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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
98/106

丙(ひのえ)・情熱

 倉庫から出ると、港の通りを駆けてきた水夫が報せを持ってきた。


進奏官(しんそうかん)殿。奴ら、逃げ際に港の衛吏(えいり)を手に掛けたらしく。それと、道を塞ごうとした街の者まで……」

「む? ならば、下手人はこの地の郡士ではなかったか」


 この郡の者ならば。街の民、ましてや衛吏を斬ることなどあるまい。

 つまりは他郡の者か、それとも――

 少し間を置いて、ヴィローは言葉を継ぐ。


「それに、ガンユウはまだ殺されておらぬのだな? 我らの報復を恐れてのことか……あるいは、逃げきるまでは人質として用いるつもりか」


 水夫たちの聞き込みによれば、港の裏手に下手人らの潜伏先と思しき建物があるという。

 これだけの騒ぎを起こした以上、彼らはじきに馬車でも使い、内陸へ逃げる腹づもりであろう。


 海の上で逃げおおせるとは考えまい。

 海路の扱いに長けた海洋郡領である、シュアン郡の武装ブリッグ船が控えているからだ。

 港を出たところで、内陸郡領の刺客に勝ち目はない。


 それでも水夫たちは皆、不安げな面持ちで視線を交わしていた。

 攫われたのが仲間だから、というだけではない。

 彼らは知っているのだ。

 水夫の命が、進奏官のような上席郡士の使命より重く見られることなど、まず無いことを。


 船長がヴィローに進言する。


「進奏官殿、あなた様が動くべきではありません」

「うむ。それはもっともであるな」


 ヴィローは肩をすくめるように返答した。


「吾輩は何もせんよ、吾輩はな」





 潜伏先とされる建物の影が視界に入った、その刹那だった。

 エリクは列から抜け、まるで風を裂くように走り出した。

 他の者が驚く間もなく、彼は建物の前に躍り出る。

 木製の扉に容赦なく片足を叩きつけると、扉は内側へと跳ね飛んだ。


 そのまま踏み込み、七つの気配を同時に捉える。

 一人は部屋の奥、椅子に縛られているガンユウである。

 残る六名。そのうち、最も息を殺している者。衛吏を斬ったという下手人と特徴が一致する。


 男の前に跳躍したエリクは、鉄斧を振り降ろすや、薪割りの如くその頭を叩き割った。


 振り向くと、二の手が来た。

 横薙ぎに振るわれる細長い刃。斬ったのは街人か。

 振り向きざまに鉄の柄で刃を受け止める。火花が散る。

 斧と刃は滑るように交差し、両者がすれ違うと下手人の首が舞った。


 三人目、四人目。

 今さら退くことも出来ず、もはや体当たりのように襲ってきたが、それらも鉄斧の重みに斬り伏せられた。


 五人目は裏口から逃げて行った。


 六人目。その者は手にした剣を取り落とし、震えてしゃがみ込んでいる。

 エリクは歩み寄り、低く告げた。


「オレがシュアン郡の代表武侠だ。このツラ、よく覚えておけ。分かったら行け」





 建物の中を見て、誰もが言葉を失った。

 床には鮮血が流れ、壁には斧に割られて飛び散ったものの名残りが生々しくこびりつく。

 縛られていたガンユウは既に縄を解かれ、手当てを受けながら状況を説明していた。

 水夫たちは口々に言い合う。


「すげえもんだな、代表武侠ってのは」

「生き残りには逃げられちまったか」

「いや、見逃したんだろ」

「戦意なき者は斬らない。(おとこ)らしくていいじゃねえか」

「情報くらいは吐かせたかったけどな」

「ガンユウが無事だっただけ、上等としようや」


 ガンユウの証言により、エリクが下手人を見逃したことは知られている。

 だが、それを責め立てる者はいない。

 エリクは今後、代表武侠と間違えられて水夫が襲われることのないよう、敢えて敵に自らの顔を見せ、覚えさせたのだ。

 そのくらいは、皆理解していた。


 ヴィローは倒れた遺体を検分して回り、腰に下げた帳面に何事かを記しつけていく。


「なんか分かったのか、ヴィロー」

「これを見たまえ、エリク」


 ヴィローは倒れた男の胸元に手を伸ばし、上衣の打ち合わせをそっとめくる。

 その裏地に、蒼藍の紋章が隠されるように染め抜かれていた。


