【4.不審な婚約者】
次の日、前日のゴタゴタが心に重くのしかかっていて疲れていたが、アイリーンはスターリングを訪ねた。この件はもともとスターリングが受けた話なので、状況をスターリングに言うべきなのだ報告しようと思ったのだ。
疲れていたアイリーンとは反対に、スターリングはゆったりした笑顔で出迎えた。
栗色のつやつやの長い髪を一つに束ね、ウィリアムに負けないほど整った顔立ち。美丈夫という言葉はスターリングにぴったりと当てはまる。
彼の余裕然とした態度にアイリーンは少しだけムッとしたので、アイリーンは少し棘のある言い方をした。
「スターリング。私は何をさせられているのかしらねえ?」
スターリングは寝耳に水といった様子でちょっと目を上げた。
「ん? 何をしているのかい?」
「ホーランド伯爵夫人を説得するよう頼まれてるんです。ウィリアムとエリーゼの件なんですけど」
「え!?」
スターリングは一瞬狼狽えたような様子を見せた。
しかしすぐに笑顔を取り繕って、
「それは聞いていなかったな。クレイトンはなぜアイリーンを巻き込んだんだろう」
とゆっくり言った。
「ええと、一応クレイトンからも話は聞いたんですけど、どっちかというとエリーゼからのご指名だったみたいで」
「え!? エリーゼ?」
スターリングは信じられないなといった顔をした。
「エリーゼはなぜ君を指名したの?」
「私と親しくなりたかったんですって。まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいですよね。ちょっとがんばろっかな、って思いましたし」
「あ、ああ、そうかい」
スターリングの目にまだ動揺の色が浮かんでいるので、アイリーンは首を傾げた。
「ん? どうかしましたか? スターリング」
「あ、いや。別に」
「まあ、えって思いますよね? 私もびっくりしました。そりゃいずれ私もホーランド伯爵家とは縁続きになるとはいえ、まだあなたと結婚もしていないうちに、こんな身内の話に巻き込まれるなんて。でも、全てうまくいけば、エリーゼとも親戚になるわけですし、まあ手伝ってあげようかなって思わなくもないです」
「……。ええと、悪かったね、うちのゴタゴタに巻き込んで。婚約者とはいっても、まだ他人なのに……」
「ほんとですよー。元はと言えばスターリングが悪いんですからね。クレイトンに丸投げするんだから。ウィリアムもエリーゼもちょっと頼りないかなって思ったみたいですよ」
「そうかな。確かに丸投げしたが、それでアイリーンのところに話が行くとは思わなかった。まあでも、エリーゼの希望なんだね? そしてアイリーンも手助けしてあげようと思ってる……。それなら、私が口出せることじゃないのかなあ」
「あはは、またそうやって他人事にしようとするんですから。そういうとこズルいですよね。まあ、今回はいいですけど。でも、この件について私がクレイトンと二人で行動しても嫉妬しないでくださいよ。ってゆか、嫉妬しますか?」
アイリーンが悪戯っぽい調子でそう聞くと、スターリングは一瞬固まった。
それから小さく頭を掻いて、笑顔を作った。
「ああ。嫉妬するよ」
その様子を見ていたアイリーンは、ほんの少し残念そうな表情で苦笑した。
「嘘。ごめんなさいね、私から振っておいて。でも、そんな嘘はいりませんからね。ほんと演技がが下手くそなんですから。私たちは政略結婚ですものね。大丈夫、ちゃんと分かってます」
それを聞くとスターリングは気まずそうに首を横に振った。
「いや、でもちゃんと大事に考えているよ。夫婦になるのだから、信頼も愛情もこれから育めばいいと思うし。契約だけの関係にする気はないんだ」
「ええ。分かっています。あなたがそれなりに私を扱ってくださってることは」
「それなりって……。真面目に考えているつもりだよ。だから、今回のウィリアムとエリーゼの件も、アイリーンがやらなくてもいいことだよ、手を引いてくれていいんだ。私はクレイトンに任せたんだから……」
「ありがとう。手に負えなくなったら、無理せず手を引かせてもらうことにしますね」
「あ、いや。えーっと。……」
「どうしましたか? えっと? もしかして、どっちかというと私に首を突っ込んでほしくない感じですか?」
