第四話 胎動
〔人物紹介〕
二階 栄之進(86)
元衆議院議員、かつては与党内の最大派閥を率い、内閣複数に影響力を行使した「影の宰相」。
政界引退後もなお、経済界・宗教界・旧軍関係者と深く結びつく一大ネットワークを持つ。
彼の真の姿は、単なる政治屋ではない。
実は戦後より密かに温存されてきた**“南朝原理派”の後援者にして精神的首領**であった。
㈠〔黒幕の目覚め〕
永田町で北畠晴臣が謎の死を遂げた3日後――
熱海の山荘に姿を隠していた二階は、旧来の側近たちを集めて静かに告げた。
「どうやら、統合派が昭和の“手紙”を手にしたらしい。
奴らは血を混ぜ、“皇統”を曖昧にしようとしておる。
……それは“背徳”だ。“混血”が正統であるはずがない。」
会合の名は「桜十字」。
メンバーは旧宮家筋、右翼系団体幹部、宗教法人理事、民間軍事会社元幹部まで多岐にわたる。
〔計画名:『剣作戦』〕
二階は、「親書」の存在が公表される前に、それを奪取もしくは抹消し、同時に尊陽親王の公的活動を妨害する計画を立てた。
計画の骨子は以下である:
宮内庁内の原理派協力者を通じて、御春内親王周辺の警備・情報を把握
幽宮(光仁天皇側)への通信妨害・サイバー攪乱を実施
親書の存在を示す藤代議員側の文書をメディアに“偽書”としてリークし、信憑性を破壊する
統合派の中心である藤代重憲のスキャンダルを作為的に流布し、政治的立場を崩壊させる
最終段階として、尊陽親王を“歴史なりすまし”として告発する動きを起こす
〔古い怨念 ― 二階の回顧〕
「昭和21年、我が父もGHQの密約に憤った一人だった。
あの時、南朝は米国と結ばず耐えた。
今さら“和”などと謳い、奴らに利用されるのは“第二の敗北”だ。」
二階にとって、皇統とは「精神の純粋性」である。
“正統”は血ではなく、「混ざらぬもの」でなければならない。
彼にとって、統合とは“腐敗”であり、親書とは“屈服の証”でしかなかった。
《一方、藤代陣営――次なる危機》
尊陽親王と御春内親王の婚約内定に向けて、藤代議員は水面下で動いていた。
だが、彼のもとに一本の電話が入る。
「先生の政治資金管理団体に関する内部告発文書が、一部週刊誌に流れています。
内容は……完全に作られたものと思われます。」
同時に、尊陽親王を“宮内庁の非認定皇族”として非難するネット記事が拡散され、親王の学歴や出自を貶める情報が急拡散されていた。
これは偶然ではない。
“剣作戦”が始まったのだった。
㈡《御春内親王の葛藤》
密かに、親王との婚約の意志を胸に秘めていた御春内親王にも、異変が伝えられていた。
「お姫様……尊陽様とお会いする機会は、しばらく取りやめになるかもしれません。
宮内庁内部で、慎重論が強まっておりまして……」
彼女は一人、夜の部屋で古い紙束を開いた。
それは、昭和天皇が遺した親書の複写――“祖父の声”がそこにあった。
《対立を超えて、民に祈ること。
それが我らの使命であり、存在理由であると信ず。》
御春は静かに決意した。
「私は……“血”のためではなく、“言葉”のために、この縁を結びたい。
昭和の祖父が望んだ、“対話の皇統”を。」
令和7年10月10日 朝――
日本列島が、戦後最大の皇室報道に揺れた。
新聞各紙が、そろって一面トップで報じた。
◆ 朝霧新聞 朝刊一面(特別号外)
《御春内親王、旧宮家出身・朝倉尊陽氏とのご婚約内定》
政府は本日、御春内親王殿下(23)が旧皇族・朝倉家出身の尊陽氏(26)とご婚約の内定に至ったことを正式発表した。
内親王との縁組を通じて、戦後失われていた「旧宮家男子」の皇室復帰の道筋が整うこととなり、皇室典範改正の議論を再燃させる可能性が高まっている。
尊陽氏は学習院を経て京都大学哲学科を卒業、スイスのジュネーヴにて政治思想の研究に従事した経歴を持つ。
宮内庁は「極めて聡明で温厚な人柄」と評価しており、近く正式な記者会見が開かれる予定である。
なお、尊陽氏の出自について一部の保守系識者から異論が出ているが、宮内庁は「正統なる旧宮家の流れを汲む」と強調している。
本紙特別解説:
“朝倉家”とは、敗戦後に皇籍離脱した旧南朝系の末裔とも噂される家系。
今回の婚約が、皇統の象徴的な「東西和合」の意味を持つとの見方も。
【政府発表の要旨】
皇族会議による事前承認済み
尊陽氏は「朝倉家」姓で旧皇族リストに記載(※実際には光仁天皇系)
皇位継承権は現時点で付与されないが、「準皇族」としての儀礼的地位が想定されている
政府内では「皇室の安定的継承の選択肢」として極めて前向きに評価
〔国民の反応〕
SNS・報道番組・街頭インタビューより
「朝倉さんって誰!?でも王子様みたいで素敵……!」
「令和にして“皇統の融合”って、フィクションみたいな話だな……」
「これって、もしかして“南朝”の血を受け継いでるってこと?」
「ついに旧宮家復帰の議論が現実に?女系天皇よりもこっちを選んだのか?」
「自民党と藤代議員がこのタイミングで押したのは、やっぱり意味があるな……」
《宮内庁 記者会見》
宮内庁長官・白河典仁が記者の前で静かに語る。
「御春内親王殿下のご決断は、ご自身の深いご理解とご覚悟の上になされたものと承っております。
尊陽氏は、旧朝倉家の末裔であり、皇室との深い精神的結びつきの中でご成長されてこられた。
本件に関しては、“制度的議論”の前に、“祈りと和解の象徴”として受け止めていただきたいと考えております。」
《藤代重憲議員の声明》
藤代重憲は、婚約発表の3時間後、国会内で記者団に語った。
「これは単なる結婚ではありません。
我々が失った“連なり”を、ようやく一つの形として取り戻す機会です。
戦後、分断されてきた精神の歴史に、ようやく“橋”が架かったのです。」
彼の言葉は、一部メディアから「歴史修正主義だ」と批判されながらも、国民の多くには新鮮な響きとして届いた。
《光仁天皇、幽宮より祝辞を寄せる》
公式声明ではないが、幽宮の関係者を通じ、光仁天皇は次のような文を伝えた。
《願わくは、この縁が争いを解き、祈りを紡ぎし道となれ。
皇統とは、高みより下るものにあらず。
民とともに歩む、影と陽の交差にこそ、その真が宿る。》
《そして、“原理派”の動き――沈黙の反撃》
この報道がなされた数時間後、旧原理派の中枢である二階栄之進は、都内の“青山私塾”で一部側近と非公式会合を開いた。
「奴らが動いたか……。
“混血の儀”を国家が承認した以上、我らは“選別のとき”に入る。
かつて朕が護りたかった正統は、今や煙の中だ。
よろしい。……“計画B”を起動せよ。」
彼の側近がうなずいた。
その目には、冷たい火が灯っていた。