【3.奇妙な取り乱し方】
さて、日を改め、アイリーンとクレイトンがホーランド伯爵夫人を訪ねると、おずおずした様子のマリア・ホーランド伯爵夫人が姿を現した。
大変恐縮した様子で一番の応接室に案内したマリア夫人は、
「何の御用でしょうか」
と蚊の鳴くような声で聞いた。
アイリーンは、
「マリア夫人。どうか、そんな縮こまらないでください」
と優しく声をかける。
しかし、マリア夫人は神経質そうに首を横に振った。
「でも、あなたはスターリング殿の婚約者。バルドーニ公爵家に入られるのでしょう? 縁続きになります、粗相があっては……」
「でも、私が義理の姪になるわけなので、礼を尽くさねばならぬのはどっちかというと私ですよ。どうか顔を上げてください」
「……」
マリア夫人は、クレイトンの方もちらりと見ると、余計に身を竦めた。
マリア夫人の態度が変わらないことを悟ったクレイトンは、もう気にせず単刀直入に用件を言った。
「ウィリアムの婚約のことで来ました」
途端にマリア夫人は目を見開いた。
「エリーゼ嬢とのことですか?」
「ええ。エリーゼ嬢はお嫌いですか?」
「あ、えーっと……」
マリア夫人が言葉を濁したので、アイリーンは真剣な口調で言った。
「誰にも言いません。伯爵夫人の素直なお気持ちを聞かせてください」
「嫌いとかではないのですが……」
マリア夫人はもごもごと口籠った。
「ウィリアムを取られた嫉妬とかですか?」
「! そういうわけではありませんわ!」
マリア夫人は、そこははっきりした声で否定した。
だから逆にアイリーンの方がたじたじとなってしまった。
「でもマリア夫人が反対しているってウィリアムが……。理由をお聞かせくださいます?」
「エリーゼ嬢との結婚は認められません。でもね、理由も申し上げられません。何も言えませんわ」
「そう仰らないでください。私たちはスターリングに頼まれてきたんです。解決しないと私が困っちゃうんです」
「それは……まあ、あなたの立場も分かる気もしますが。でもダメなんです。ええと、エリーゼ嬢にはウィリアムの兄ではいかがでしょう。長男のアンソニーは結婚していますけど、次男のジョージはまだ結婚していません。エリーゼ様にジョージではいかがかしら」
「そんな! 別にエリーゼはホーランド伯爵家の者なら誰でもいいというわけではないんですよ!」
「そうは仰いましても。察してくださいませ」
マリア夫人が情けなさそうな顔で懇願するように言うので、アイリーンは気まずくなった。
そうだ。マリア・ホーランド伯爵夫人は後妻だった。先ほど会話に出てきたアンソニーとジョージは死別した前妻の子。三男のウィリアムだけがマリア夫人の子なのだ。
「もしかして、そういうことですの? つまり前妻への遠慮で、ウィリアムとエリーゼの結婚を反対しているってことですか?」
アイリーンは聞いた。
するとマリア夫人は人聞きが悪い言い方を避けるように声を潜めた。
「そんなつもりで言ったんじゃないんですけど……。まあでも、アンソニーやジョージならまだしも、ウィリアムにエリーゼ嬢はちょっとと思っています」
「長男アンソニー様の奥様は確か……」
「デイジーは子爵家の出です。エリーゼ嬢は侯爵令嬢でしょう? ウィリアムには相応しくありません。ウィリアムにはどこぞの商家の娘で十分なのです」
「ええ? 商家は言い過ぎじゃないですか?」
「いえ、十分」
そうマリア夫人がきっぱりと言うので、アイリーンは少しウィリアムが不憫になった。
「マリア夫人。それは少しウィリアムが可哀そうかもしれません……」
「可哀そう?」
「ええ。兄弟でそのように差を作っちゃうと。アンソニーはちゃんと貴族令嬢を妻にしているのに、ウィリアムには商家の娘で十分とか……」
「あ、ああ、そうですか。そうおっしゃるなら少し考えます。まあでも、私はそれくらいの気持ちでいるってことですわ」
