りながら横を歩く空見に声をかけた。
「今理科室で起きていることが、火気によるものだとしたら、これは尖角というよりかは…」
「…」
空見は何も言わず、ただ理科室を睨めつけている。
二人が見ていた黒煙が揺らぎ、室内から何かが戸をくぐって現れた。こちらを認識したのか、ゆっくりと近づいてくる。
黒煙の雲から抜けて出てきたのは、葛西だった。顔も腕も煙で黒ずみ、制服は空見よりも遥かに焼け焦げていた。悲惨な姿だったが、それよりも目につくのは表情だった。目の焦点は合っておらず、口は半開きで全体に弛んでいた。足取りも怪しくフラフラとしていたが、それでも確実にこちらに向かってきていた。
「…葛西の能力は火を身体に溜め込み、それを放出する能力だと言っていた…」
空見が静かな声で呟く。
「理科室の先程の轟音…あれは爆発だ。恐らくガス栓をいじって自分の炎で点火したのだろう。その炎を奴は溜め込んだ」
言いながら苦虫を噛み潰したような顔をする。
「私のミスだ…。奴は日付の変更をもって能力を喪失するが、今の時点ではまだ能力者…。しかしあの状態から復活してくるとは予想していなかった…!」
「しかしあいつ、正気の目をしてませんよ、もう戦えないんじゃ…」
高下が希望的観測を述べたタイミングで、葛西が虚ろな目のまま手をこちらに向けてきた。途端、黒々とした煙を纏った炎が噴出され二人を包もうとした。
「危ない!」
高下が空見の腕を掴んで下がった。間一髪で黒炎は舌先で二人の衣服を舐めた程度に済んだ。
葛西は、意思や思考を捨てて戦意だけで身体を動かしているようで、いつ崩れ落ちてもおかしくないような様子だったが、それでも確実にこちらを狙ってきていた。
緩慢とした動きで両腕をこちらへと向けた。
「来るぞ!」
空見も高下も葛西が大技を放つ気配を察知した。しかしそれは二人の予想を凌駕していた。葛西の両手から太い黒炎が迸り出た。それは二匹の大蛇のようにうねりながら火の粉を飛び散らせて向かってきた。
「駄目だ!退きましょう!」
何かで身を防ぐなど到底不可能だった。能力による炎の大蛇は通常の火の動きとは全く異なり、床だけでなく壁や天井を走り、廊下全体を燃やしていた。
本能的な動きで二人とも身を翻して廊下を駆けた。走っている最中も背中に熱を感じる。その熱がどんどん強くなっていくのも分かる。
「追いつかれる…!」
そもそもどこまで逃げれば炎を回避できるのか分からない。避難先を悩んでいると、二人が駆けて行く方向の突き当たりにある教室の戸が開いた。
「こっちに来て!」
開かれた戸は黒い平面になっており、そこから本間が上半身だけ出してこちらへ呼びかけた。
脱出先を捉えた空見は、走りながら高下に手を差し出した。
「高下、掴んで!」
高下が手を掴むと空見は能力を発動させた。
「『逆さまの空』!」
掴んでいる高下ごと重力の方向を向かっている方へと変える。あっという間に加速して二人は廊下を突き進んだ。
「う、おぉお…」
真横に『落ちている』状態のため足が床から離れる。慣れない体験に戸惑う高下だったが、炎から離れて熱気が薄らいだことには安堵した。
しかし廊下に面した階段を通り過ぎる際に、そこを横目で見て顔色が変わった。
空見の手を離す。たちまち重力が戻ってきて廊下に倒れ込んだ。
「高下!?」
高速で離れていく空見が振り向きざまに呼びかけてきた。
「先輩、先に行っててください!」
階段にいた人物達に気づいた時、それを無視するという選択肢は高下には無かった。
「光山…何でここに?あと先生も…」
そこに居たのは、階段を降りてきて二階に到着した光山と撫川先生だった。
「何でって…教室でお前を待ってたんだけどなかなか来ねぇし、何か変な音がしたから見に来たんだよ」
「私も音が気になって…」
二人とも状況を把握できていなかったが、説明する余裕は全く無かった。
「二人ともこっちに来て!」
二人の両腕を掴んで廊下を駆け出す。このまま階段に放置しては高い確率で炎の巻き添えにあってしまう。連れて行くほか無かった。
「何かどうなって…うわ、なんだ!」
何がなんだか分からない様子の光山だったが、後方を振り返り黒炎の渦が押し寄せているのを見て仰天した。撫川先生も顔色を変えている。
「とりあえず全力で走ってくれ!」




