第1話 ダンジョンゾンビは生者の記憶を観る
いくつもの怒声と悲鳴が飛び交い、爆発が地面を揺らし、金属同士がぶつかり合う。空中には矢以外にも魔法が飛んでいる。
─────戦場だ。
大勢の誰かが俺に目もくれず走っていく。
誰かが俺を引っ張って、草陰に隠した。こんな悲惨な場所に似つかわしくない綺麗な女性が、俺の腕を包帯で治療しながら回復呪文を唱えている。
回復呪文を唱え終わる度に俺の名前を叫んで、大粒の真珠のような涙をこぼしている。
俺は、ぼやけた視界ながらも女性を目に焼き付けていた。
肩にかかる程長い銀髪に、銀の十字架のヘアアクセサリーをつけている。戦火の中駆け回ったのか銀髪は煤けて乱れていた。
若干垂れた眼尻は涙焼けでか赤い。寄せられた眉の終わりは下がっており、治療をやめない様からは彼女の思いが伝わる気がした。
俺はそのなだらかな頬に手を伸ばして涙を拭う。俯いていた彼女が弾けたように顔をあげる。すぐさま下唇を噛んで、笑っているとは形容しがたい笑顔を浮かべた。
その笑顔になんだか胸が重くなった気がして、喧騒の中搔き消えそうな声で「ごめん」と落した。
果たして彼女に聞こえていただろうか。
* * *
「ユキト、大丈夫ですか」
俺はその透明感のある柔らかな声で目を覚ました。何度か俺を呼んでいたらしい声の主は安心したように微笑んだ。
ここはダンジョンだ。
石壁で囲われてどこか窮屈に感じさせる薄暗さを各所に魔力で灯る灯篭が青い光源をゆらゆらと揺れらしながら辺りを照らす。
そうだ、先ほどこのダンジョンに入り込んできた冒険者という輩達との死闘の末ギリギリ勝てたんだ。相手は前衛二人に後衛一人のチームで、後衛のヒーラーが居たせいで厄介な連中だった。
俺の左腕は吹き飛び、左足から折れた骨が肉を裂いて飛び出ている。
間一髪、俺のスキル【呪毒生成】で作られた濃硫酸を輩の中でも特に腕の立つやつの顔に、口から噴射することで勝利することが出来た。あと一歩掛け違っていたら、俺の頭と体が泣き別れていただろう。まあ俺はゾンビだしホームで戦っているからそのうち治るけどね。
おそらく今の俺は、記憶の中の俺のように、地面に仰向けに横たわって【聖女リッチ】エルネア様を仰ぎ見ていたから記憶がフラッシュバックしたのだろう。このまま倒れていては彼女の大きな胸のせいで美しい顔が見えない為、上半身だけ起こす。
生前の記憶の彼女は生者で、瞳の色は澄んだ青色をしていた。だが、今の彼女の肌は生気を失い蒼白く、瞳はスリガラスのように白く濁っている。
彼女の色合いは変わってしまったが今も変わらず優しく、顔立ちはどこか幼さを残しながらも清廉としており、プロポーションも含め神が一から腕によりをかけて作ったとしか思えない。とても崇拝できるお方だ。
生前の俺も同じような気持ちを感じてたに違いない。
エルネア様(いつもは親しみを込めてエル姐さんと呼んでいる)への崇拝心に意識を奪われていると左足からゴキリと鳴ってはならない音が聞こえて来た。
「イッ!!」
音のほうを見れば、折れた俺の足に踵を落としたオーバーサイズの白衣を着た女が居た。フランケンシュタインのように肌がツギハギな女は俺が足蹴にされた衝撃で驚きの声をあげたことに鼻を鳴らした。
「ビックリするから治療するならひと言ぐらい言ってやってくれよな?シルビア」
「こんなのゾンビなんだから痛くもかゆくもないでしょ!そんなことより治療したお礼は?」
ゾンビとはいえ五感は普通に働いている。酸を吐いてもケロっとしていて、荒治療されても平気だから人間の頃より鈍化しているだろうが。都合よく痛覚だけなくなったらよかったのに。 生前の痛みがどんなのだったかは覚えていないが、さっき濃硫酸をかけたやつの痛がり方をみれば、おそらく俺たちの痛覚は生者の1割もないぐらいじゃないかと思う。
まあ、だからといって無申告で骨折した足の骨を蹴り戻さないでほしい。微笑ましそうにこちらを眺めるエル姐さんの手前、お礼を言わないというルートはないけれども。
「ちっ……ありがとよ」
「ふん、そう思うならもっと態度でも示すことね」
おざなりに言った感謝の言葉に、ウェーブの掛かった赤髪のミディアムヘアで気の強そうな目をしたヴァンパイアのシルビアは、まんざらでもなさそうにうなずいた。
強引に戻された足を固定する為に、エル姐さんは包帯を巻きながら穏やかにシルビアへ声をかけた。
「シルビアはどうしてここに?」
「さっきの冒険者の目が欲しかったんだけど、コイツが溶かしちゃったのよ」
残念ながらなくなっちゃっからもうどうでもいいとシルビアは肩を竦め、エル姐さんはその言葉に柔らかい微笑みで返していた。エル姐さんの穏やかな対応にコホンと咳ばらいを一つして、シルビアは俺のことを観察でもするように視線を投げてきた。
「そういえば。アンタ、さっきの冒険者に苦戦してたけど不思議と思わなかった?」
「なにが言いたい?」
先ほどの死闘が俺の訓練不足からくる怠けが原因だという指摘だと判断して少し声の温度を下げれば、シルビアは悪くなった空気感を察して慌てたように口早に言葉を紡ぎ始める。
「別にアンタが弱くなったって言いたいわけじゃないわよ!ただ、ワタシたちに本来備わってないはずの飢餓感がアンタの動きを鈍らせたんじゃないのかと思っただけよ」
確かに先の戦いは万全の調子で挑んだし、普段なら無傷とは言わないが動けなくなるほど追い込まれることはなかっただろう。そして戦い終わった今は更に体に負荷がかかっているように重い。そこでシルビアの言いたいことが薄らとではあるが察する。彼女は強さを求めて自身を改造するマッドドクターだから体の調子には人一倍敏感で、故に今このダンジョンの異常の影響が大きく現れていたのだろう。ダンジョンで戦うモンスターは、そこが生まれたホームなら恩恵が受けられる。それはこと切れにくくなるだとか、自分たちの欲しいものを出せたりだとか。ただ、それにはダンジョンの魔力が不足なく循環する必要がある。俺は一介のモンスターなので詳しくないが、なるほど、確かに恩恵が薄れているのかもしれない。
エル姐さんが少し剣呑な言葉のやりとりにあたふたとし始めたため、俺はこの空気を流そうとわざとらしい笑顔を作った。
「そうか。気が付かなかったよ。今度からは戦闘前には手足の動きにもご機嫌取りをしとくよ」
「バカ!そうじゃなくってアンタも原因を探しなさいって言ってるの!これだからエルネア様のことしか頭にない腐れ脳みそモンスターと口をきくのは疲れるのよ」
「エル姐さんに脳の容量使うこと以上に素晴らしいことはないだろうが!」
「だから腐れ脳みそだって言ってんのよ!」
「もう!二人ともやめなさい!」
ダメだった。
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