マリア夫人はアイリーンの言葉を受け入れるような様子を見せたが、結局は頑なにウィリアムとエリーゼの婚約には反対しているようなのだった。
するとそこへ、「やあやあ」と朗らかな声を上げながら、ホーランド伯爵が応接室に入ってきた。
「クレイトン。それにアイリーン様まで」
その途端、ホーランド伯爵の声を聴いて、マリア夫人がピタッと固まった。
クレイトンの体にも心なしか緊張が走っているように見えた。
伯爵は、硬い表情のマリア夫人に気づき、笑顔のまま近づくと夫人の肩を優しく撫でさする。
そして伯爵は、クレイトンに対してもリラックスを促すようにゆったりと腕を広げて見せてから、アイリーンの方を向いた。
「どうぞ寛いでくださいね。あなたはスターリングの婚約者。バルドーニ家の一員、我がホーランド家の親戚になる! 歓迎しますよ! さてさて、マリアはきちんともてなしているでしょうかね?」
その言葉を聞いて、マリア夫人はビクッとなった。
「あ、わ、わたし、不十分だったでしょうか?」
その声はぶるぶると震えている。
伯爵は取り繕うように、
「あ、いや、そんなに取り乱す必要はないよ、マリア。もてなしてるかは社交辞令のようなもので。言ってみただけだから。大丈夫、おまえは十分にやっている! アイリーン様もにこやかにされているし」
とマリア夫人に笑顔を向けながら早口で答えた。
しかしマリア夫人は顔面蒼白で、
「いえ! 旦那様には不十分なように見えるのでしょう? すぐにメイドたちを呼びます。すぐさま隣室を最上級のもので整えて! ああ、すみません、アイリーン様。私としたことが、たいしたおもてなしもせず……」
とうわごとのように言っている。
アイリーンは呆気にとられた。
思わずクレイトンを見上げると、クレイトンは慣れた様子なのか、軽く首を竦めて返しただけだった。
クレイトンがあてにならないので、アイリーンは慌ててマリア夫人の方を向いた。
「マリア夫人! 十分にもてなしていただいてます! 他の部屋を整える必要なんかありませんから」
しかし、マリア夫人は虚ろな目のままだ。
「いえ、おもてなしが足りないわ。アイリーン様はスターリング殿の婚約者。そうですわよね。まったく、私としたことが。旦那様の顔に泥を塗るところだった!」
「マリア夫人! 落ち着いてください! 十分だと言っているんです」
伯爵もマリア夫人を宥めるように声をかけた。
「そうだ、マリア。私の言い方が良くなかったよ、大丈夫だ」
しかし、マリア夫人は伯爵の声に余計に反応して、びくっと飛び上がった。
「いいえ! 申し訳ありません、旦那様。決してあなたの姪になられる方を蔑ろにしようとしたわけではないんですの」
「分かっている! 大丈夫だ、マリア!」
伯爵は困り顔で大声を出した。
「いいえ! 赦してください」
マリア夫人は宙を仰ぎ、それから跪くように床に倒れこもうとした。
アイリーンは目の前の光景にあんぐりとしていた。
何なの? マリア夫人。この取り乱しよう。
まったく私や伯爵の言うことを聞かないし。
ってゆか、クレイトンも何? こんな夫人の様子を見ても驚きもしないし。
マリア夫人をが床に倒れこんだので、伯爵はマリア夫人の体を支えようと慌てて手を差し伸べ、それから言葉にならない顔で急いでマリア夫人の肩を抱きしめた。
するとその瞬間、マリア夫人がびくっとなって、ものすごい勢いでばっとその手を振り払った。
アイリーンはその剣幕に驚き、マリア夫人が怯えているのか怒っているのか、いったいどんな顔をしているのか見ようとしたが、マリア夫人は青い顔で下を見つめたままで表情はよく分からない。
アイリーンは「えーっと」と言葉を探した。
伯爵も何とか気を取り直そうといくつか言葉を発しようとしてから、
「ええと、アイリーン様、今日はいったい何の御用で?」
と話を変えた。
「あ。ええと、ウィリアムの婚約の……」
