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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ネームレスタワー
81/106

第1話 バリスタ

 視界の中で、その猛獣は動いている。

 体長3メートルはあろうかという巨大な熊だ。

 横転した馬車の中を漁ろうとしている。

 (ハーネス)が外れてしまったらしく、馬は既に逃げた後。

 馬車から這い出た数人の乗客の中には、怪我人もいるようだ。


 街の城壁、北側およそ四百メートルの地点で起こった出来事である。

 見張りの兵たちは伝令を飛ばしているが、城門からの救援が間に合うかは微妙なところであろう。


「一発で仕留めるのは無理だぞ」


 城壁の上に固定された防衛用の弩弓――バリスタを構えながら、大男が声を発した。

 顔だけで判断するなら、年の頃は17か18歳といったところか。

 背は高く、肩幅も広い。そこらの衛兵など敵わないような体躯の持ち主である。


 大男が声をかけたのは、城壁の縁で遠眼鏡を覗く少年だ。

 こちらは年相応の体躯――いや、城壁の上を歩く兵士としては明らかに細身で小柄な部類だった。

 遠眼鏡から目を離した少年は、振り向いて言う。


「北側にわざと外すんだ、バリスタ」


 弩弓を構える男はそう呼ばれた。

 武器だけなく、男の呼び名も『バリスタ』なのだ。無論、本名ではない。

 やたらと大型のクロスボウを得意武器とするので通称がバリスタ。それだけのことである。


「分かってる、ブッシュワーカー」


 藪に潜む者(ブッシュワーカー)と呼ばれる少年にそう返すと、バリスタは素早く照準の調整を行う。

 防衛兵器の射角を調整する歯車が、キリ……と短い音を立てた。


 積み荷の中に食糧は無かったのか、熊は興味の対象を馬車から人間へと向けつつある。

 この距離で狙っても当たるわけがない。

 逃げ出した人々を誤射しないよう、敢えて熊の北側を狙う。


 引き金を引いた。空を切り裂く音と共に矢が放たれる。

 放物線を描く矢は数秒後、熊の10メートルほど北の地面へと突き刺さる。

 逃げる人々を追いかけ始めていた熊は、足を止めて後ろを振り返った。


 ――好機(チャンス)だ。だが……。


 次弾を既に装填し終えたバリスタは瞬時に考える。

 着弾まで数秒かかる武器で、動く的を狙うのは極めて難しいが、止まってさえいれば当てられる可能性はある。

 しかし慣れない武器と場所――城壁の上という高低差が、彼の距離感を微妙に狂わせていた。


 端的に言って、当てる自信が無い。

 まぐれ当たりに期待して威嚇射撃だけでも続けるべきかもしれないが、逃げる人々に標的が近付くほど、誤射の危険性は大きくなる。

 その思考にブッシュワーカーの声が割り込んだ。


「今の着弾地点から目標までの距離、南に9メートル、西に2メートル半だ。修正を」

「は?」


 疑問の声を発したものの、考えるより先に手が動く。

 方位角を調整する歯車が鳴るか鳴らないかの微調整をかける。


 ――マジかこいつ。


 四百メートルは離れている目標のズレを、1メートル未満の単位で瞬時に宣言してみせた。

 しかもそれは、バリスタが「なんとなく、そのくらいかもしれない」と考える数値と見事に一致する。


 ――なんでそんなに自信満々なんだよ、アホか。


 心の中で毒づくものの、不思議と確信が持てた。

 ブッシュワーカーの観測手としての眼力は恐らく本物だ。もしかしたら、自分以上の実力かもしれない。


 二度目の風切り音が鳴り響く。

 矢はロングボウの限界射程をも超える、四百メートル先の獲物目掛けて放物線を描く。

 背後を警戒していた熊は、ゆっくりとこちらへ頭を戻すところだった。

 壁上の兵士たちからどよめきが上がる。

 その矢は、見事に標的を貫いていた。


 自身で仕留めておきながら、呆れたようにバリスタはつぶやく。


「眉間を一撃はいくらなんでも出来過ぎだろ……」

