第75話 魔剣士
「無駄なことを」
回復しつつあるドニを見たコルサスが、ぼそりと言うのが聞こえた。
モリアはその意図を尋ねる。
「無駄とは? 戦っても勝てないという意味かな。それとも、どうあっても僕たちを見逃す気はないと?」
「両方だ。貴様らは全員ここで死ぬ」
「確かにドニを連れて、あなたたちから逃げるのは難しいだろうね」
それ以上は答えず、コルサスは背後の部下たちに号令をかける。
「全員殺せ」
メラクたちはいっせいに動き出した。
ディズノールも大斧を構えて前に出る。
「モリア、あのデカブツはオレの獲物だ。手ェ出すなよ?」
エリクが迎え撃つように進み出た。
ライシュタットの街へ来てからというもの、ほとんどの戦いで先陣を切ってきたモリアだが、エリクにはあっさりと前衛を譲る。
モリアはベルトホルダーから金属の棒を六本、両手で引き抜いた。
先端が尖った太い釘のようなそれは、寸鉄と呼ばれる飛び道具である。
それを見咎めたコルサスが叫んだ。
「その魔道具には見覚えがあるぞ。そのような玩具に頼る弱者が、この試練の場に立つなど場違いと知れ!」
そんな言葉にも構わず、迫りくるメラクの群れに向けて続けざまに寸鉄を投擲する。
そして、その短い呪文を唱え上げた。
「――《飛剣》」
唱えられた呪文と同時に、六本の寸鉄が光を帯びる。
寸鉄は更に、空中で軌道を変えて猛然と加速した。
大広間に異様な音が響く。
飛剣は先頭を走るメラクの胴体を貫通し心臓に風穴を開けたかと思うと、更に急激に軌道を変化させ、次なる獲物へと襲いかかる。
「むうっ!?」
そのうちコルサスに向かった一本は、魔剣士を覆う魔力風をも貫通した。
コルサスはそれを三日月刀で弾き飛ばす。
魔力風で威力を殺されたにも拘らず、ドニの斬撃にも迫ろうかという衝撃が腕に伝わった。
地面に落ちた飛剣は、魔力を使い果たし消し炭のようになって消える。
以前に見たものと同じ魔道具のはずだが、威力が全く違う。
周囲に絶叫が響き渡る。
残る五本の飛剣は、メラク兵の身体に次々と風穴を開け絶命させる。
うち一本はディズノールへと襲いかかり、防ごうとした腕を腕甲ごと砕いて飛び去った。
全てのメラクを巻き込んだ飛剣はそのまま速度を減衰させることもなく、ほんの僅かな時間で端の壁へと着弾する。
激突音が震動となって大広間を震わせた。
八名の兵の命が一瞬で奪われ、残された者たちは声も出ない。
その凄まじい威力に絶句するよりなかった。
「誰が使っているところを見たのか知らないけれど――」
言うまでもなく、コルサスはラゼルフが飛剣を使っているところを見たのであろう。
ラゼルフが使った場合、飛剣を含めた一部の魔道具は独特の弱さを発揮する。
真似をしたい者などいるはずもないが、余人には真似の出来ぬラゼルフの特技であった。
一方モリアが使った場合――飛剣は強力極まりない飛び道具と化すが、内包する魔力が尽きて消滅する。
つまりは使い捨て。魔道具ひとつとっても使い手の個性が出るのだ。
全ての魔力を引き出せるが一度の使用で消える、これを長所と言ってよいかどうかは微妙なところであろう。
孤児院では一切の魔道具について、モリアが使用することは禁じられることとなった。
それらの事実に空とぼけつつ、モリアは言う。
「名剣剛弓から道端の小石に至るまで、武器道具の真価は使い方を心得てこそ」
本当は、魔道具の性能などモリアにもよく分かっていない。
試しに使ってみて、駄目そうなら次に行くだけのことである。
全ての魔道具が同じように壊れるわけでもないだろうが、飛剣はハズレだ。
「この私をメラクのコルサスと知っての狼藉なのだろうな、小僧! 名を名乗れ!」
「ライシュタット開拓者組合所属――ラゼルフ小隊、モリア」
その小隊名をモリアが名乗るのは、これが最初で最後のことであった。
*
ディズノールが片腕を砕かれるところを見たエリクは、振り返って怒鳴る。
「モリアてめえ! 手ェ出すなっつったろうが!」
「手元が狂ったんだよ」
誰が聞いても分かるような嘘が返ってきた。
舌打ちしながらエリクは前へと向き直る。
「手加減はしねえ。あの生意気なガキに、してやられるほうが悪い」
「そちらこそ、脳天叩き割ってやったはずだがな」
落とし穴で半身に大怪我を負い、今またもう片方の腕まで砕かれたディズノールは満身創痍といっていい。
それでも――
「貴様如きに後れを取るものか!」
砕けた両腕でなお大斧を掴み振り回す攻撃の支点、ディズノールの身体の中心へとエリクは素早く潜り込んだ。
そのまま密着するように立ち回る。
手甲で防がれるのも構わず、武器の持ち手に手斧を叩きつける。
「くっ!?」
「あんまり最初の試練で死にすぎたせいか、あんときゃ戦い方を忘れてた」