 波間から突き出すように描かれた二つの曲線。

 ひとつは前方にせり上がる丸い頭、もうひとつは後方で弧を描く巨大な尾。

 水面に浮かぶその姿は、勇魚(いさな)を模したものにほかならない。


「《蒼月騎士団》の紋章だ」

「あー、これがそうなのか」


 騎士といっても、仕える主君がいるわけではない。

 蒼月騎士団という名こそ勇ましいが、実態は各地に拠点を持つ自律的な結社組織に近い。


 その活動は郡をまたいでおり、どこにも属さず、どこにでも潜む。

 構成員の中には商人、軍人、時に役人さえ含まれており、

 郡によっては政治の中枢にまで食い込んでいる例すらある。


「蒼月は――郡領だの派閥だのとは無関係だ。どこにでもおる。敢えて言うなら彼らはおしなべて鎖国派であり、そして反皇帝派でもある。つまり、親皇帝派にして開国派であるシュアン郡のことも、快く思ってはおらぬ」

「どこにでもってことは、開国派の郡にもいるのか?」


 そう。例えばこの郡にも。


「昨日も申したであろう。一見、同じ志を掲げているように見えても、些細な違いで人は争うものだ。郡領開国派でありながら蒼月にも属する。そのような者がいたところで、何も不思議ではない」


 ということは。

 下手人がこの地の郡士だった、という可能性も否定できなくなる。

 ヴィローは重ねた衣の内側に浮かぶ勇魚の紋章を、じっと見つめていた。





 夜明けを告げる鐘の音が、港の静寂を破った。

 空は薄青く、まだ海と溶け合うような曖昧な色をしている。


 舷梯はすでに巻き上げられ、船体は音もなく岸を離れ始めていた。

 木桟橋がわずかに軋み、縄を引く音が朝の空気に溶け込んでいく。


 甲板ではエリクがあくび混じりに釣り具をいじりながら、船縁からぼんやりと海を眺めていた。

 その隣にヴィローが腰を下ろす。


「……で? 次の郡は刺客を送ってきそうなのか?」

「風向きや潮目の如く、主義主張は短期間で変わることもあろうからな。確かなことは言えぬ」


 開国を議題とする郡守会議が招集されたことによって、内部の意見が激変した郡もあるやもしれぬ。


「難儀なこったぜ」

「地政的な見地からいえば、海洋郡領は国外との貿易による利益が期待できる。海に面しておるのは一都五郡、対して内陸は四郡だ」

「多数決なら有利じゃねえか」


 餌を針先に掛けながら、エリクはうそぶいた。


「次だって港がある以上は、開国派か?」

「海洋郡領は国外の脅威に最も晒される場所でもある。ゆえに鎖国派ということもあろう。まあ、そうした派閥は島の東側に偏っておるがな」


 帝都への往復に西側航路を選ぶのは、何も風向きだけが理由ではない。

 政治の潮流もまた、波と同じく穏やかな顔をして牙をむくのだ。


「ん……?」


 その時、疑問の声と共にエリクが顔を上げた。


「気になるかね」


 西の空が、波打つように淡く光っていた。

 青みを帯びた揺らめきが、空そのものに輪郭のような模様を浮かび上がらせている。


「西側航路の空は、朝になるとあのように光る。境界領域の影響とも言われておるな」


 境界領域――レオーネ島を新大陸と隔てる《原初の海》。

 開国とは、この隔たりを消し去るということでもあるだろう。

 だが、具体的にどうやって消すというのか。


 その方法を知る者は、この帝国では皇帝ただ一人である。




 昼の航海は、何事もなく進んだ。

 太陽はゆるやかに天を渡り、海面の色もじわじわと移ろっていく。

 昼には船員たちの掛け声が響き、夕刻には風の向きもわずかに変わった。


 朱に染まりはじめた空は、朝ほどではないにせよ、どこか揺らいで見える。

 まるで、沈みゆく太陽の存在を霞ませているかのように。


 そして日は沈み――夜。

 勇魚の目覚める時間が、やってくる。




  海より立ちのぼる水気、空にひろがり、朝日の光を返すことあり。

  老船頭曰く「あれは沖の水が天に浮き、陽を返すのだ」

  世の端に触れる光、それを「空返し」と名づけたり。

  然れど村人らは、なおそれを現世と幽世の境と信じ、恐れ伝ふ。


  ――『妖観縁起抄』「空返し」

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