「バリスタの腕があったからこそ、その偶然を引き寄せられたんだ」


 ブッシュワーカーは真面目くさってそう告げると、振り向いて足早に去っていく。

 上に報告しに行くのだろう。

 緊張感から解き放たれたバリスタは力が抜け、弩弓後部の座席へどっかりと腰を下ろした。

 そばに居た衛兵たちが話しかけてくる。


「凄い腕前だな! さすがは《登塔士(とうとうし)》だ」

「いや、オレはただの見習いですよ。それに今のはまぐれで」

「さっきの彼も言ってたじゃないか。腕がいいからこそ、そのまぐれを引き寄せたって」


 バリスタはなんとも居心地の悪い気持ちになった。

 自身の弓の腕前。

 方向性こそやや偏っているきらいはあるものの、それについての自信はある。

 だが今回の結果はあの胡散臭い同期、ブッシュワーカーに誘導されたもののような気がしてならない。

 ならば、手柄の大半は彼のものではないか。

 自分が褒められるようなことではないだろう。


 ふと、バリスタの座る場所が急に明るくなった。

 振り返って、眩しい光に目を細める。

 北側城壁を日光から遮る()()()()()()の陰から、ゆっくりと午後の陽が差し始めたのだ。


 広大な高台の上に築かれた城塞都市の中央で、異様な圧迫感を放つ存在。

 世界最大の建造物ともいわれるその巨大な『塔』は、旧文明が残したなんの役にも立たない遺跡。

 その名を、《ネームレスタワー》という。





 バリスタ、あるいは本名クロード。

 彼はネームレスタワーを擁するこの城塞都市――『ヴェストゥルム』の出身だ。


 巨大な塔の日陰になる北側地区に住む者は平民、とりわけ下層階級が多い。

 彼の両親はそんな場所で食堂を営んでいた。

 主人自ら毎日早朝に街の外へと狩りに出かけ、仕留めた新鮮な獲物を用いる食事の数々は、周辺住民から大変な人気であった。


 11歳の頃から狩りの手伝いを始めたクロードは、人並み外れた体格とクロスボウの才能によって、狩人としての頭角を現していく。

 だが、料理の腕前は親譲りとはいかなかった。


「無理に食堂を継ぐ必要はないぞ、クロード」


 父からはそう言われるものの、継ぐ継がないなどという話は遠い将来のことであった。

 クロードが15歳のときに父が亡くなり、その後すぐに母も亡くなってしまうまでは。


 死因は過労。

 早朝から夜遅くまで、狩人と食堂を兼任する働きぶりを思えば、無理からぬ結果であったといえよう。

 両親が残してくれた教訓を胸に、クロードは食堂の存続をあっさりと諦めた。


 ――働き過ぎは、よくない。


 15歳の少年の思考としてはあまりに枯れている気もするが、それは街の環境にも遠因がある。

 王国の玄関口であり、交易都市でもあるヴェストゥルムには日々大量の商品が持ち込まれる。

 そのため、地元で生産される食糧の買い手は少ない。あるいは安く買い叩かれる。


 つまり、狩人一本で生きていくことはクロードの腕をもってしても、それなりに難しかったのだ。

 身の振り方を考えなければならない。

 そのとき思い当たったのは、食堂に来ていた登塔士の話であった。

 登塔士とは、ネームレスタワーの管理、探索を生業とする『ヴェストゥルム登塔団(とうとうだん)』の団員のことである。


 クロード自身は、名無しの塔(ネームレスタワー)とかいうなんの有り難みも無い遺跡には、これっぽっちの興味も持っていない。

 彼のみならず、北側地区に住む平民はだいたいそんなものである。

 遥か遠くの地よりヴェストゥルムを目指す旅人にとっては非常に便利な道標なのだが、塔の日陰で日々を生きる貧乏人たちにとっては目障りな壁でしかない。


 だが、登塔士の話は興味深かった。

 彼がクロードに話して聞かせたのは、街の城壁に備え付けられた八門の弩弓のことだった。

 名無しの塔や街の城壁同様、旧文明の遺産であるその防衛兵器には、8人の正射手が任命されているという。


 ヴェストゥルム独自の兵種――《弩弓兵》である。


