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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ネームレスタワー
93/106

11月(下) 第六階層・黒雷の試練

 仲間たちの姿が再び見えなくなり、足元の水も消え去った。

 周囲の空気が変わり、視界は黒一色に染め上げられる。

 音が吸い取られたような沈黙の中に、金属の軋むような冷気が漂っている。


「ここにも通路や小部屋はなし、と」


 ブッシュワーカーだけが、すぐそばに立っていた。

 彼の言う通り、ここは第四、第五階層と同じく円筒状の空間のようである。


「なんでオレまで……」


 壁は深い闇をたたえた黒い金属で構成されている。

 中央の床には、何もない。

 平らな円形の広場がぽっかりと空いており、その周囲を取り巻くように、壁際には黒鉄の螺旋階段が静かに伸びている。

 見上げれば――天井はない。

 円形に穿たれた開口部から、夜空が見えている。星が滲み、風がゆっくりと空気を動かす気配がする。

 空の南側はまだ赤い。塔の外で見た大火の余燼(よじん)が、未だ夜を染め続けていた。


「おい、あの穴って――」

「黒雷竜が出入りするための穴、だろうね」


 当然だが、竜の姿など今はどこにもない。

 だが、中央の広場には巨大な何かが、確かにそこに居たような気配があった。

 軽く焦げたような跡、爪が抉ったような傷、かすかな獣臭さ。

 迷宮機能の例に漏れず、それらの痕跡は今にも消え入ろうとしている。


「この第六階層で最後ってことさ」


 わざわざ語られずとも分かる。

 ここが終点、ネームレスタワーの頂。そして、終わりの場所なのだと。

 会話の間にもブッシュワーカーは壁際へと進み、さっさと階段を上り始めている。

 ここまで来たなら、最後まで見届けるしかない。

 バリスタは腹を括り、彼の後に続いて螺旋階段の一段目を踏んだ。


「なあ。さっきお前が言ってた、オレを選んだ理由って――」

「竜を倒す願いがどうこうって話ね。あれはウソだ」

「…………は???」

「なんか間が持たなかったからさ。皆を納得させるのに、何か言わないといけないのかなって」


 バリスタは愕然となり、言い返す言葉がすぐには出てこない。


「お前なあ……」

「まあ、嘘つきは僕だけじゃないけど。まったく、よく言うよなあ」


 何かを思い出したのか、前を行くブッシュワーカーからは軽く笑ったような気配がした。

 あの場に、彼以外にも嘘をついている者が居たというのか。

 どうでもいい情報すぎる。

 自分が選ばれた理由も、バリスタはどうでもよくなってきた。




 天井の開口部が近くなり、階段の終端も迫る頃。

 星空から射す冷たい光が差し込んでいる。そして、声がした。


『待ち侘びたぞ』


 声の主は、初めから終点に居たかのように――そこに立っていた。


 水面のように揺らぐ空間に、朱と翠の鮮やかな衣。

 それは帝国の一部で着られていたような民族衣装、吟遊詩人が稀に用いる様式にもよく似ている。

 絢爛でありながら、どこか古めかしい。それを着るのは黒髪の童女――いや、童女の姿をした何者か。切り揃えられた毛先は無造作に散らされ、意図的に乱されたような洒脱さがあった。

 顔立ちは幼く、しかし表情は不敵。

 軽く目を細めた笑みは、無邪気というには冷たく、威厳というには遊び心に満ちていた。

 甘さと冷たさ、気まぐれと威厳。判別不能な揺らめきに、目を奪われる。


「お前は――」

『さあ、続きを見せてみよ。塔の試練に相応しい結末を』


 彼女の声には、どこか楽しげな調子さえある。


「あなたが名無し(ネームレス)? どうも、名のある古の神を再現した存在にも見えるんだけど……」


 記憶を探るかのように、ブッシュワーカーが首を傾げた。


『この塔を創った迷宮生成術師は、『名前』とは物事に意味と形を与え、その可能性を封じる呪いと考えたのじゃ。事実、あのゼファーは名を与えられたことにより――滅亡そのものの概念から一歩、こちら側の常識に引き込まれた怪物となっておる。本来ならば、視認できるのかどうかも怪しいほどの存在じゃろう』