歯切れの悪いスターリングにアイリーンが首を傾げると、スターリングは、アイリーンの善良そうな瞳を見てからそっと目を伏せ、小さくため息をついた。
「アイリーンは私と結婚して一生苦労するだろうな」
「え、なんで急にそんなこと言うんですか? 一生苦労って怖いじゃないですか」
「うん。私はちゃらんぽらんだからね」
「でも世間の評価はそうじゃないみたいですよ? あなたならどんな仕事でも何とかしてくれるって頼りにされているみたいに見えます」
「それが不思議だよ。頼りにねえ。はあ。じゃあ、仕方がない。ウィリアムとエリーゼの件も自分でやることにしようか。ちょっと気が引けて自分でやる気が起こらなかったんだけど、アイリーンが巻き込まれてるとなると、それも何だか家名にとって不名誉な感じがするしね。ウィリアムとエリーゼの結婚自体は私だって望んでいることだし」
スターリングはしぶしぶと重い腰を上げるような言い方をした。
「あら、ご自分でなさるの? それは解決が早そうですね。ウィリアムもエリーゼ嬢も喜ぶと思います。でもなんで今になって急にそんなことを言い出すんですか?」
「あ、いや。そもそもクレイトンに頼むのは変な話だったのかもね。それに君のところに話が行くなんて、なんて皮肉……おっと、何でもない。ええと、君には身内のこんなみっともない話、あんまり見せたくないんだ」
「?」
なんだか話の流れがすっきりしない方向に進んでいくので、アイリーンは不審に思った。それにスターリングが口走った『皮肉』って何?
何だか自分が関係すると不都合な何かがあるっぽい?
アイリーンが疑わし気にスターリングを見つめているので、スターリングは慌ててアイリーンに近づくとそっと手を握った。
「ごめんごめん。何か混乱させちゃってるよね。ただ、こっちの話だから。アイリーンはこの件からもう手を引いて。分かった?」
「ええと?」
「返事は?」
「え? あ、はい?」
「いい子。じゃあクレイトンにも言っておくよ。あとは私が全部自分でやるからって。ま、自分で始めたことだしね。いいんだよ」
スターリングは笑顔で言った。
アイリーンの困惑は止まらない。
「? 自分で始めたこと? さっきから何を言っているんですか?」
「何? 私、そんなこと言ったかな?」
スターリングはもうアイリーンと真正面から話す気はないようで、穏やかな笑顔を張り付けたままアイリーンの背に手を回した。そのまま帰宅を促すような仕草だった。
アイリーンはなんだか疑問だけが膨らみ、もう少しスターリングと話したいと思ったが、スターリングの問答無用な気配を感じ取ると、小さくため息をつき、促されるまま帰ることにした。
その帰り道。
アイリーンを乗せた馬車がバルドーニ公爵家の邸の敷地を出たところで、馬に乗ったクレイトンとすれ違いそうになったので、
「止めて!」
とアイリーンは御者に頼んだ。
御者は驚いた顔で馬車を止めた瞬間に、アイリーンは馬車から身を乗り出しクレイトンに声をかけた。
「クレイトン、乗って!」
「?」
帰宅したらいきなりアイリーンにばったり出くわし、しかも彼女の馬車に乗れというので、クレイトンは怪訝そうな顔をした。
しばらく何も言わずに黙ってアイリーンの方を見つめていたが、アイリーンが
「聞きたいことがあるんですけど!」
と切羽詰まった顔で縋りつくように言うので、クレイトンは仕方がなく敷地内の召し使いに馬を預けると、アイリーンの馬車に乗った。
「どうしたんです? アイリーン様」
「クレイトン。変なのよ。スターリングも、ホーランド伯爵夫人も。それに、たぶんウィリアムもエリーゼも、みんな変なのよ。ねえ、そう思わない?」
「兄上に何を言われたかは知りませんが、他の人はまあ、そうですね」
クレイトンは特に驚く様子もなく、端的に答えた。
アイリーンはスターリングに言われたことを軽く説明してから、
「スターリングは私にこの件から手を引けというんです。でも、なんか隠していることがありそうにも見えるんです。私は婚約者なのに。何を隠してるのか知りたいと思うのはダメでしょうか?」
とクレイトンに意見を求めた。
クレイトンはしばらく無言のまま考えていたが、やがて心が決まったのか、顔を上げると、
「そうですね。じゃあ、僕が知っていることを教えてさしあげます」
とアイリーンの方を向いた。