5.
王城に住む侍女には、専用の寮がある。
だがあれが本当に王妃の部屋ならば、いつでも用があれば駆けつけられるように、近くに侍女用の小さな部屋があるだろう。
部屋から持ち出した簡単な身の回りの品――リーディのものは侍女が持つには豪華すぎるので、ノースのものを借りた――を鞄に入れ、警備兵に侍女の部屋の場所を聞く。すると、すぐに案内してくれた。
あの侍女長からもう通達があったのか、不審に思われた様子はなかった。
「ここね」
宛がわれた部屋は侍女のものにしては広く、清潔に整えられている。リーディがセットリア王国の王妃になれば、ここはきっとノースの部屋になるはずだ。
(無事にその日が来れば、の話だけれど)
リーディは少ない荷物を置いて、部屋の中を見渡してみる。
窓が大きく、太陽の光が部屋の中を明るく照らしていた。
清潔で綺麗に整えられており、居心地は悪くはなさそうだ。
簡単に身の回りを片付けてから、さっそくあの少女の部屋に向かった。
「ええと、お茶を入れるのは何とかなるし、着替えだって今まで手伝ってもらっていたことを、そのままやれば……」
扉の前に立ち、いまさらながら仕事の内容を確認する。
高貴な身分の女性に仕える侍女は、そんなに雑用をする必要はない。主が心地良く暮らせるように心を砕き、環境を整えるのが一番大切な仕事だ。
それに関して、ノースは完璧な侍女だった。いつも傍にいてくれた彼女と同じようにすれば、きっと大丈夫だろう。
よし、と小さく呟いて、リーディはすぐそばにある昨日の部屋に向かった。
「失礼します」
扉を叩いて中に入ると、あの黒髪の少女はぼんやりと窓の外を見ていた。振り向いた顔には、昨日よりも少し落ち着いた色がある。
「あなたは誰?」
「わたしは……、ええと、侍女のリィと申します」
咄嗟に偽名を告げる。
さすがに隣国の王女の名を、そのまま言うわけにはいかない。
「リィさん? わたしは、理佐です」
彼女はそう名乗ると、少し首を傾げる。
何の用事なのか、知りたいのだろう。
「理佐様のお世話係に任命されました。何なりとお申し付けください」
「え? わたしの?」
彼女は驚いた様子だったが、やがて頭を下げてこう言った。
「色々とお世話になると思いますが、よろしくお願いします」
そう言って、勢いよく頭を下げた。昨日と違ってその顔は明るく、怯えたような様子はもう見られない。
「落ち着かれたようですね」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうに笑った。
「……ええ、昨日はちょっとパニックになっちゃって。騒がせてしまって、ごめんなさい」
理佐は、恥ずかしそうに笑う。
貴族のような優雅さはないが、それでも明るくて元気な彼女に、リーディも好印象を持った。
セットリア国王も、こんな明るさに惹かれたのだろうか。
「では、お茶を煎れますね」
そう言って、リースの手つきを真似て、お茶を煎れる。
「理佐様は、どうしてこちらに?」
そうしながら話をよく聞いてみると、理佐は気が付いたら近くの森の中に倒れていたらしく、誰が助けてくれたのかも知らない様子だった。
目が覚めた途端、強引にこの部屋に連れてこられたかと思うと、初老の老人に色々と問い詰められ、そのせいで昨日は怯えていたらしい。
(恋仲どころか、セットリア国王の顔も知らないようね。それなら、どうしてあんな噂が広がったのかしら……)
理佐を問い詰めた初老の男というのは、きっと宰相のディスタ公爵と言う男だ。
この国に来たとき、セットリア国王の代理として対面したことを思い出す。なかなか腹黒そうな、油断ならない人物だった。
(噂を流したのも、もしかしたら……)
勘でしかないが、あの男なら何か企んでいそうだと思う。
もしそうだとしても、何も知らない様子の理佐に罪はない。偽りの侍女とはいえ、せめて不自由しないように勤めようと、リーディは思った。
(ノースが聞いたら怒りそうね)
自分の地位を脅かそうとしている女性相手に、呑気すぎるのかもしれない。
でもリーディは、いざとなれば婚約を解消して祖国に帰るつもりだった。あの襲撃だけでも充分、その理由になるだろう。
(わたしを襲ったのは誰なのかしら。国に帰るにしても、その前に少しでもこの状況を探っておかないと)
慣れない手つきでお茶を淹れ、理佐に渡す。礼を言って受け取った理佐は、お茶を一口飲むと、小さく溜息をついた。
「それにしても……。まさか異世界に来ちゃうなんて思わなかったなぁ……」
「異世界、ですか?」
森で国王に会ったと聞いてはいたが、彼女の素性は知らなかった。リーディが首を傾げてそう聞き返すと、理佐はこくりと頷く。
「うん。わたし、この世界の生まれじゃないの。上手く説明できないんだけど……。ここじゃない、別の世界から来たの」
「別の世界?」
思わず敬語も忘れてそう問いかけてしまったが、理佐は気にした様子もなく、むしろ不安そうにリーディを見上げる。
「急に異世界なんて言われても、やっぱり不審に思う……よね。でもわたし、本当に違う世界から来たの」
「いえ、理佐様のお言葉を疑っているのではありません」
慌てて否定して、理佐に微笑みかけた。
「理佐様のご家族の方が心配なさっているのでは、と思ったのです」
このような少女が家に帰らなければ、きっと心配しているだろう。取り繕ったのではなく、本当にそう思った。
でも理佐は首を振る。
「わたし、ひとり暮らしだったから。両親はもういないし、お兄ちゃんも行方不明になってしまったの。だから、それは大丈夫」
「……そうですか」
年端もいかぬ少女が、ひとりで生きていくのは大変だっただろう。リーディがそう思ったのがわかったのか、理佐は明るく言う。
「わたしだってもう十八だし、ひとりで何でもできるもの」
「え? じゅ、十八?」
侍女にあるまじきことだが、またしても驚いた声が出てしまう。
見た目からして、もっと幼いと思っていた。そんな反応も彼女は慣れている様子で、肩をすくめて笑う。
「日本人って幼く見えるってよく聞くけど、異世界でもそうなのね」
日本。
その言葉をどこかで聞いたような気がした。リーディは必死に思い出そうとしてみるが、すぐに思い出せない。
(わからないわ。兄様なら、何か知っているかもしれない)
あとでまた、兄に手紙でも出して聞いてみよう。
そう思っていると、理佐が小さくくしゃみをした。