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第39話ー高度30m

 「空見先輩!」


 高下が図工準備室から顔を出した時と、空見達が真下へ落ちたのはほぼ同時だった。二秒ほどして大きな着水音がこちらまで届いた。


 全ては事前に考えていたとおりに進んでいるようだ。空見は今後の戦闘に向けた打ち合わせの際に、襲撃があるなら必ず葛西と尖角は一緒に来るだろうと予想していた。


「葛西に対しては任せてくれないか。私に策がある」


 双海兄弟の時と同様、敵の連携を防ぐためにはそれぞれが離れて戦うしかなかった。そのため事前に誰が誰の相手をするかを決めていたのだ。


「そして俺は…」


 横を見ると、廊下の突き当たり付近に既に尖角がおり、こちらへ歩いて向かってきていた。


 高下は右腕を奪われたあの日のことを鮮明に思い出した。


「あんたの相手をしますよ」


 尖角に言い放つと、それが戦いの合図かのように尖角は右腕を振った。高下が二、三歩退くと、すぐ近くでワイヤーが空気を切るような音がした。


 『無限鋭利』(スキャッタード)の攻撃は始まっていた。高下は図工準備室の中に走って戻った。尖角は追撃のために走り寄る。


 部屋の前まで来て『無限鋭利』(スキャッタード)の糸を室内に放とうとした。しかしそこで動きが止まった。


「何だ…」


 部屋の戸は塞がっていた。正確には黒い平面が戸を塞いでおり、室内は一切見えなかった。


 状況を把握できずに立ち尽くしていると、そばの壁に設置されていた屋内消火栓の金属扉が開いた。


「オラァ!」


 本間の『私の世界』(シャッターアイランド)を利用した奇襲に、本間の存在さえ知らない尖角は反応できるわけがなかった。


 しかし尖角自身が反応できなくても、既に防御の手段は講じられていた。


『致命拳』(ストライク)!…うぉっやべっ!」


 高下の拳は尖角に命中する前に止まった。視界にか細い半透明の糸が複数あることに気づいて、それらに衝突する前に自ら拳を止めたのだった。


 何本もの糸が、尖角を守るように周囲に張り巡らされていた。『無限鋭利』(スキャッタード)の糸を廊下の各所に引っ掛けて防御のための網を作っていた。


 高下は反撃の予感を覚えて、バックステップで下がる。予想どおり尖角が振った腕に合わせて糸が伸びてきたが、どうにかそれが届く前に射程範囲外まで離れることができた。


「下手に触れたら手が裂けちまう…」


 攻守に優れる尖角の能力の攻略は容易ではなかった。しかし高下の戦闘の士気は下がるどころか、心臓の鼓動が高鳴っていくのに合わせてドンドンと上がっていく感覚があった。


「絶対に勝つ…!」



 水中に身を投じた空見は、素早く上に向かって泳ぎ、水面から顔が出たところで深呼吸した。プールサイドまで泳いで上に昇る。振り向いてプール内を見下ろすと、葛西も水面に出てきて激しくむせているところだった。


「クソっ…クソっ!イカれてんのか!飛び降りなんて…」


「お前にプールまでついて来いと言ったって、どうせ来ないだろ」


 濡れた髪も濡れた服も意に介さず、凛とした態度で空見は葛西を睨んでいた。


「お前の能力は炎を使うものだが、何の条件もなくあの高火力を出せるとは思えない。たとえば種火が必要か、周囲の熱源を利用しているのかもしれない。何にせよお前をズブ濡れにさせとけば、いくらかの可能性は潰せる」


 葛西は苦々しい顔をしたまま黙って空見を見上げていた。


「何より、こうして私もズブ濡れになっておけばお前の攻撃をいくらか防げるからな」


 敵の能力の全容を知らないなかで考案した空見の対策は、完璧といえた。


「…そうか、濡れていれば炎を当てられてもダメージは最小に抑えられると…」


 葛西の苦り切った顔の口角が不気味に歪み、つり上がった。


「先輩、見事ですよ。よく練られている。だけど惜しいかな、僕の能力を把握しきっていないがゆえの限界ってやつです」


 空見の落ち度ではなかった。しかし結果として、空見の考察より葛西の能力の全容の方が上回っていた。


『悪辣な炎』(ビシャスネス)が必要とするのは種火でも熱源でもなく、シンプルに『火』そのもの。僕は能力により身体に受けた『火』を貯蔵することができる…。それは僕にとっても結構熱くてわりと苦痛なんですが、それを何日も何日も掛けて少しづつ溜めて、溜まりきったそれを少しづつ解き放ってるんですよ」


