9.
ようやく少しは慣れて来た手つきでふたりに給仕しながら、リーディはそんなことを思っていた。けれど考えごとをしていたせいか、食後に淹れていたお茶のカップを落としてしまう。
「も、申し訳ありません」
甲高い音が周囲に響き、慌ててカップを片付けようと破片に手を伸ばした。
「ああ、駄目だ。手が傷付いてしまうよ」
それより先に、湊斗の手が手早く破片を拾い集める。
「そんな、湊斗様にそのようなことを……」
侍女長に知れたら、どれだけ叱咤されるか。困惑する彼女の目の前で、湊斗はそれを手際良く片付けている。
「わたしもよくお皿を割っちゃって。だからお兄ちゃん、後片付けは慣れているのよ」
理佐が少し恥ずかしそうに言った。
甲斐甲斐しく世話を焼く、湊斗の姿が浮かぶようだ。
「そうだったのですか。すみません、湊斗様。ありがとうございます」
丁寧にお礼を言って、割れてしまったカップを下げ、新しくお茶を淹れ直す。
「リィは、あまりこういう仕事に慣れていないようだね」
けれどふいにそう言われ、どきりとした。
王女として暮らしていたので不慣れなのは当然だが、ノースの手際を真似して上手くやっていたつもりだった。実際、他の侍女達や侍女長に文句を言われたことは一度もない。
それでもやはり、漆黒の剣士はすべてを見抜いてしまうのか。
「そうでしょうか。もし不手際がありましたら申し訳ありません」
平静を装ってそう言うと、こちらをまっすぐに見ている湊斗と目が合う。その鋭い目つきは、理佐とじゃれあっていたときとは、まるで別人のようだ。
深い色をした彼の目から、目を反らすことができない。
リーディは肉食獣に見据えられた小動物のように、ただ息を潜めて彼の言葉を待っていた。
「最近、この王城に来たと言っていたね。その前は何を?」
リーディの淹れたお茶を飲みながら、湊斗は何気ない話題のように尋ねる。
「サリティという町に住んでいました。両親が亡くなってしまい、知り合いの紹介で兄と一緒に王城に勤めることになったのです」
兄から覚え込まされていた設定を、必死に思い出しながら答えた。
「サリティか。俺も行ったことがある。今の季節だともう雪が降っているのかな?」
「ええ。まだ積もってはいないと思いますが、きっともう降り始めているでしょうね……」
俯いたのは両親や故郷を懐かしむ様子を演じたのではなく、それ以上詳しく聞かれてしまうとばれてしまうかもと恐れたからだ。
でも湊斗は聞いてはいけないと思ったらしく、話題を変えてくれる。
「兄と一緒に、っていうことは君のお兄さんも王城にいるのかい?」
それがよりによって、兄の話題とは。
リーディは無理矢理笑顔を作って頷く。
「はい。警備兵をしています。多少剣が使えるようなので」
「剣を?」
むしろこっちのほうが触れて欲しくない話題なのに、湊斗は重ねて尋ねる。
「王城の警備兵をするくらいだから、きっと腕が立つんだろうね」
「い、いえ。そんなにたいしたものでは」
「そうだ、もし……」
「お兄ちゃん」
このままだと望まない方向に進んでいってしまいそうな話を遮ったのは、両手でカップを持ってお茶を飲んでいた理佐だった。
「昔も剣道の話ばっかりして、カノジョに振られたの、覚えてないの? 女の人にはそういう話、退屈なんだからね?」
たったひとりで世界を変える力さえ持つ湊斗を、話が退屈だというだけで振る女性なんていないと思う。でも話題を変えてくれたのは本当に有り難くて、リーディは胸を撫で下ろした。
それを見た理佐が得意そうに微笑む。
湊斗に悪いような気がする。
でもできれば、兄の話題は避けたかった。リーディにとって兄は何がきっかけになって爆発するかわからない、恐ろしい爆弾なのだ。
理佐の忠告が効いたのか、それから湊斗が兄のことを話題にすることはなかった。
その日の夜。
リーディはそっと部屋を抜け出し、兄に指定された場所に向かう。
王城の中庭のひとつだが、手入れもされずに荒れ果て、忘れられたかのような寂しい場所だった。いくら警備兵に扮しているとはいえ、そう自由に動き回ることはできないだろうに、よくこんな場所を見つけてくるものだと感心してしまう。
そしてこれから定例となるだろう兄との報告会で、リーディは昼の湊斗の会話を伝える。
「だから気を付けてね、本当に。わたしも結構大変だけど、兄様の正体がばれたらもっと大変だから」
慎重に言葉を選んで、注意を促す。
いままでイリスでも、剣に優れた人間を見てきたことがある。
でも、湊斗はその中でも別格だ。リーディにもわかる。
妹に甘く、理佐の部屋では自然体だが、その気になればこんな茶番などすぐに見抜いてしまうだろう。
「ねぇ、兄様。聞いているの?」
それなのに兄のアンドリューズは、返事どころか聞いてもいないように見える。焦れて声を荒げると、彼はようやく妹を見つめる。
「聞いている。だが話を聞く限り、湊斗が興味を持っているのは俺じゃない」
「え?」
じゃあ誰に興味を持っているというのか。
首を傾げて真剣に考えている妹の姿に、アンドリューズはあきれたように笑う。
「鈍いな。恋をしたこともないのか?」
「あるはずないでしょう。わたしは王女なのよ?」
王女として生まれたからには、結婚は国のためにするもの。
恋などしても無駄だし、興味もなかった。
そう告げると、アンドリューズは驚いたような顔をしてリーディを見つめ、それから寂しげな笑みを浮かべる。
(……兄様?)