 ブッシュワーカーはふむふむと頷いているが、バリスタには全く意味が分からない。


『この塔で竜に抗おうとする者に名は要らぬ。故に名無し(ネームレス)

「あっ……? もしかして、オレらの本名が呼ばれないのって――」

『元はそういった(まじな)いから来ておる。今の登塔士どもは本来の理由を忘れ、惰性で続けておるだけだがな』


 呼び名を変えた程度で何らかの効果があるとは思えない。

 ネームレスはさておき、今の登塔団のほうは本当に何も無いのだろう。

 ゼファーの言い伝えといい、昔から続く無意味そうな風習にも、歴史を辿れば成立しただけの理由があるのだ。


『そしてもう一つ、竜に抗うために始められ、それと知らずに街の者が続けたことがある』

「登塔団以外にも、んな連中がいたのかよ。それってなんなんだ?」

『街の衛兵に代々受け継がれている、《弩弓兵》の存在じゃ』


 ――え……?


『付いてくるがよい』


 ネームレスは階段の上から、塔の外側へと姿を消す。

 上がってこいと言っているのだ。恐らくそこは屋上なのだろう。

 屋上といっても大部分は竜のための開口部であり、床があるのは外周部の縁だけだと思われた。

 ブッシュワーカーは再び階段を上り始め、バリスタがそれに続く。

 上からネームレスの声が響く。


『のうブッシュワーカー? 汝、何故バリスタを選んで連れてきた。水鏡に映った姿は汝自身であったのに、わざわざ同行者として指名までしおって』


 第五階層の試練でブッシュワーカー自身も、竜に挑むのは自分だという自覚があった。

 それでもバリスタを塔の頂上に連れて行くべきだと、ネームレスに交渉した。

 そういうことになる。


『さしずめ、汝には最初から()()が見えてたのじゃろ?』


 屋上に出る。

 円環状の回廊は星の光に晒され、遥か下方には夜の大陸が広がっている。

 そして、屋上の通路には点々と、見慣れた構造物が置かれている。


 それは、地上の城壁に備えられたものと同じ旧時代の遺物。

 あの『弩弓』と同じ形をした兵器が全部で8門――地上同様、八つの方角に向けて設置されていたのだ。


「こいつは……」

『地上から二百四十メートル。こんな場所にある兵器など戦争の役には立たん。この弩弓で狙うべき標的は、ただ一体しか存在せぬ』

「…………!」

『何か質問はあるかの』


 ブッシュワーカーがすぐさま返答する。


「気になるのは、この場所自体が黒雷竜に対して無防備に見えることかな」

『この塔は周囲の空間も含めて絶縁領域でな。屋上に出ていても奴の雷は通らん。まあ、直接喰われることはあるかもしれんがの……』

「近付かれる前に、決着を付ける必要があるわけか」


 先に聞かれてしまったが、バリスタにも質問はある。

 歴戦の狙撃手である彼は、この武器の問題点にすぐ気付いた。


「いや、待ってくれ。ドラゴンの最大飛行高度はどのくらいなんだ?」

『千メートルを優に超える。この場所よりも遥か高空じゃな』

「だったらこんな場所に弩弓を置いても誤差じゃねえか。『塔の壁を登る』ようなもんだ……」


 掴みかけた希望が、もろくも崩れ去るような失望を覚えた。

 バリスタの情緒は忙しく乱高下を続けている。


『面白いことを教えてやろう、バリスタよ。――空気というものは本来電気を通さぬ。自然界の雷は空雲から地上まで落ちているように見えるだろうが、実際には数十メートル程度の短い段階(ステップ)を空中で踏んでいるのじゃ。地面と接続する際の雷撃距離も、せいぜい二百メートル』


