第3話-解之夢(げのむ)という男
神代高校が非凡な学校であることは、在校生や卒業生しか知らない。
新入生がそれに気づくのは、決まって毎年入学式の時である。式の後に生徒手帳が全員に配られると、生徒は程なくして『裏校則』の表記に気づく。中には教師に質問をする者もいるが、教師には何のことだか分からない。教師陣には裏校則が見えないためだ。
そして新入生全員のうち何割かの者に、実際に能力が与えられていることにも一同は気づく。十六歳になる子供達へ唐突に与えられた超自然的なギフト。これを享受した者達で浮かれない者はいない。
中には校内で犯罪スレスレの行為に及ぶ者もいるが、これらは五月の半ば頃にはほとんどいなくなる。既に能力を熟達している二年生、三年生に粛清されるためだ。
能力の干渉を受けたうえで生徒手帳を破壊されるか紛失した場合、能力は喪失される。喪失された能力は二度と戻ってくることはない。これは裏校則の四条にも書かれており、裏校則は絶対である。それに該当したならば回避する手段は無い。能力を失った新入生はそれを痛感することになる。
毎年何名かが上級生に屈服し、生徒手帳を奪われて、翌朝失意に塗れた表情で登校するのだった。
これが神代高校の、毎年度明けの恒例だった。
一方で高下は、悪用することも過度にひけらかすこともなく、ただ適した場面で適度に能力を使用していた。そのため上級生に目をつけられることはなかった。
内容を隠しがちな生徒が多い中で、堂々と全てを開示している高下は少数派であることは間違いなかった。
このように平凡な外面をしつつ、極非凡な神代高校は、その特異性ゆえか他校からの転入を一切受け入れていなかった。
「少なくとも私が調べた限り、過去七十年間でゼロだ」
空見の説明を、高下は真摯な態度で聞いていた。
「つまり俺の隣に座っている奴は、とんでもなく希少な存在だと」
「そのとおり。だからそいつが何者なのかを知りたい。そして能力者であるかも」
「何のために?」
「この学校の治安のために」
「解之夢がヤバい奴ってことすか?」
「今からそれを調べるんだ。君が」
「先輩はなぜこの学校の治安を気にしてるんすか?」
空見は、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そういう活動をしている、としか言えない。仕事は学校がある平日限定で、日当制で一日千円だ。そして解之夢が能力者であるかそうでないかを確認できる決定的な何かを提供できたら、ボーナスで三万円。能力の内容を提供できれば五万円だ。いつ終了するかはこちらで決める」
「やります」
空見が疑わしい目を向けてくる。
「決断が早いな」
「別に犯罪の片棒かつげって話じゃないし、今バイトやってないから丁度良いっす」
迷いの気配は一切なく、高下は平然と話した。
「それに、何かに取り組むって、ワクワクするじゃないすか。精神的に満足ができる」
「なるほど」
その時空見が浮かべた表情は、今日高下に初めて見せた好意的な表情だった。
「その考え方は嫌いじゃない」
翌日、高下は登校して自席に着くと、いつものように友人の光山貞男と雑談を始めた。
「俺がこの前送ったエロサイト見た?」
光山と話す話題は大体がゲームと猥談である。朝から下品な表情で下品な話題を出してくる光山に対して、高下も軽快に返す。
「見たけど会員登録が必須じゃねーか」
「サンプル動画は見れるだろ」
このしょうもない朝のやり取りも高下は嫌いではなかった。しかし今日は、どうしても隣席の男に気が逸れてしまっていた。
解之夢一葉。長身で少し大人びた顔立ちで、パッと見た感じでは年上にも見える。長くも短くもない髪型。制服の着崩しもない。黒縁メガネの向こうにある目は、開いている文庫本に視線が注がれていた。
地味な男だった。転校生というブランドはとうに消え失せて、ただこのクラスの地味な男子の一人という立ち位置になっていた。
光山と会話しながら、昨日聞いたバイトの条件を思い出す。日当制なので、解之夢への調査は長引けば長引くほど高下の収入は増える仕組みだった。
しかし高下は、無駄に時間をかけるつもりはなかった。空見への敬意というより、ダラダラと仕事をするのは性に合わないと思っていた。
だから光山との会話が途切れた時、高下はおもむろに解之夢に話しかけた。
「解之夢くん」
解之夢は、驚いた風でもなくゆっくりと顔を高下に向けた。驚いたのはそばに居る光山だった。高下が解之夢に話しかけたことはこれまで無かったためだ。
「おはよう」
「おはよう」
「その、なんだ」
話しかけておいて、話題は決めていない。平静から思考より行動が先に出るタイプだった。
「その苗字、ちょっと珍しい気もするんだが、ひょっとして偽名かね」
思わず訳の分からないことを聞いてしまうが、これにも解之夢は眉ひとつ動かさなかった。
「そうだよ」
無表情で冗談を返してくる解之夢に、高下は虚をつかれた。どうにか本題に入るための会話の流れを組み立てようとしたが、結局思いつかず、また回りくどいことは嫌いだった。
「君、もしかすっと能力者かね」
「お、おい高下」
光山が焦った声を出すが高下は無視した。光山が能力者でないことは本人の口から聞いていたが、光山自身も裏校則を読んでいるため能力の存在については知っている。そのためたいして親しくない相手に能力のことを聞くのは、なかなか大胆な行為であることも分かっているのだ。
しかし解之夢の返事は早かった。
「そうだよ」
望んでいた回答に、高下は喜びを抱いたが戸惑いの方が大きかった。
「どんな能力なのかね」
「それは言えない」
「ちょっとだけでいいから」
「何で聞くんだい?」
解之夢からの問いに、高下は再び直球の返事を返した。
「いや、校内の能力者を調べてる人がいて、人達かもしれないけど、解之夢くんが俺の隣だから俺に聞いてこいって頼まれてな」
解之夢は依然として無表情のままだったが、視線の性質が変わったように高下は感じた。
先程には無かった、こちらを探るような鋭い視線がこちらに向けられていた。
このままやり取りを続けるか逡巡していると、光山が肩を叩いてきた。
「おい、高下、おい」
解之夢から目を離して光山を見て、目を開いた。光山に対してではなく、すぐそばに立ってこちらを見ている担任の女性教師、撫川先生の存在にようやく気づいたからだ。光山は先程からそれで注意していたのだ。
「高下くん、朝のホームルームを始めるよ」
「あ、これはすいません」
頭を掻きながら謝る。注意した撫川先生は特に怒っていないようで、いつも生徒に見せる和らげな微笑みを今も浮かべており、それを見て高下は安堵した。
歳は三十後半らしいが前半にしか見えない容貌をしている美人の教師は学年内でも人気で、高下もご多分に漏れず好ましく思っていたので、注意を素直に聞き入れて座り直して前を向いた。
こうして高下と解之夢の最初のやり取りは終了した。