 見せつけるように、ゆっくりとした動きで葛西は手を空見に向けた。


「…こんな風に!」


 手のひらから迸った炎の柱は、一直線に空見に向かい、獲物を仕留める大蛇の如く巻きついた。


「う、く…」


 空見は苦悶の表情を浮かべて服に取りついた炎を払おうとするが、それは鎮火の兆しがないどころか、全く衰えを見せずに勢い良く燃え続けた。


「能力による炎なので着火物が無くても僕の意思しだいで残り続ける!気流の影響もなくそこに滞留し続ける…!」


 猛火が空見の身体を包み、容赦なく舐め回す。強い意志を宿した空見の目も、炎の猛攻により影が差した。曖昧な表情に変わっていき、身体を曲げて膝をついてしまった。


 その様子を見て葛西は歓喜した。


「はは、僕の勝ち!僕の勝ちだ!たとえ不意を打たれても勝てる。僕の能力はホンモノだ!」


 両手を広げて飛沫を上げ、勝利の愉悦に酔いしれていた。


「殺しはしませんよ。全身が熱傷レベル二度程度に焼けてから解除してあげます。生徒手帳を奪う必要は無いですよね…その頃にはもう燃えているでしょうから!」


 有頂天だった。それゆえに空見の『溜め』に気づいていなかった。空見は敗北を感じて脱力したのではなく、次の一手に向けて脚に力を込めていたのだ。


 空見は跳んだ。捨て鉢で葛西に飛びかかったわけではなく、真上に跳んだ。


『逆さまの空』(スカイハイ)


 重力の方向を真上にした跳躍は、跳躍と呼ぶにはあまりに高すぎた。ロケットの発射のように飛び出して、呆気にとられる葛西を置き去りにして高く、高く、飛んだ。


 視界の隅に校舎が映る。二階から三階、三階から四階へと視界の校舎は流れていき、そしてとうとう屋上が姿を現して、それもすぐに視界から消えていった。


 もはや同じ高さに並ぶものが無いところまで行き着き、それでも空見は上方への加速を止めなかった。身体にまとわりつく炎は消えなかったが、猛スピードの移動により体温は低下し、火傷の侵食を可能な限り軽減させることができていた。


 空見はかつて試していたことがあった。全ての能力は、使用できる範囲が学校の敷地内と裏校則で定められている。地面ならその境は明瞭だったが、だが『頭上』はどこまでが敷地と扱われているのか?


「三十メートル…!」


 感覚で高さは掴めていた。高度三十メートルに達した瞬間『逆さまの空』(スカイハイ)の能力は解除された。


 昇ってきた時と同様に、今度は真下へと一気に落ちた。フリーフォールやバンジージャンプさえ目じゃない怒涛の急直下でも空見は一切うろたえず、脚を下にして一点を見ていた。


 狙っている着地先はプール、さらに言えばそこにいる葛西だった。


「うおおおお!」


 雄叫びを上げて超加速した足刀をくり出した。葛西には為す術はなかった。『事象系』の能力者は自身を守る術を持っていない。


「うわあああああ!」


 悲鳴を上げて空見を迎えることしかできず、そして二人は衝突した。


 空見の蹴りは葛西の左鎖骨にくい込み、それは呆気なく折れたうえに、威力がそこで止まるわけもなく二人は再び水中に没した。大きな水柱が上がり、十秒ほどは動きが無かった。


 先に出てきたのは葛西の身体だった。次いで出てきたのは、葛西を背中に担ぐ空見だった。


 空見はプールサイドまで歩くと、葛西をそこへ転がした。白目を剥いて気絶している葛西を尻目に自身も昇る。『悪辣な焔』(ビシャスネス)による火は葛西の気絶によって消滅していた。


「殺しはしないよ。衝突の直前に重力をまた上に向けてブレーキをかけた。じゃないと私の足も折れそうだからな。骨折は当然の罰だ」


 屈んで葛西の服から生徒手帳を取り出す。周囲を見ると、空見を攻撃した時に飛び散った火の粉がプールサイドに落ちていた枯れ葉に着いたらしく、小さな火を起こしていた。


「やはり延焼した火はただの火か。利用させてもらうよ」


 火のそばに生徒手帳を置くと、ほどなくして火が移り生徒手帳に無情に炎を纏って歪んだ。


「自分の能力から生まれた火で能力喪失とはね…さて…」


 ポケットからスマホを取り出す。壊れていないでくれよと内心願いつつ起動すると、無事にスマホのホーム画面が付いた。


 空見は通話画面を開いた。

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