第三話 幽宮の灯火
㈠封書を手に、光仁天皇は長く目を閉じていた。
入江の筆は、政治家でも軍人でもない、“ただの侍従”としての立場で、歴史の水面下に生きた人物の真心に満ちていた。
「……昭和の御代において、すでに“和”の種は蒔かれていたのだな。
荘司殿の沈黙も、入江殿の忠義も、共にこの国を守るための祈りであったのだ。」
その手には、今や二通の手紙がある。
一通は、昭和天皇から光仁への親書。
もう一通は、入江侍従の“白陽録”。
そしてもう一つ――現代において密かに動いている政略婚計画、すなわち尊陽親王と御春内親王の縁談は、二つの血脈が初めて明示的に交差しようとしている歴史的な瞬間であった。
《永田町の水面下――藤代重憲の決断》
一方、山梨の大物議員・藤代重憲の手元にも、コピーされた“白陽録”の抜粋が届けられていた。
それは、かつて官僚時代に仕えていた某旧宮家の縁を通じて、幽宮側から間接的に届けられたものだった。
藤代は静かに原稿を閉じ、独り言のように呟いた。
「……これが、和を繋ぐ“影の玉璽”か。
昭和が拒んだ『力による統一』ではなく、**時を超えた“言霊の交差”**こそが、日本を結ぶのだな。」
そして彼は、近く訪れる御春内親王の誕生日に合わせ、密かに政略婚の正式打診を行うための動きを開始した――
すべては、70年以上前の“沈黙の和解”の灯を、いま再び日本の未来に点すために。
〔令和7年2月 ― 東京・高円寺 古書店「樹影堂」〕
高円寺の路地裏にひっそりと佇む古書店「樹影堂」。
そこに集まる数人の知識人と思想家たちのことを、人は「統合派」と呼んでいた。
「統合派」とは、南朝・北朝という二つの皇統の歴史的断絶を「思想」と「血統」の両面から回復し、
現代における「精神的皇統の再一体化」を実現しようとする地下運動体である。
その中心人物の一人が、楠木家の系統を受け継ぐ民俗学者、**北畠晴臣**だった。
〔北畠晴臣の使命 ― 親書の発見〕
数年前、北畠晴臣は幽宮・甲斐駒ヶ岳を訪れた際、光仁天皇の信任を受けて書庫の奥に保管されていた**「昭和天皇から光仁天皇への親書」の写し**に出会う。
それは、歴史上いかなる資料にも記されていない、“影の和解”の証であった。
晴臣はその場で一度だけ読み、涙を流したという。
「これがある限り、“天皇を巡る対立”は終わらせられる。
対立ではない、“継承と和解”の証として、これは国民にも共有されるべきだ。」
そう考えた晴臣は、光仁天皇の許可のもと、極秘に親書の写しを託された。
〔統合派内の分裂と“異端分子”の影〕
だが、統合派の内部には意見の分裂があった。
一方は、藤代重憲のように政略的に“両皇統の和合”を現実政治に反映させようとする実行派
一方は、思想的純粋性を重視し、政治的利用を徹底して拒む象徴派
そして、極端な一派がいた。彼らは“現皇室(北朝)を否定し、南朝こそ正統として復位すべき”とする原理派
この“原理派”の中には、昭和天皇の親書が公開されることで、南朝が「和解を受け入れた」という形になることを危惧する者たちがいた。
「親書は、南朝を制度の中に回収しようとする罠だ。北畠はそれに加担した。」
晴臣が親書を携えて都内の地下鉄永田町駅に向かった日、彼は「統合派の一部が裏切っている」と感じていた。
その朝、晴臣は古い携帯にメモを残していた。
《親書は命より重い。だが、誰かが……見ていた。
もし私に何かあれば、甲斐の御所に真実があると伝えてほしい。》
〔転落 ― 工作の痕跡〕
㈡永田町駅・6番出口。
監視カメラの映像には、晴臣の後ろに黒いスーツの男が一定の距離で付いていたが、駅構内ではその男の姿は確認できなくなる。
検視結果では、転倒にしては不自然な後頭部骨折と、腕を掴まれたような痕が発見された。
公安は「事故死」と処理したが、藤代重憲の秘書は、現場にいた鑑識から一枚の写真を極秘入手していた。
それは、血で濡れた親書の封筒――“昭和”とだけ記された古びた墨跡のある封筒であった。
《光仁天皇の沈黙と、尊陽親王の決意》
その報を受けた光仁天皇は、目を閉じて言った。
「晴臣が守ったのは、文ではなく、“和の意志”である。
言葉とは、殺すことも、生かすこともできる。だが、晴臣は“生かす”ために、命を賭けた。」
そのとき、傍らに立っていた尊陽親王は、父にこう言った。
「私が継ぎましょう。
“言葉の命”を、この国のかたちとして示すために。
たとえ、それが血と信仰の迷路であっても。」
その日、幽宮の灯火は夜明けまで消えることがなかった。
《藤代重憲、最後の準備》
晴臣の死から一ヶ月。藤代議員は、御春内親王の関係者を通じ、極秘に婚姻に向けた動きを加速させていた。
だが、彼もまた、次の危機を予期していた。
「親書があっても、まだ“連中”は動いている。
一部の旧体制派、そして“南朝の純血主義者”も黙ってはいまい。
晴臣は“和の証文”を遺した。だが、それを“力に変える”のは、我々だ。
この国の未来を、血ではなく“意志”で繋ぐために。」