19.
「ノース?」
まだ夜明けは遠い。
静まり返った部屋の扉を、リーディは遠慮がちに開いた。
「起きている?」
「姫様?」
夜中にも関わらず、ノースは起きていたようだ。
数人の侍女の姿もあった。
リーディのドレスを着てイリスの王女に扮していたノースは、リーディを見ると安堵した様子だった。
「ごめんね。大変だった?」
「いいえ。あれ以来、襲撃もありませんでしたし、大丈夫です」
「そう。ノースに聞きたいことがあるの」
「はい、何でしょうか?」
首を傾げるノースに、リーディは気になっていたことを告げる。
「わたしの書いた手紙は、兄様に届いたのよね? だから兄様が来てくれた。そうよね?」
「はい」
彼女は迷いなく頷いた。
だが最初に襲撃を受けたとき、兄に救援を求めるためにリーディが書いた手紙。その手紙を見て兄が来てくれたのだと、リーディは思っていた。
だが。
(兄様は、わたしが手紙を出したことを知らなかった・・・・・・)
さらにイリス王国の王太子が、三ヶ月前から行方不明になっているというあの噂だ。
(兄様、本当に何を考えているの? わたしにはもう、兄様の考えていることがわからないわ……)
リーディは、振り返って王城を見つめる。
今ならばまだ、兄は理佐の警護のために部屋の前にいるはずだ。
問い詰めて、本当のことを聞き出したい。
だが理佐のいる部屋の前でできるような話ではないことは、リーディだってわかっている。
(でも、今捕まえないと、兄様はわたしの前からもいなくなってしまうかもしれない)
なぜか、兄の憂いに満ちた表情を思い出すと、そんな焦燥が胸に沸き起こる。
リーディが国を出てから、たった三か月の間に何があったのだろう。
不安を胸に留めておくことができなくて、リーディはノースに訴える。
「でも兄様は、わたしが出した手紙のことを知らない様子だったわ。それなのに、どうしてわたしのところに来たの?」
「いえ、たしかにアンドリューズ様に届いたはずです。私には、手紙のことを話していました」
ノースの言葉は、やけにきっぱりとしていた。
手紙が届くように手配してくれたのは彼女だが、それでも隣国まで、しかも父には内緒で書いた手紙だ。少しくらい、本当に届いたのか疑ってもおかしくないのではと思うのは、考えすぎだろうか。
(わたしも少し、疲れているのかもしれない)
そう思って、溜息をつく。
慣れないことをした日々が、続いていたのだ。
兄が無事に戻ってくるまで、何も考えずに休んだほうがいいのかもしれない。
そう思った瞬間だった。
ふいに、身体にのしかかる重み。
ノースがリーディを守るようにして覆い被さってきていた。その後に続く、ガラスが砕け散るような音。
気が付けばノースの背が目の前にあり、両側を他の侍女にしっかりと守られていた。
(なにが起きたの?)
思えばこの国に来てから、予想外のことばかりだ。
慣れてしまったのか、こんな状態なのに思ったより落ち着いている自分を不思議に思いながら、リーディは、背の高いノースの影から前方を見つめた。
床には粉々に砕けた窓ガラスの破片が散乱していた。
目の前には、黒ずくめの男の姿。
手には幅広の剣を握っていて、その切っ先はまっすぐにこちらに向いていた。
男の顔は黒い頭巾のようなもので覆われ、素性がわからないようになっている。それでも氷のような殺気は、リーディを心底震え上がらせた。
その身のこなし。
漆黒の剣士と呼ばれる湊斗や、兄と共に過ごしていたからわかる。
彼はかなりの遣い手だ。
刺客の視線は、王女の姿をしたノースに注がれている。
リーディは侍女の姿のまま。
この状態では、気丈な王女が年下の侍女を庇っているようにしか見えないだろう。
「……姫様」
視線をその男に向けたまま、ノースは小声で呟く。
「わたしがあの男の注意を引き付けます。ですから、その隙にお逃げ下さい。何としても、姫様だけはお守りします」
その言葉の意味を完全に理解するよりも先に、身体がふわりと投げ出された。窓から押し出されたのだと気付くと同時に、身体の側面に鈍い痛みが走る。
着地した場所は廊下だった。ここには柔らかい絨毯が敷き詰められていたから、衝撃はあったが怪我をするほどではない。だが窓は固く閉ざされ、もうここから中には戻れない。
襲撃者と、王女の姿をしたノースが部屋の中に残されているのに。
呆然と窓を見上げていたリーディは、我に返って頭を振る。
(助けを呼ばなきゃ)
この状態でリーディにできることは、助けを呼ぶことだけだ。
王城の警備兵でも誰でもいいから、すぐに助けを呼ばなくてはならない。
リーディは離れを飛び出し、叫びながら王城に向かって走り出した。
「誰か、助けて!」
無我夢中だったリーディに、前方を確認する余裕はなかった。
建物の角を曲がったとき、向こう側からやって来た人にぶつかってしまう。
相手は男性だったらしく、小柄なリーディは弾かれて地面に転がっていた。腰を打ち据え、小さく呻いていると、その男性は慌てた様子で手を差し伸べた。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある声だった。その声を聞いた途端に安堵が胸を満たし、無意識に涙が零れ落ちる。
「兄様……」