 彼らの任務は弩弓の技術を磨き、後進を育成し、戦時にあってはこのヴェストゥルムの街を護ることだ。

 しかし、まともな戦争など何百年も起きていない。

 国境地帯ゆえの小競り合いはたまにあるらしいが、殺し合いに発展するようなものではなく、したがって弩弓を用いるような場面もない。

 更に、普通の衛兵のような見張りや見廻りを行うこともない。


 すなわち弩弓兵とは半ば名誉職であり、暇な仕事だというのだ。


「これだ……」


 弩弓兵は階級的には衛兵の一種に過ぎず、給金が良いわけでもない。

 だが、そんな贅沢など元より追い求めていない。

 自分のクロスボウの腕を活かせそうで、且つ楽そうな仕事。

 もしかしたら天職かもしれない。


 こうして、クロードは弩弓兵を目指すことに決めた。




 弩弓兵になるためには、まず衛兵に志願することが正攻法といえよう。


 ――だけど、それは最後の手段だ。


 8人の正射手は弓が上手いというだけでなく、なんらかの功績を上げた者や、単に立場や縁故にものを言わせて就任したような者ばかりと聞く。

 街の衛兵を真面目に勤め上げれば就任できるというものではない。


 そこでクロードが着目したのが、ヴェストゥルム登塔団の存在である。

 いや、彼ならずとも街の若者であれば一度は考えること。

 登塔団の入団試験は非常に厳しいことで知られ、見習いとして一時在籍するだけでも大変な名誉なのだ。

 成績優秀者であれば、団が仕官の口利きまで請け負ってくれるという。

 立身出世を目指す者、自分が望む職に就きたいと願う若者が一度は夢見る手段。


 ――いったい、なんのための組合なんだかな。


 本来ならば、塔を探索し調べ上げることが登塔団の使命であるはずだ。

 しかし今では、主として貴族の子弟が箔をつけるための訓練所と化してしまっている。

 この街の出身者に限れば平民でも入れないことはないので、夢のある話ではあるのだが。


 登塔団に入団し、上位の成績を目指し、弩弓兵に志願する。

 これが彼の考えた人生設計であった。




 その年の11月に行われた入団試験で、クロードはあっさり不合格となる。

 最初から分かっていたことだ。

 ろくに勉強もしてこなかった平民が簡単に受かるような試験ではない。


 ――今回はただの様子見。本命は2年後だ。


 入団試験は2年に一度、11月に行われる。

 受験資格は身元の証明が出来ること、入団料を支払えること、年内に15から17歳を迎える齢であることの3点。

 ヴェストゥルム出身であるため身元証明は問題ない。

 入団料に関しては、合格した暁には食堂を売り飛ばすという条件で認められた。

 現在15歳であるため、2年後にもう一度機会がある。


 ――剣術の実技試験なんかも問題だが、やはり最大の壁は筆記試験だな。


 勉強をするにしても、まずは勉強の方法から調べなければならなかった。

 今までの職業柄、知り合いの多いクロードではあるが、周囲の人間はほとんどが彼と同じ無学の平民だ。


 それでも手繰り寄せるように情報を集め、試験の対策を練る。

 狩りで最低限の生活費を稼ぎながら、残る時間は勉学に費やした。

 かつての両親もかくやという奮闘ぶりである。

 全ては将来の安泰のため。

 クロードは楽をするためなら、どれほどの努力も無茶も厭わなかった。


 そして、2年の歳月が流れる。





 その年、王国の北方辺境でひとつの街が地図から姿を消した。

 わずかな噂は巡ったものの、そのことに本気で関心を寄せる者はいない。

 百年に一度の迷宮活動期という伝説も、好事家の間で囁かれる程度である。


 西方辺境であるヴェストゥルムの街に住む者たちにとって、それは作り話か、遠い地の他人事に過ぎない。

 自分自身が当事者などとは、誰も考えない。

 街の中央に四方迷宮の『西』――ネームレスタワーを擁しているにも(かかわ)らず。


 巨大な塔は表面上なんの変化もなく、今もただ、そこに佇んでいる。

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