20.
「リーディ、こんなところで何を……」
「ノースを助けて! 離れにまた、襲撃があったの」
何があったのかと戸惑っていたアンドリューズの表情が、一瞬で厳しいものになる。リーディを庇うようにその前に立つと、視線を彼女が走ってきたほうに向けた。
「まさか、ここまでするとはな」
そう言うと、腰に差した剣を抜き、離れに向かって走っていく。
「兄様!」
風が駆け抜けていくかのような速さで、その姿が消える。
さきほどまでは、急いで警備兵を呼ばなくてはならないと思っていた。
でも敵がこの国の宰相で、王城内で相当な権力を握っていることを考えると、呼ぶほうが危険なのかもしれないと思い直す。
(それに兄様がいるから、大丈夫だよね)
刺客は凄腕のようだったが、兄だって相当の遣い手だと聞いている。
リーディは周囲を見渡して、様子を確認した。
刺客の仲間らしき者はいない。それでもこの場に残るより、兄の傍にいるほうが安全だと判断して、離れに戻ることにした。
だがリーディがそこに向かおうとしたとき、目的地の建物の中から誰かが飛び出してくるのが見えた。
あの、黒い覆面の襲撃者だ。
「……っ」
リーディはびくりと身体を震わせて、その場で立ち止まる。
兄は思っていたよりもずっと早く、襲撃者を撃退したようだ。男の覆面の中にある目が、立ち止まったリーディを見つめる。
「!」
「……リィ?」
恐ろしさのあまり身を固くしたリーディに、覆面の男はそう呟いた。
(え?)
その偽りの名前を知るのは、兄以外ではふたりだけのはず。驚きに目を見開くリーディの前で、我に返った覆面の男は走り去っていった。
そのまま、リーディは呆然と立ち尽くしていた。
「大丈夫か?」
肩を引かれ、我に返る。
駆けつけたアンドリューズが、心配そうにリーディを見つめている。
「に、兄様……。あの人は? わたしを襲撃したのは……、どうして」
激しく取り乱してしまい、感情のまま、言葉を口にしていた。
「混乱する気持ちはわかるが、まず部屋に戻れ」
ここは危険だと促されたが、リーディは首を横に振る。
あの覆面の襲撃者は、湊斗だ。
湊斗は、リーディがイリスの王女であることを知らない。イリス王女が住んでいる離れに向かうリーディの姿を見て驚いただろう。
リーディも、湊斗の姿を見て驚いた。
でも兄は、何かを知っているのではないだろうか。
襲撃者が湊斗だと知っても、あまり動揺した様子のない兄に、リーディは強い視線を向ける。
「兄様、もう誤魔化されるのは嫌です! どうして王城を出たのですか? この国で何が起きているのですか? どうして湊斗様が……」
不可解なことばかり起きて、頭が混乱している。
縋るようにしがみつくと、兄はかすかにうめき声を上げた。驚いて離れると、肩のあたりが血に染まっている。
「に、兄様、怪我を……」
「心配ない。かすり傷だ。本気の漆黒の剣士と剣を交えていたら、こんなものではすまない」
アンドリューズはそう言うが、リーディは蒼白になっていた。
湊斗が兄を傷つけた。
もう彼は、敵になってしまったのだ。
名の知れた剣士でありながら親しみやすく、妹との再会を喜んでいた様子や、この国の貴族の令嬢に絡まれたとき、助けてくれた姿を思い出す。
そして、好意を示してくれた。
リーディとの未来を望んでくれたのだ。
「まぁ、向こうも驚いただろうな。湊斗から見れば、俺達がイリス王女の命令で理佐を見張っていたと思っても不思議ではない」
そう言われて初めて、湊斗がそう思った可能性があると気が付く。だとしたら彼は驚いただけではなく、傷ついたはずだ。
「……そう、思うでしょうね」
どうしてあのとき、セットリア国王が保護した女性の顔を見たいなどと思ってしまったのか。
どんなに後悔しても、もう遅い。
あんなことさえしなければ、湊斗と理佐と知り合うことはなかった。でも、こんなふうに別れてしまうこともなかっただろう。
「そんな顔をするな。湊斗は本気じゃなかった。そうでなければ、あの漆黒の剣士が目的を達することもなく逃げ出したりするものか。何か事情がある。おそらく理佐に関することだと思うが」
「それは、宰相の……」
「ああ。湊斗に指示したのは、宰相のディスタ公爵だ。だが湊斗まで動かしたら、いくら何でもセットリア国王も気が付く。……あいつはこれからどう動くか」
もしかしたらすべては宰相の仕業で、セットリア国王は何も知らないのだろうか。そう尋ねると、兄は首を振る。
「いや、あれもかなりの野心家だ。むしろ、わかりやすいディスタよりも厄介だと思っている。だがリーディ、まず部屋に戻ろう。これからのことで、相談しなければならないことがある」
兄の言葉に、リーディは素直に従った。
部屋に戻ると、真っ青な顔をしたノースがリーディ達を見て駆け寄ってきた。
「姫様! ……御無事で何よりです」
「ノース、ごめんなさい。あなたを身代わりにしてしまって。怪我はなかった?」
「はい。アンドリューズ様が庇ってくださいましたから」
ノースの話によると、襲撃者……湊斗は、王女に扮したノースに剣を向けようとした。だがそれを防いでくれたのが、部屋に飛び込んできたアンドリューズだった。湊斗はアンドリューズの姿を見ると動揺し、すぐに撤退したのだという。
「では、兄様だとわかって攻撃したわけではなかったのね」
それだけで少し、ほっとする。
(でも、今の彼がイリス王国にとって敵だという事実は変わらない……)
漆黒の剣士が敵に回るという恐ろしさよりも、親しく言葉を交わし、淡い想いさえ抱きつつあった湊斗と敵対したくないと思う。
この件の首謀者は、兄が言うには国王ではなく、宰相のディスタ公爵らしい。そして彼の目的は、理佐を王妃にして、湊斗の力をこの国のものにすること。
だが、兄が言っていたセットリア国王の野心というものが気に掛かる。
それも湊斗に関することなのだろうか。
停戦を望み、リーディを妻にしたいと申し出たはずのセットリア国王は、何を目指しているのだろう。
(……わからないわ。わたしでは、何ひとつ)
「とにかくこれ以上、この国に留まるのは危険だ。湊斗が俺達の正体を、ディスタ公爵に報告しないという保証もない」
「……ええ。そうね」
イリス王女を庇った兄と、その離れの周辺に居たリーディ。
もし湊斗がそれをディスタに報告すれば、色々と大変なことになる。彼がそんなことをしないとは、残念ながら言い切れない。今の湊斗は、弱点のなかった最強の漆黒の剣士ではない。大切な妹を守るためなら、何だってするだろう。




