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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
99/106

丁(ひのと)・闘争

 夜の海は深く静かだった。

 帆のきしみも波のさざめきも、すべてが遠く、眠るように穏やかだった。


 空は濃い藍に沈み、頭上では星が瞬いている。

 西の空では、月がひときわ大きく光を放っていた。

 光と闇が交差し、不穏な静けさが海を覆う時刻である。


「進奏官殿、起きてください」


 水夫の声に肩を揺すられ、ヴィローはゆるく目を開けた。

 甲板に満ちる月の光が強く、眠気はすぐに霧散する。


「どうしたね」


 身体を起こしながら問うと、水夫は無言で顎をしゃくった。

 その先、月明かりに照らされた海面を滑るように、一艘の帆船がこちらへと近づいている。


暁前(ぎょうぜん)の時刻にすれ違う船とは、珍しいものであるな」

「急ぎの船なら、ないこともないんですが」

「例えば吾輩たちのように。郡守会議に用がある、とかかね?」

「…………」


 水夫の顔に緊張が走る。


「エリクは?」

「ガンユウが起こしに行ってます」


 ヴィローは立ち上がると、船の装備を見回した。


 シュアン郡の武装ブリッグ船――

 船体は二本の帆柱を持ち、灰青色に塗られた舷側には、旋回砲(スイベルガン)が左右に二門ずつ備えられている。

 さらに、船首の甲板にはひときわ異質な主砲が据えられていた。

 砲身は短く太く、口径は広く開かれている。


 この兵器の名は《キャノン・ハープーン》。

 火成石の爆圧によって、巨大な金属銛を撃ち出す大砲である。銛の基部には太縄がつながれており、砲撃と同時に巻き上げ機が唸りを上げる。

 この銛がいったん標的に突き立てば、相手の自由を奪うとともに、牽引、捕獲、拘束を可能とする。

 いわば船そのものの牙であり、顎である。


「海上でドンパチなら、オレの出番はなさそうだな」


 後ろから声をかけてきたのは、ちょうど起きてきたエリクだった。


「まだ刺客の船と決まったわけでは――」


 ヴィローが言い終えるより早く、件の船から一条の閃光が走った。

 放たれた光は旋回砲のひとつに直撃する。

 轟音が甲板を揺らしたが、幸いにも火薬は詰められていなかったのか、それとも不発か。爆発には至らず、船体の炎上は免れた。





「野郎……やってくれたな」


 エリクはふっと目に力を込めると、軽やかに跳ねるようにして船首へと躍り出た。

 キャノン・ハープーンの引き金に手をかける。


「あっ、エリク殿! 駄目だ、それは――!」


 ガンユウの制止も聞かず、エリクは構わず主砲を撃ち放った。

 巨大な金属銛は月光を反射しながら、暁前の闇を一直線に駆け抜ける。

 だがその一撃は狙いを逸れ、見当違いの海面に突き刺さった。

 間を置かずして水柱が高く上がり、銛の先は波に飲まれて沈んでいく。


「キャノン・ハープーンは、素人が撃って当たるもんじゃねえんだ!」

「わりい……」


 ガンユウの声に、エリクは肩をすくめて素直に謝った。

 巻き上げ機へと歩み寄り、手動のハンドルを回して銛の回収を試みる。

 金属の軋む音が甲板に響き、潮風に溶けていく。

 その背後では、船員たちが慌ただしく持ち場につき、帆を調整し、武器を手にしていた。


「今の光、火砲ではない。道策(ダオツア)か?」


 眉をひそめながらヴィローがつぶやいた。

 先ほどの閃光と衝撃は、火薬の爆発とは性質が異なっている。


「ダオツア使い……魔法使いみてえなもんか」

「連射してこない、あるいは出来ないのか。いずれにせよ乗り込んでくる気だな。総員、白兵戦に備えよ」


 ヴィローの声に、船員たちは一斉に武器を構えた。

 敵船がこちらの進路を横切るように舵を切り、波しぶきを上げて接近してくる。

 双方の船腹が射程に入れば、あとは舫い綱でも投げればたやすく渡れる距離だ。

 だがそれよりも早く――


「乗り込む気なら、乗らせなきゃいい」


 エリクは船首の柵をひらりと越えると、ひと息の勢いで敵船へ跳んだ。

 きしむ甲板に着地すると同時、先頭の敵兵を鉄斧で弾き飛ばす。

 左右の兵が剣を振り上げたが、その刃が振り下ろされるより早く。斧の柄が片方の顔面を打ち砕き、斧の切っ先はもう片方の手首を斬り裂いた。


「シュアンの代表武侠かッ!?」


 次の兵が叫ぶも、その声に答えることなく、斧の刃は旋風となって月下に吠える。

 倒れ伏す者たちの血が甲板を濡らし、その上をエリクの足が滑らずに進む。

 恐怖が波のように広がり、敵兵たちはじりじりと後退を始めた。


 そのとき、敵の列をかき分けるようにして、一人の男が前に出た。

 深い蒼を基調とした、金縁の飾り付きの長上着に身を包み、大ぶりの三角帽を斜めに被っている。

 右手には繊細な装飾が施された、短い杖のような棒を携えており、先端は青金に輝き、柄の部分に刻まれた術式は淡い光を灯していた。


「……?」


 男の手にした妙な武器か、それともどこか芝居じみたその格好か――エリクの注意はわずかに逸れていた。

