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第3話 お隣の奥さんにも感染拡大

彰人のお母さん、普通にドア開けちゃいました!

称号見られちゃうのに大丈夫!?

『んまっ、湯浅さん、なにその字? 五千兆億円? ぷぷぷ』

『ああ、これ? よくわからないけど子供のいたずらなのよ。回覧板ありがとね』


『そうなんだ、最近の子ってすごいわねえ。じゃあね、またお茶しましょう』

『はーい、またねえ』


 母さんすげえな。普通に会話してた。でも、このことをご近所に言いふらされたらやばいんじゃないか? 心配になって俺と瑠香は階段を駆け登って俺の部屋の窓から、お隣の奥さん・横山絹江さんが歩いて行くのを見たら――――


 見てはいけなかった……。


 横山さんの頭の上の空間がゆらっと揺れて、ぱっ、と字が灯ったんだ。

 その称号が。


『不倫願望主婦』


 うああああああああああああああああああああ!


 俺と瑠香は悲鳴を上げた。だめだこれ! やばい! お隣、離婚案件だよ!!

 階段を2人で転げ落ちるようにして降り、玄関のつっかけを履いて外に飛び出し、横山さんを呼び止めた。


「横山さん、これ見てこれ!」

 瑠香がいつの間にか持ってた手鏡を見せる。妹すごい! 俺、そこまで気が回らなかったよ!


「えっ、彰人ちゃんと瑠香ちゃん、鏡に何が映ってるの? え、頭の上に字が? ってなにこれ……いやあああ!!」

 横山さんは両手で頭の上をわしゃわしゃしながら叫んだ。


「しーっ、まだ人に見られてないから! とりあえずうちに入って!」

 俺は横山さんの手を取ってうちに誘導した。横山さんはわけがわからない顔のまま、とりあえず付いて来てくれた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 母は洗濯物を干し終えてリビングに戻って来た。横山さんの称号を見て、「何それー! さっきはなかったのに!」って驚いてから顔が真っ青になった。

 ようやく事の重大さに気が付いたみたいだ。この称号、もしかして感染(うつ)る!?


「これって、彰人ちゃんと瑠香ちゃんのいたずらじゃないの?」

「そんなわけないですよ。俺たちの頭を見たらわかるでしょう」

「たしかに……ぷふっ」


「笑いましたね……」

「笑ってない笑ってない……ほら、よくあることだし!」

「よくあるわけないですよ……」


 お隣の奥さんの名前は横山絹江(きぬえ)さん。名前は風流だけど年は確か35歳で子供はなし。警察官の40代半ばくらいの旦那さんと2人暮らしなんだ。


 ちなみに俺たちの父親は外国に出張中。いなくてよかった。すごく気が小さくて俺たちがこんなことになってる、って知ったらきっと泡吹いて気絶すると思う。よくそれで外国で仕事できるな、って思う。


「だけど……この『不倫願望』って……主人に見られたら――どうしよう」

 横山さんはガタガタ震え出した。仲の良さそうなご夫婦なのにな、ほんとやばい称号だよ。


「横山さん、お気持ちはわかりますが、まずは落ち着いて。いったん情報整理しましょう。そうすればなにか対策が浮かぶかもしれない。とりあえず今わかってる事をお話しますね」


 俺たちはリビングのテーブルの椅子に、横山さんはテレビの正面に置いてあるソファーに座った。ちょっと離れてるけど、全員の顔は見える配置だ。

 唯一の男だから、なんか俺が仕切ってしまったけど、まあいいよね。


 今朝、鏡を見たらすでにシャイファン仕様の称号がついていたこと。瑠香も母さんも最初からついていたけど、横山さんは俺と瑠香が見ているときに、PCの画面に電源が付いた感じで称号が現れたこと。称号は被り物をしても隠せないこと。称号の字体に関してはシャイファンのゲームを起動して実際に絹江さんと母にも見てもらった。


 全員が頭を抱えて「うーん」と唸った。どうにかできるビジョンがまったく見えない。


「あの、……私ね、本当に不倫したい、とか思ってるんじゃないの。物語……ほら、失楽園(※1)とかアンナ・カレーニナ(※2)とかね、ああいう、禁断の燃えるような恋っていいなあ、って思ってるだけなの。それだけはわかってほしいというかなんというか」


