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第24話-不可視の一撃

「いってきます。あ、もし俺が負けて失神した時は、上着の胸の裏ポケットに生徒手帳が入ってるんで、それを我猛先輩に渡してください」


「上着には入れるなって前に言っただろ…ていうか、負けるなよ」


 空見が小さな声で言う。安全圏からエールを送ることに躊躇いを覚えているようだった。しかし高下はそれを素直に受け取った。


「あざっす。負けません」


 我猛の方へ振り向き、前に出る。やり取りを黙って見ていた我猛だったが、高下の前進を見て腕を軽く振った。二人は正面から向かい合った。


「じゃあ、オネシャス」


「もう始まっている」


 我猛は右腕を伸ばして高下へ向けた。攻撃とも牽制とも言い難いその微妙な態度に、高下はどうするべきか判断しかねた。


 もう一歩近づくべきかと歩を進めかけた時、高下は直感した。これまでくぐり抜けた数度の戦いの経験が、直感となって高下に警鐘を鳴らした。


 正面に立ちたくない、という得体の知れない感覚は、高下の身体を横にずらさせた。


 直後、元々立っていた場所に風が吹き抜けた。風が送られてきた、というより何かに押し出されて空気が流れてきた、という感じだった。


「うぉ!」


 高下が戸惑っている間に、我猛は素早く詰め寄ってきた。突き出された拳を、高下は十分な距離を取って避けた。


 しかしまたも、ボッという空気が吹き抜ける音を聞いた。


 我猛の攻撃は、単純な拳の突きではない?


 敵の拳撃には見た目以上の何かがあると勘づいたが、それ以上のことはまだ何も分からない。


 続く我猛の第三撃は、さらに近距離からの左拳の振り下ろしだった。距離は素早く詰められていて、その一撃は避けられそうにはなかった。


『素晴らしき善意』(カインドネス)!」


 相手の拳の振り下ろしに合わせて発動させた能力は、そばにある椅子を目の前に呼び寄せた。我猛が座っていた椅子だ。


 拳が椅子に激突して相手が怯んだ隙をつく。そういう狙いがあった。


 しかし高下は垣間見た。拳が接触するよりも先に、椅子が何らかの圧力を受けて木板が割れていく様子を。


 コンマ数秒、椅子で防いだことにより生まれた余裕を活かして高下は転がるようにその場を離れた。直後に身体に伝わる振動、そして破壊音。


 体勢を立て直して相手を見直すと、我猛の足元には砕け散った椅子と、同じく砕けた床があった。床は砕けたどころかポッカリと穴を開けていた。


 コンクリートでできた屋上の床は、めり込みきった上で耐えられず崩壊したように、半径三十センチほどの穴を開けていた。あまりに異様な光景に思わず高下は首を伸ばして中を覗いた。


 薄暗がりの向こうに教室が見えた。真上から見る教室の光景というのは極めて奇妙だった。


「家庭科室か」


 すぐそばで声がして振り向くと、我猛も同じように階下の部屋を覗き込んでいた。


「明日の朝の授業にでも使うつもりか?調理器具や調味料が見えるな」


 言われて目を凝らして見てみると、確かに見える机は学習机ではなく、調理用の白い大きなテーブルだった。そこにはまな板や包丁や、サラダ油のボトルなどが置かれていたが、上から降ってきた破片を受けて散らかってしまっていた。


「いやこりゃ大惨事っすよ」


「能力による干渉は日付が変われば元に戻る。この穴も明日の朝には消えている。お前が受ける傷は治らないけどな。生徒手帳も」


 言われて高下は穴から視線を逸らして我猛を見る。当然だが、我猛の闘争心はまるで消えていなかった。


「うおっ!」


 こんな近距離で落ち着いている場合ではなかったと慌てて後退して距離を取った。


「それどういう能力なんすか?」


「教えると思うか?」


 我猛は冷静に聞き流しつつ身構えると、高下に向かって真っ直ぐ飛び込んできた。空手の正拳突きの構えのように引き絞っていた拳を正面に突き出す。


 再び『何か』が来る。しかしそれが何かはまだ分からなくても、来るのが分かってるのなら用意をすることはできた。


『素晴らしき善意』(カインドネス)


 かざした手の前に顔ほどの大きさの紙袋が現れた。対峙する我猛も、この闘いを立ち会っている大山寺達にもソレが何であるか全く分からなかった。


 分からないまま我猛の『何か』は紙袋を突き破った。紙袋は裂けて、中身が盛大に舞った。それは白い粉だった。細かな粉は飛散し、攻撃による空気の流れを受けて大きく舞い上がった。


「小麦粉か…?」


 観察していた我猛は答えに辿り着いた。高下は上から家庭科室を覗いた時、散らばった食器などに紛れて小麦粉の袋があることに気づき、この瞬間を狙って利用した。


 我猛は思わず粉を観察してしまったことで、逆に反応が一手遅れた。煙幕に乗じた高下の接近を許してしまう。


 それでも冷静に我猛は今一度拳撃を放った。しかしその反撃は高下の予想するところだった。


 相手の攻撃モーションを見るや、すぐさま後ろに跳んだ。もともと踏み込みは浅く、避ける前提のフェイントの接近だった。狙いは我猛への攻撃ではなく、我猛の能力の観察だった。


 距離を空けてまじまじと見つめる。舞った小麦粉が混じる空気の中を、何かが突き抜けてくる様子がありありと見えた。


「透明な何か…?」


 透明な何かは、小麦粉の飛沫を通り抜けることでその輪郭を露わにしていた。細長い四角の立方形のように見える。それは我猛の拳から出現しているようにも見えた。


「拳から出す、透明の…柱…ってことすか?」


 聞かれた我猛は沈黙していた。無視しているのではない。かつて一度も見破られたことのない自身の能力を、完璧にでは無いものの概ねの性質を理解された驚愕に感じ入っていた。


『柱』(はしら)だ」


 沈黙の後に出てきた言葉は、嘘偽り無い質問への回答だった。


「能力の名は『柱』(はしら)と言う。お前の予想のとおり俺の拳から現れる。射程は約一メートル三十センチ。視認はできないが鉄のように硬く、釘打ち機のように速い」


 過剰とも言えるほどの詳細な説明だった。そうさせた理由は、自身の能力を看破した高下への賞賛と敬意であることを、我猛自身もまだ気づいていなかった。


「なるほど。あざっす」


 対する高下も与えられたこの情報に疑いを一点も抱かなかった。生来の性格によるものである。


「ちなみに俺の能力は、周りにある自分の物だと思える物を移動させられる能力っす」


「そうか」


 我猛は素っ気なく答えるが、高下と同じく疑念を抱いていないようだった。


「さて、どう攻略すっかな」


 高下は独り言を呟いて構え直す。対して我猛も戦闘姿勢を改めて、飛びかかるような前傾姿勢を取った。

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