 その隙を突くように、棒の先端から眩い閃光が迸る。

 それはまさしく、先ほど味方の船を襲った一撃と同じ光。

 気付けばエリクは、敵船の縁まで弾き飛ばされていた。


「ぐうっ……!」


 四肢が痺れて動かない。

 敵兵たちからは、抑えきれぬ歓声が上がる。

 その勢いに乗って、包囲が狭まるその刹那。

 背後に、ふわりと音もなく着地する気配があった。


道策(ダオツア)使い相手では、相性が悪かろう」


 低い声とともに現れたのは、外衣を風に揺らしたヴィローだった。

 帯に差された得物は儀礼用の鈍剣。

 斬れぬはずのそれに、ヴィローは手をかける素振りさえ見せない。

 風がざわめき、空気が重くなる。

 次の瞬間、ヴィローの体躯が一回り、いや二回りほども膨れ上がったように見えた。


 否、それは錯覚ではない。

 盛り上がる肩と背、布越しに隆起する筋肉。

 覗いた肌には、月光を照り返すような銀の体毛がびっしりと生えていた。


 それを見た道策使いの男は、震える声で叫ぶ。


月神(げっしん)の御使い……? ど、どうして開国派などに!」





 船の甲板は、いつの間にか静寂を取り戻していた。

 それと共に、ヴィローも元の姿に戻っている。

 積み重なった死体と焼け焦げた板の上、潮風が吹き抜ける。


 月は、西の空にかかっていた。

 それはヴィローにとって、あまりに近すぎる。

 足元に横たわる道策使いの死体を見下ろし、低く呟いた。


「……月神の加護。いや、これは呪いだよ」

「あんなに()ええなら、やっぱテメーが代表武侠やりゃあいいだろ」


 まだ痺れの残る手足を動かしながら、エリクがふらりと身を起こす。


「兼任は認められておらぬ。それに、御前試合は昼にやるものだ。吾輩が先の姿になれるのは、勇魚(いさな)の起きる時間だけであるしな」


 ヴィローは再び死体に視線を落とし、金縁の長上着と装飾的な三角帽を一瞥して言った。


「このわざとらしい格好、海賊に偽装しておるだけだな」


 エリクも死体の姿を見て、首をかしげる。


「海賊?」

「知らぬのか? これは典型的な海賊服だ」

「海賊の服……そうだったのか」


 腑に落ちない表情のまま、エリクはそれ以上は口をつぐんだ。

 ヴィローはふと、目線を上げる。


「ときに貴殿、吾輩の姿を見ても驚かぬのだな」

「狼男なんて別に珍しくも……いや、珍しくはあるかもな」


 エリクはぼりぼりと頭を掻き、斧を肩に担ぎ上げた。


「ウールヴヘジン。新大陸の迷宮守護者とやらの中には、我が種族の力を真似た怪物もいるらしい。月の光も届かぬ迷宮では、大して役にも立たぬであろうに」

「オレもその迷宮守護者だぜ?」


 それを聞くと、ヴィローは喉を鳴らして笑った。


「はっはっは。ずいぶん人と区別の付かぬ怪物もいたものだな」





 敵船から味方の船へと引き上げる。

 倒れた道策使いの外套の合わせからは、蒼月の紋章がわずかに覗いていた。

 他の者の素性は判然とせず、次に寄港する郡の者であっても不思議ではない。


「エリクには、道策(ダオツア)についてもう少し、知っておいてもらった方がよかろう」


 ヴィローが説明するには――

 あの魔法の棒、《道策》は古の時代の武器である。

 本来は御禁制の魔道具だが、皇帝にその使用を強制的に止めるだけの力はなく、郡によっては事実上の使い放題であった。


「その戦力差を埋めるのは難しく、我がシュアン郡でも道策を解禁すべきではないかと、たびたび議題に上がるほどでな」

「だったら使やいいじゃねえか」


 エリクにとって、皇帝の命令など知ったことではない。


「無意味に見える規則でも、定められた以上は何らかの理由があるものだ。道策がいかなる原理で動いておるのか、いまだ解き明かした者はおらぬ。が――」


 ヴィローは少し間をおいて。


「吾輩はどうにも、あの武器が好かぬ」

「そんなら仕方ねえか」


 エリクの道策に対する興味は、あくまで軽い。

 彼の育った世界では、超常の力など日常の一部に過ぎぬのかもしれぬ。


「棒使いのことは分かった。用心しろってんだろ」

「それともう一つ。道策使いが、吾輩に言った言葉を覚えているか」

「月神の御使い、だったか?」


 エリクは記憶を手繰り寄せるように言った。


「言葉自体は忘れておいてもらって構わぬ。帝国では獣人の位が高い。吾輩は獣人といっても半端者なのだが、ウールヴヘジンを有り難がるような連中もいるということだ」

「蒼月騎士団とか、か?」


 その返しに、ヴィローは短く頷いた。


「左様。なにしろ連中が崇める、『月』の力で変身する種族であるからな」


 ヴィローの声音は淡々としていたが、そこにはかすかな陰りが差していた。




  その者、月満ちる夜にのみ、獣の姿となるといふ。

  毛皮も牙も、我が身に刻まれし呪なれど、陽の下では人の貌を保ちぬ。

  獣人らはこれを「同胞」と呼ばんとせしが、

  彼は首を振り、静かに曰く――「我は、獣にすらなりきれぬ」


  ――原著不詳/セヴェレン写

     《ヴォルク・クロニクル》より「灰の皮膚をまとう者」

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