 ――よく分からない……。


『そして、黒雷竜は小さい』

「小さい?」

『考えてもみよ。天空に広がる雄大な雲海に比べれば、あの黒トカゲなどゴミカスのようなものであろう。ブッシュワーカー、汝は分かるか?』

「黒雷竜には、雷に本来必要な段階(ステップ)を踏むほどの出力が無い?」

『その通り。空中では奴の雷などほんのわずかな距離しか届かぬ。地上に対しての攻撃も、高度二百メートルまでは降りる必要がある。塔の屋上より、いくらか下じゃな』


 途中の話は全く意味不明だったが、最後の部分だけは分かる。


「それじゃあ……!」

『この街の民を守る目的なら、弩弓の位置などこの高さで充分。ネームレスタワーそのものが、黒雷竜と戦うための砲台じゃ』





 バリスタは弩弓の点検を始めていた。

 なにしろ二百年以上、誰も使っていない兵器である。

 しかし――


「どこも問題ねえな……」

「この弩弓も迷宮の一部なんだから、壊れても復旧するよね」


 どうやらそうらしかった。

 むしろ地上の同型よりも状態がいい。


『ゼファーの奴が戻ってくる前に聞いておこうか。どちらが竜を倒す?』

「えっ? それはどっちかに決めるもんなのか?」

「弩弓同士の場所は離れてるし、多分この南東の1門しか使わないでしょ」


 ゼファーが南東から戻ってくるなら、他の弩弓の方位角を調整して戦うのは確かに効率に欠ける。

 弩弓を2門使うよりも、観測手を置いたほうがいいのかもしれない。

 だが、ネームレスが聞いているのは、果たしてそういう意味なのだろうか。

 弩弓を直接扱う技術だけならば、バリスタのほうが一歩勝る。しかし――


 逡巡するバリスタに、ブッシュワーカーが後押しするように告げる。


「バリスタ。今こそ貸しを返してもらおうか」

「貸し――」


 あれは3月のことだった。

 熊に襲われた人たちを、弩弓による狙撃で助けた事件。

 この出来事とブッシュワーカーの機転により、バリスタは辛くも登塔団に残留することが出来たのだ。


「お前は、全部最初から……」

「僕のことはいい。君の本音はどうなんだ」

「本音……オレは――」


 あの、竜に燃やされた街並みを見たときのことだ。


 ――燃やされたのが、金持ちの住んでる南側地区だけで、まだ良かった……。


 そのようなことは、とても口には出せぬ。


 ――生まれ育った北側地区じゃなくて、本当に良かった……。


 そのように思わなかったなどと言えば、嘘になる。


 そんなことを考えてしまう自分が許せない。

 そんな己が、どうして皆を代表して戦えようか。

 バリスタが、この街の出身であるからこそ芽生えた本音。

 だが、それでも――


 ――『君が弩弓兵を目指すというなら、その技術。――この街の人たちを、守るために使ってほしい』


 そうだ、この街の者だからこそ――

 乗り越えなければならない。

 生き残った者たちを、守らねばならない。

 死んでいった者たちの、無念を晴らさねばならない。


 ()()()()()()()()()()は、己自身の中にあった。


 ――ゼファーは今ここで、オレが倒す。


 バリスタの矢が届く相手であるならば、倒せぬ道理などはない。


『どうやら、覚悟は決まったようじゃの』


 ネームレスが両手を胸の前にかざし、その上に。

 なんらかの力が、収束する気配がする。

 バリスタのような魔力に対して鈍い人間にすら、それははっきりと感じられた。

 力は徐々に細い、そして黒い影を成し、この世に顕現する。


 時刻は深夜。

 日付はとうに変わっており、12月が始まる。


『受け取るがよい。この世で唯一、黒雷竜を封印せしめるもの。これぞ――』


 ネームレスの手から宙を漂い、バリスタの両手の中に収まるそれは。

 未知の金属で形成された、細長く真っ黒な棒であった。

 詩人の歌に出てくるような竜殺しの武器。そんな都合の良いものは、存在した。

 ただしそれは、学者が言っていたような魔剣などではなく――


 バリスタは一目で理解する。

 これこそがこの弩級で使われるべき、正規の『矢』なのだと。


『竜殺兵器――《震天箭(しんてんせん)》である』

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― 新着の感想 ―
バリスタがずっとこの章のメイン視点だったのは、バリスタが今回の竜を屠るもの、この章の主人公だったからなんだなって。
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