4.
「侵入者は?」
「ひとりでした。覆面をしていましたが、背の高い男性でした」
ひとりだからこそ、ノースでも撃退することができたのだろう。
それでも相手が手段を選ばずに本気で命を奪おうとしてきたら、彼女だけでは難しい。多少の嗜みはあっても、ノースも貴族の子女であり、リーディの兄のように戦場で通じる剣ではない。
「誰が真犯人なのかわからない以上、姫様がここに留まるのは危険かもしれません」
王女のための豪奢なドレスを纏ったまま、ノースはどこか思い詰めたような顔をしてそう言った。
リーディほどの輝きはないが、それでも充分に美しい金色の髪が窓から入ってきた陽光を照らして輝いている。ぼんやりとその煌めきを見つめながら、リーディはさきほど会った黒髪の少女を思い出していた。
「……」
この部屋を襲撃した犯人が誰だとしても、その狙いはこの婚姻を壊すことだ。
きっと、命まで奪うつもりはないのだろう。
隣国の王女がこの国で殺されたりすれば、小競り合いだけでは終わらない。おそらく、大規模な戦争になる。
この国の王も、そこまでは望んでいないだろう。
(でも本当に、イリス国の王女は歓迎されていないようね)
政略結婚なのだから、覚悟していたことだ。
しかも相手は長年の友好国ではない。苦労することも、身の危険があることもすべて承知して、この国に来た。
だが憂い顔のノースは、リーディがこのままこの国に滞在することには反対のようだ。
「姫様、わたしは身代わりとしてこの国に残ります。ですからすぐに、イリスにお帰り下さい。事情をすべてお話すれば、あとは国王陛下が良いようにして下さるでしょう」
「そんなの駄目よ。あなたを置いていけないわ」
覚悟を秘めた彼女の言葉を、リーディは即座に首を振って否定する。
「いいえ、姫様に付き従ってきたときから、命をかけて姫様をお守りする覚悟はできています。ですから……」
「嫌よ」
だがリーディは誰の陰謀なのか、そして何の目的かもわからないのに、友人でもあるノースを身代わりにするような真似はしたくなかった。
「それに王城を抜け出してイリスに帰るにしても、誰が何を企んでいるのかわからないままでは、お父様だって動きようがないわ」
そして誰が味方かもわからない状態で、他の人間に頼るのはとても危険だ。
「そうだわ」
ふとリーディが思い出したのは、あの黒髪の女性の侍女に任命されたことだ。身元を隠し、情報を得るには最適なのかもしれない。
「わたしは王城に潜んで情報を集めるわ。ノースには、このまま身代わりを続けて欲しいの」
さすがに王城の隣にあるこの建物を、何度も襲撃したりしないだろう。
すでに一度失敗している。おそらく以前よりも慎重になるはずだ。
「ですが姫様、王城に潜むなんて」
「ちょうどいい方法があるの」
不安顔のノースにリーディは、国王が保護した女性に会ったこと、そして侍女長が漏らした言葉とその侍女に命じられたことを告げる。
「何と言うことでしょう。イリス王国の王女であるリーディ様に、得体の知れない女性の侍女になれとは!」
憤りを隠そうともしないノースを、慌てて宥める。
あの侍女長も、自分がイリス王国のリーディであると知らないからこそ、そう命じたに過ぎない。
「でもチャンスだわ。彼女の傍にいれば、誰がどんな目的を持って彼女を利用しようとしているかわかるかもしれない。それにわたしなら、この国の人達に顔を知られていないもの」
「……ですが」
ノースは最後まで渋っていたが、リーディは半ば強引に押し切った。
それにこの婚姻がきちんと成立すれば、リーディはこの国の人間となる。
知識だけで実際は何も知らずにいるよりも、誰がどんな風に権力を握り、どんな野望を持っているのかを知るには、良い機会だろう。
「身元を調べられると都合が悪いから、兄様に連絡していろいろと裏工作してもらうわ。そういうの、兄様は得意そうだから。たまに様子を見に来るから、そのときに情報交換しましょう」
身分を隠して忍び込むのは、兄の得意技だ。きっとこの国にも、自分達の知らない伝手があるに違いない。
「それにもう少し侍女を増やしてもらわないと。ノースひとりでは、対応できないこともあるかもしれないから、できれば剣も使える人がいいわね」
それも兄に頼めばすぐに手配してくれるだろう。
机に座り、手早く兄に宛てた手紙を書く。
いつも身軽に動いている兄は、その分行動も早い。きっと父に伺いを立てるよりもずっと早く、新しい侍女を選んで送ってくれるだろう。
ノースはしばらくおろおろとしていたが、やがて覚悟を決めたのか、深い溜息を付く。
「リーディ様は……。やはりアンドリューズ様の妹でいらっしゃいますね。本当に、よく似ていらして……」
「そ、そう? 兄様ほどではないつもりだけど……」
書き終わった手紙に封をしながらその言葉に逆らってみたが、返ってきたノースの溜息の深さに、それ以上反論することができなくなってしまう。
「探ると言っても、あの部屋に来る人の様子を伺うだけよ。自分から動いたりしないわ。なにせ、命を狙われているかもしれないもの」
神妙な顔をしてそう言うと、その言葉でようやくノースは安心したようだ。
「今回の襲撃、セットリア王国側には報告しますか?」
「まだ隠しておくわ。誰が敵なのかわからないから。護衛をつけるなんて言われても信用できないし、言わないほうがいいわ」
「わかりました。どうぞお気を付けて」
ノースが無理に止めないのは、やはりこの部屋にいるのが一番危険だとわかっているからだろう。
兄への手紙を彼女に託し、周囲に気を配りながら、リーディは王城に戻った。