アイリーンが努めて冷静になろうと声のトーンを落として答えを返そうと思っていたら、急にマリア夫人が遮るように金切り声を出した。
「やめてください! 旦那様にお聞かせするような話ではありません!」
「え? マリア夫人はそう仰っていますけど、婚約自体は良い話だと思うんですけど」
アイリーンが言い訳すると、マリア夫人はぎゅっと眉を吊り上げてアイリーンを睨んだ。
「ウィリアムの縁談など! ウィリアムはどこかの商家にやりますから。ホーランド家には置いておけません! 旦那様にお聞かせする話じゃないんですわ!」
マリア夫人は同じセリフを繰り返している。
「えっと……」
すっかり気圧されたアイリーンが、どうすべきか宙を仰いだ瞬間、マリア夫人はすっくと立ちあがって一歩足を踏み出した。
「アイリーン様。お願いですからもう帰ってください!」
「は、はあ……」
アイリーンが面食らっていると、何も動じない様子のクレイトンがそっとアイリーンの耳元で、
「帰りましょう。話にならないから」
と言った。
「あ、分かりました。帰りましょう……」
流されるままにアイリーンが答えると、マリア夫人はほっとしたような表情になって、応接室の長椅子にふらふらと歩いて行くとすとんと座り、アイリーンの方も見ずに「体調がすぐれなくて申し訳ございません……」と呟いたのだった。
もてなしが足らないとか騒いでいた人が突然こんな無礼な態度を取るのでアイリーンは困惑したが、伯爵がこれ幸いとアイリーンとマリア夫人を引き離すべく退出を促したので、アイリーンはクレイトンの後に続くように応接室から出た。
一緒に応接室から出た伯爵は、
「すまないね、マリアはウィリアムのことをぞんざいに扱うのだ。アンソニーとジョージに遠慮しているのか知れないが」
と声を潜めて言った。
「何かあったのですか? アンソニーとジョージに遠慮しなくちゃならないような」
アイリーンが聞くと、伯爵は疲れたように首を横に振った。
「いや、特にはないと思うが」
そして伯爵は、応接室の長椅子で緊張して耳をそばだてている様子のマリア夫人をちらりと見てから、小声で言った。
「スターリングから私にもマリアを説得するように話は来ていたのだが。私では説得できなくてね」
「私たちにも無理でしたね。マリア夫人があの調子では。今日は難しいのでこれで帰ろうと思いますけど」
アイリーンとクレイトンはその場で見送る伯爵に深く頭を下げてから、執事に連れられてエントランスの方へ歩いて行った。
アイリーンは大失敗だったなと少ししゅんとしていた。
クレイトンは無表情で歩いて行くが、アイリーンの方はふと気になり執事に声をかけてみた。
「伯爵とマリア夫人はうまくいっているのでしょうか?」
執事は丁寧に答える。
「悪いということはございません。旦那様はマリア夫人に心から優しいのですよ」
「前の夫人を病気で亡くしてから1~2年して、伯爵はマリア夫人を見初めたのですよね」
「そうです。伯爵はたいそう今の奥様を愛しておいでです。それはもうずっと。ウィリアム様のことも、伯爵は上のお子様と同じように大切になさっています」
「それなのにウィリアムだけあの仕打ち? マリア夫人だって、あんなに自分を卑下した態度をとらなくてもいいのにって思うんですけど。それに伯爵に何か言われたときにマリア夫人はすごく取り乱しましたよね。何か後ろ暗いことがあるのかしら? ……まさかマリア夫人が前妻に何かしたとか?」
アイリーンが悪い考えを思いつき、ハッと執事の方を見ると、執事は顔色一つ変えずに、
「ございません。奥様は今も昔も礼儀正しくいらっしゃいます」
と淡々と答えた。
アイリーンは薄ら寒い心地になって、
「そうよね。あなたはそう言うしかないわよね」
と思わず言ってしまった。
言ってから心底後悔した。
「ごめんなさい。変なことを言いました」
そして、アイリーンとクレイトンは執事に見送られながら、馬車で帰路についたのだった。