 横山さんは頬を染めてもじもじしながら語り出した。話してる方も聞いている方も顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいんだけど、これ、高校生に聞かせていい話なの? 俺、どう言ってあげれば正解なのかさっぱりわからないよ。


「横山さんは悪くないわよ!」

 母がいきなり声を上げた。


「え……」

「人間、思うだけならなんでもいいのよ。実行しなきゃいいだけで! だれだって、表に出しちゃいけない願いや欲を抱えてるんですもの。それが、こんな形で表示されるなんて。そうよ、悪いのはこんな事態を引き起こしている奴なの。とにかく、今は訳がわからないけど、他にもこんな症状が出てないか、テレビとかスマホとかで調べてみない?」


 めずらしく母が正論を言った! 確かにそうだ! おまけに生々しくなりそうだった話の進行方向を修正してくれて助かった。


「――湯浅さん……ありがとう。そう言ってくれてちょっとだけ心が軽くなりました……そうよね、今はこれを何とかする方が先よね」

 横山さんはちょっと涙ぐんだ声で言った。そうだよな、こんな称号、早く消さないとな。


 俺はPCで、瑠香はスマホで現在話題になってる言葉を探し、ついでに『称号』についても検索してみた。主婦ズはテレビの各局のニュースを見ている。


「特に変わりはないみたい。いつもの世界だわ」

「ネットもそうだね、普通だ」

「ニュースもこのことは取り上げてないわね」

「ということはここだけの現象なの?」


 横山さんが小首をかしげて尋ねる。この人、ダークブラウンの髪に緩くパーマかけてバレッタでお団子を止めてる髪型なんだけど、よく似合っててけっこう美人なんだよな。スレンダーだし。うちの母はぽっちゃり体型だけど45歳なら仕方ないかあ。


「ですね。シャイファンも覗いてみましたが変わりなし――」

「ふと思ったんですが、このゲームの称号と同じ文字なんですよね?」

 横山さんがそう聞いて来た。


「そうなんです」

「……それなら、このゲームが関係しているんじゃないですか? どういう仕組みなのかはわからないけど」


 横山さんがとがめるような目つきで俺に言って来た。

 えっ、そう来る? ただのゲームがこんなおかしな現象起こしたりするわけが……


「確かにねえ。なんらかの関係はあると思うわ、勘だけど」

 うわ、母さんまで!


「ふーん。ひょっとしたらお兄がそのゲーム、消したら直るんじゃない?」

「ええええええ!」


 消すってそんな殺生な。やだよ、2年間かけて育てたLv55のキャラクターなんだぞ? 思い入れも半端ないんだぞ? 復活できるけど有料で時間かかるんだよ……。


「まあまあ。一旦削除してみようよ。それで何もなかったらまた復活させればいいじゃん」

 瑠香がトドメを刺して来た。気軽に言ってくれるなよ……。自分が育てたキャラクターってさ、自分の分身であり、子供であり、宝物なんだぞ。


 とはいえ、このゲームのせいだったらみんなに迷惑をかけるわけにはいかないから、泣く泣くみんなの前でキャラもゲーム自体も削除した。


「「変わらない……」」


 俺たちの称号は、頭の上で燦然と輝いたままだった。

 どうしてくれるんだよぉおおおお、復活サービスはあるけど、けっこう高額だし二週間くらいかかるんだよぉおおおお。


 俺は心の中で泣きながら、今はまだわからない犯人を呪った。

 ※1 失楽園:ここでは渡辺淳一の小説を指す。ストーリーは、突然左遷された出版社勤務の男と、書道の講師を務める主婦とのダブル不倫とその結末を描いている。

 かなりきわどい性描写が含まれているが、初出はなんと「日本経済新聞の連載」であった。映画やドラマにもなっているが、内容の過激さのせいで現代の地上波での放映はできない、とされている。


 ※2 アンナ・カレーニナ:帝政ロシアの作家レフ・トルストイの長編小説。政府高官カレーニンの妻である美貌のアンナと、若い貴族の将校ヴロンスキーとの不倫物語。アンナは愛する青年と添い遂げるために夫と離婚しようとしているが周囲の人間関係と当時の情勢がそれを許さない。そして二人の関係はやがて冷えて行き……。こちらも悲劇的な結末である。

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