――『エリクは弱くなった』
モリアが十二歳を越えてから――
セルピナだけでなくエリクまでもが、模擬戦でモリアに一切勝てなくなった。
意味が分からなかった。
三歳も下の年少者に勝てない。
この年代での歳の差が大きいことはもちろんだが、それだけではなく。
迷宮守護者ゼーリムニルが戦いそのものには手を貸してくれないとはいえ、エリクは魔導護符に選ばれた魔人である。
当時は魔人になってから三年も経っていた。
モリアはずっと、ただの人間だ。
一時期は腐りもしたが、ある日とうとうモリアに教えを請う決心をした。
そして返ってきた言葉が、「エリクは弱くなった」である。
ますます意味が分からなかった。
モリアに言わせれば、戦いとは自分の命を守る手段であるそうだ。
食うために狩りをするのも、外敵を倒すのも、結局はそこに帰結するのだと。
自分の命を守らなくなったエリクは、だから弱くなったのだと。
「生意気なガキのツラを、久々に見て思い出したぜ」
己の無力さを嘆いても仕方がない。
どのような状況でも、最善と信じた選択を積み重ねるしかない。
――迷宮守護者だろうとドッペルゲンガーだろうと。
足を払うように振るわれる大斧の柄を、速度が乗る前に踏みつける。
動きを止めたかのように思われた。
が、ディズノールはそこから大斧を振り上げる。
エリクの身体が宙へと跳ね上げられた。
――たとえドラゴンが相手だろうとも。
振り上げられた大斧の柄を掴む。
眼下の敵へ向けて手斧を振り降ろし、その頭蓋を叩き割った。
ディズノールは絶命し、ひとつの戦いに決着が付く。
「――最後に勝つのはオレだ」
エリクが自身の能力を否定することはない。
戦いの技術に関してはモリアを見習うこともあろうが――
何度倒れようとも最後に立っていることこそ、己の持ち味である。
*
大広間の中央に向かって、モリアとコルサスは互いに駆ける。
三日月二刀で斬り掛かるコルサスに対し、モリアはショートソードだけでなく普段使いの短剣も抜き、双剣にて迎え討つ。
「――《剛身》」
革の胸当てに魔術紋様が浮かび光を放つ。モリアの動きが加速して二刀を双剣で弾き返す。
身体強化の効果。光を失った胸当てからは焼け焦げるような匂いがする。
――あと一回の使用が限界か。
コルサスは一合で距離を取る。慎重な動きだった。他にどのような効果の魔道具があるか分からないためだ。
実はモリアもよく分かっていないのだが。
「その程度では、私に届かんぞ」
「かもね」
言葉で探りを入れられるも、モリアはそっけなく返す。
再び切り結ぶと、今度は力を込めて三日月刀を押し込んできた。
それを受け流すと、相手は流れるように三日月刀を振るい、二合、三合と打ち込んでくる。
――魔剣技だけじゃない。普通に戦ってもアリオト並とは。
何度目かの攻撃を捌き切れず、持ち手を狙う三日月刀が下段から振り上げられる。
「――《鉄盾》」
腕甲が光を放ち、三日月刀を弾き返す。
「――《速手》」
続いてグローブが光り、凄まじい速さで小剣の刺突を繰り出した。
咄嗟に跳び退いたコルサスは三日月刀を交差させて防ぐも、更に五歩の距離まで吹き飛ばされ、靴の裏を石床の上に滑らせる。
目に僅かながらも驚愕の色が浮かんでいた。
コルサスは次なる攻撃のために身体に魔力を込める。足下に風が巻き起こった。
「そのような力など所詮は借り物だ。せいぜいその玩具で粘るのだな。手札が枯渇したとき貴様は死ぬ」
魔力風がコルサスの身体を包む。
「――《廻風》」
爆発的な跳躍と共に、二刀を構えて竜巻のように突進する。
受け止めることも、横に躱すことも不可能な魔力の暴風が吹き荒れる。
「――《浮揚》」
脚甲に紋様が浮かび、モリアは垂直に浮かび上がった。
通常は身を軽くする程度の性能。跳び上がって廻風を躱すつもりだったのだが、モリアは装備も含めて空気よりも軽くなってしまった。
――あ、まずい。
しかし魔力の風圧で、モリアは木の葉のように舞い上がりその突撃を難なく躱す。
いかな強風であっても、木の葉そのものを砕くことはない。
モリアは自身の動きを制御できずに空中を数回転するも、なんとか地上に降り立った。
無防備な状態で追撃されたら手詰まりであったかもしれない。
大広間を一直線に突っ切ったコルサスは、かなり離れた場所で停止していた。
――あのくらいの速度になると、途中で切り返すことは無理なのか。
モリアが如何なる魔道具を持ち出そうとも、手札ごと粉砕する。
そのための全力攻撃だったのだろう。加減されていたら逆に危なかった。
コルサスはゆっくりと歩いて戻ってくる。
「貴様の攻撃など私には通用しない。もし通用する手段があるなら、とうに使っているはずだろう?」