苦しいこともあるが、助かっていることもある
なかなか仕事が思うようにすすまない。
風邪ひいたなー、ひどいなーと思って病院に行って、「なんともありません。風邪でもありません。」と言われたら不安だよなー。
どうしたらこの症状がよくなるか一人で考えるしかなくなる。
でも、風邪です。と診断されて薬が出てゆっくり休んで下さいと言われたら、そうかー風邪かーと自分の今の症状に納得できて安心する。
理由づけできないことや原因のわからないことはたくさんあるけれど、なるべくわかった方が安心だ。
自分が暮らしにくいなと思ったらADHDだったとか、統合失調症だったとか、診断された人に話を聞くと、一時的にショックだが、今まで感じていた違和感に診断名がついたことで、ほっとするような気持ちになると話しているのを何度も聞いた。
昔は病気でもお祈りするしかなかった
天気が悪くてもお祈りするだけだった。
避けられないものはもっとたくさんあった。
人間は納得したくて原因を追究する。
それでわかったこともあり、治せる病気も増えた。
災害の予測はまだまだ難しい部分もあるが、迅速で的確支援方法を考える人が増えていると思う。
子どもは昔は授かりものだった。
今は子どもが今はいらないとか、いつ欲しいとか選べたり妊娠しない原因など、わかることも増えた。
わかることも選べることも増えた。これは人間が目指していたことだろう。
わかって選べて自由が増えたようで嬉しいはずなのに、思い通りにならない不機嫌が増えているように感じるのは何故だろう。
選べない時のほうが、人との出会いとか繋がりとか、言葉にならない思いとか察しあっていたんじゃないかなと思う。
簡単に会ったり話したり出来ない分、人を信じるしかなかったし、信じてもらえる努力をしていたんじゃないかなと思う。
今ある問題を解決すると、新たな問題が生じる。
年を重ねると昔を懐かしく思う時もたくさんある。
それでもやっぱり、私は今が一番いいと思えているから幸せかな。