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第19話-『弱体波』(コントロール)

 二人は廊下に面して設置されている流し場に来た。水道とベンチが設置されているだけの簡素な空間だが、そのベンチに男子が一人座っていた。そばには包装されたパンが何袋も置いてある。


 細身で細目。人相に何とも言い難い性悪さが感じられた。上履きを履いた足をベンチに乗せる行儀の悪い態度でパンを貪っていた。


 空見は相手の姿を認めると真っ直ぐに近づいていった。


双海(ふたみ)、つまらないことをしてくれたな」


 双海と呼ばれた男子は座ったまま空見を見据えるが、パンを食う手は止めなかった。むしろ相手を小馬鹿にした笑顔を浮かべ始め、好戦的な態度は明らかだった。


「何の言いがかりだよ、空見」


 二人は一応顔見知りのようで、二人の話し方や相手の風貌から、相手は空見と同学年の二年生だと高下は察した。しかし空見も相手も親しみは一欠片も抱いていないようだった。


「私は以前からお前の動向に気をつけていたし、実際に監視につけていた。お前もそれなりに気をつけていたつもりだったのかもしれないが、上品に過ごすことに限界でも来たのか知らんが随分迂闊なことをしたな。お前が能力を使って犯罪を犯すところを目撃できたよ」


 空見がパンを指さす。


「そのパンはつい今、明日の販売の準備をしていた購買部の店員に能力を使用して盗ったやつだろう。窃盗をしたな。それもお前は常習犯だ。だから私がマークしていた」


「知らねぇな」


「少なくとも会計していないだろうが。一部始終を見ているんだ」


 高下は二人の剣呑としたやり取りを固唾を飲んで見守っていた。相手の態度から察するに筆沼達のように実は無罪であったということはなさそうであるが、しかし空見が毅然とした態度で責めているのに対して、どこか余裕のある態度が気になった。


 しかし唐突に、その張り巡らしていた思考が曖昧になった。意識がボンヤリとしてしまい、上手く思考できなくなる。寝不足か、と思ったがしかしあまりに唐突すぎた。まるで薬物でも嗅がされたような…。


 かろうじて働く思考の中で、一つの可能性に気づいた。


「先輩、これは奴の…」


「お、効いてきたか」


 高下の疑問に、双海の方から回答が来た。


「そろそろ効いてきたと思うが、これが俺の『弱体波』(コントロール)だ」


 双海がニヤついた笑みを顔に貼り付けて立ち上がる。


「能力の干渉を受ければ、判断力も理解力も落ちて認識も曖昧になる」


 双海の解説を、既に高下はほとんど聞いていなかった。思考も理解も自覚も何もかも曖昧になってきていた。言葉が耳に入っても、それを汲み取る脳が動いていない。高下からは空見の背中しか見えていなかったが、硬直している空見が同じ状態であることは自明だった。


 双海が空見に近づいた。女子の空見に対して非常識なほどすぐ近くまで身体を寄せるが、空見は抵抗するどころか焦点の合わない目で空を見つめているだけだった。


「店員なんてこんな状態にしとけば万引きなんて容易いもんだ。お前にはそれ以上のことをしてやるよ」


 醜悪な表情に、不快感を煽るねちっこい喋り方。


「なるほどな。納得だ」


 それに対して空見の声は、透き通っている印象を与える明瞭で冷静なものだった。いつしか視線も平常に戻っている。


「え?」


 空見の返答は双海にとって完全に予想外だった。そのため、その後の空見の行動も突然想定していなかった。


 空見の膝蹴りが双海の股間に勢いよく食い込んだ。


「お、おおお、おお…」


 双海が膝をつくのと、高下の意識が鮮明に蘇ったのはほぼ同時だった。


「先輩!」


「すまなかったな高下。知っていることを悟らせないために、君にもこいつの能力のことを言わなかった」


「が、ああ…なんで…」


 身体を折り呻きながら空見を見上げる双海に対して、空見はどこまでも冷静で、冷徹な顔をしていた。


「何で能力が効いていないのかって顔してるな。目撃したと言っただろ。今回だけじゃない。お前がどういう状況で能力を使っているのか、私は慎重に観察を続けていた。そしてお前は馬鹿だから、以前にも干渉を与えた相手にベラベラ喋っていたな。それも私の仲間が聞いていた。だから当然能力について分かっているし、対策も考えてここに来た」


 この時、空見の身体が微かに上下に揺れていることに高下は気づいた。どういうことか足元を注視して、方法は分からないが空見の状態は理解できた。


 空見は浮いていた。せいぜい五センチほどの高さだったが、明らかに床から両足が離れていた。


「地面や壁を伝って干渉させる能力だったな。『弱体波』(コントロール)というのは。だからどこにも接していない私には効果が無い道理だ」


 言い終えると足蹴りを放ち、身体を折って俯いていた双海の顎を蹴り上げた。


「ぐべっ!」


「お前の能力は危険だ。『精神系』はすべからく危うい。さぁこれ以上痛みを感じたくなけりゃ生徒手帳を出しな」


 この時、高下が気づいたのは全くの偶然だった。空見が危うげなく事態を解決させたので、安堵して深呼吸をしながら天井を仰いだのだ。それが功を奏した。


「空見先輩、危ない!」


 空見の肩を掴み引き寄せた。空見の身体が高下の胸に倒れた直後、空見のいた場所に何かが落ちてきた。高下は金属質の煌めきを垣間見た。天井から落ちてきた何者かが、落ちながらナイフを払ったのだ。それは間一髪で空見ではなく空気のみを切った。


 慌てつつ相手の姿を捉えようとする高下の目に映ったのは、双海にそっくりな男だった。だがこちらの方が背が低く、微かに童顔であるとも思えた。


「兄貴、大丈夫か」


「ああ…」


 声をかけられて膝をついていた方の双海が苦しそうに起き上がる。


「高下、ありがとう」


 空見は敵を真っ直ぐ見つめながら、肩に置かれていた高下の手を握った。


「うす」


 返事しつつ、解けつつあった警戒心を呼び起こして臨戦態勢を取る。


「お前が双海の弟か」


 空見が弟の方を指さす。


「弟の方が素行が悪いな。ツラも兄より悪人顔だ。お前が今年になってから万引きをするようになったのも、入学した弟とつるむようになったからか」


 双海・弟がナイフをひらめかせながら空見を睨む。


「むかつく女だな。兄貴、要はこいつらの生徒手帳を奪って燃やせば全部解決なんだろ」


「その通りだ」


 言うと同時に双海・兄が前に跳んで空見との距離を詰めた。手を伸ばし空見に触れようとする。触れて能力を発動させようとする相手の意図を察した空見は、微かに浮いた身体の体勢を変えないまま、スライドするように動いて避けた。双海・兄はそれを追う。


「高下、ここから離れるんだ!」


「え!」


「弟の相手をしろ!君は双海の兄と相性が悪い。そして私だけで二人を相手するのは無理だ!」


「なるほど!」


 まごついている暇も、他の案を考える余裕も無い。空見の作戦に短く答えると双海・弟を挑戦的な目つきで睨んだ。


「来いよ弟」

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