第68話 鬼人
ドニを撒くため、階段を上り移動を続ける。
あまり上階に移動したくはなかったが、結果的に追い込まれてしまったともいえる。
メラクの催眠術師が本当に存在したとしても、それを特定し、狙って追うことはグリフォンの呪符を用いても不可能なこと。
ならどうするのか。
――この城にいるメラクを、片っ端から倒せばいい。
好戦的なメラクのことをいえぬ、極端な結論だった。
仕掛けてきたのは向こうの側だ。文句は言わせまい。
「ミザール、メラクの居場所を聞いてもいいか?」
返事は無い。
「なら、手っ取り早く他の挑戦者に会うにはどうすればいい」
『上階を目指せば、汝の望みは叶うであろう』
自ら試練に飛び込んでいく方向であれば、あっさりと返事を寄越すようだ。
現金なものである。
更に上階へと進んだ。
頭の中の地図に従い、気になっていた場所へ向かう。
城内にはいくつか、尖塔の内部であろうと思われる円形の部屋がある。
そのうちのひとつに着くと、出入り口の外から部屋の内部を観察した。
――床のごく一部……何箇所かに、発光石以外のものが使われているな。
分かりやすい目印、とでもいうべきだろうか。
確信があるわけではないが、一応覚えておくことにする。
部屋から立ち去り、通路の奥へと進む。
曲がり角の先から、強めの光が射す場所へと着いた。
今までの場所よりも空気が冷たく、少し流れてもいる。
――外の光か?
進んで覗き込んでみれば、やはり複数の窓がある。
しかも、今度は氷で埋め尽くされてはいないようだ。
モリアの考えでは、上階に行くほど城は氷に覆われているはずだった。
水路と大広間があった場所を一階と考えても、現在地は城壁よりも高い場所と思われる。
窓からは近くにある他の建造物が見えているし、氷で塞がれているにしてはやけに光が強い。
――もしや……。
窓に近付き、身を乗り出す。
そこは高い建造物に囲まれた円形の中庭のようだった。
正面奥の建物まで二百メートルは離れているので、直径二百メートルの空間ということになる。
地上の中庭はすり鉢状の地形になっており、詩人や書物の物語に出てくる闘技場を連想させた。
いや、それよりも――
空が見える。
城の上部を覆っていると思われた氷の大天蓋は、そこに大きな穴を開けていた。
穴の大きさは目測で、直径百メートルはあるだろうか。
そこから日の光が射していたのだ。
――氷壁城は上からなら見える。こういうことだったか。
山の上からでは、角度的に穴から全てが見えるわけではないだろう。
しかし大穴周辺の天蓋は、永久氷壁の高さに比べればまるで薄い。
割と透けて見えるのかもしれない。
「ミザール、あの穴はなんで開いてるんだ?」
返事は無い。
いつものことだが、今回はそのことに引っ掛かりを覚えた。
――穴のことを聞かれるのは、何か不都合があるのか?
永久氷壁の奥底にわざわざ隠されたように建つ城。
それが上からなら丸見えだとか、片手落ちというよりむしろ不自然だ。
あの穴は自然に出来たもので、そこにミザールあるいは別の何かの意思は介在していない。
――それはないな。
永久氷壁が自然の地形などであるはずがない。
採光や換気のため?
こんなロクに窓も開いていないような陰気な城を建てた者が、そんなことに気を使うものか。
あの穴は、何か途轍もなく不吉な理由であの場所に開けられている。
そう良からぬ想像をしたとき――
ガシャン――
金属の擦過音。
金属鎧を装備しているであろう何者かが、こちらに近付いてくる。
ミザールが教えてくれたとおり、他の挑戦者がやって来たのだ。
モリアは通路の先を見やると、角を曲がって姿を現した者に声を掛ける。
「これだけ明るくなってれば、そりゃあ気になって見に来るよね」
「その格好……貴様も王国人だな」
グレートアックスを携え鋼の腕甲と脚甲を装備し、赤みを帯びた肌を持つ筋骨隆々の大男。
モリアはひと目で男の正体がメラクであることを見抜く。
ライシュタットの開拓服を知っている辺り、ラゼルフ小隊との戦いで生き残った者に相違あるまい。
その大男――すなわちメラクのディズノールは、大斧を構え言い放つ。
「王国人は死ぬべきだ」
「流行ってるのそれ?」
軽口を叩きつつ、モリアはショートソードを抜いた。
体格に似合わぬ瞬発力で、ディズノールは即座に間合いを詰め一撃を繰り出す。
だが、モリアに比べれば遅い。
次々に繰り出される大斧の連撃も、常に壁を背にして移動するモリアを相手に精彩を欠く。
大斧は一撃ごとに壁に動きを阻まれ、それでも戦闘巧者のディズノールによって相手を追い詰めたかと思えば、ちっぽけな小剣で攻撃をいなされ振り出しへと戻される。
「ほう……」
力では何者にも負けぬと自負するディズノールではあるが、小兵ならではの戦い方に長けたモリアに俄に注目する。
思ったよりも長く楽しめそうな相手だと、そう考えたのだ。
あくまでも、優位に立っている側としての思考である。
一方のモリアにしてみれば。素早さであれば上だが、「防御に徹していればやられない」くらいのものでしかない。
こちらから攻める道筋がほとんど浮かばなかった。
――参ったねどうも。物凄く強いんだけどこの人。
モリアはこの大男を、ライシュタット開拓者組合のギルターに匹敵する脅威と判定する。
であれば、まともに太刀打ちできるような相手ではない。
手札を何枚か切れば戦えないこともないが、今使っても良いものか。
――駄目だ。まだ他の挑戦者たちの全貌が分からない。
切り札には限りがある。
このような分かりやすい手合いに、急いで使うことはない。
戦いの最中に生まれた僅かな膠着を好機と捉え、質問を飛ばす。
「あなたの仲間に、催眠魔法を使う術師がいたりしない?」
大男は突然の質問に動きを止め、面白そうにしながら言葉を返す。
「何故そう思う? いや……兵どもの馬鹿さ加減を見れば、それくらいは分かりそうなものか」
――やはり、そうなのか。
モリアが聞きたかったことの、答えを述べたも同然の言い方。
次の言葉を少し待つが、何もなさそうなのでぽつりと言う。
「……やめた」
「何?」
こんな筋肉塊が、探し求める催眠術師であるはずもない。
片っ端からメラクを倒すという方針を、早くも撤回する。
ハズレにまで付き合うのは時間と手札の無駄だ。
モリアは唐突に、ショートソードを鞘に納めてしまう。
更に振り返って、その場から逃げ出した。
「は……?」
一瞬何が起きたのか分からず、大男は口をひらいて固まった。
が、すぐに正気に戻って――
「少しは骨があるかと思えば、なんの真似だそれは!」
ディズノールは怒りに肌を赤く染め、猛然とモリアを追い始めた。
不利になったから逃げる、というならまだ分かる。
だがあの生意気な王国人は、明らかに余力を残しているのだ。
「すぐに捕まえて、息の根を止めてやる!」
ディズノールは気付かない。
モリアが相手の足に合わせ、手を抜いて逃げているというその事実に。
先ほど通過した尖塔の部屋へとモリアは戻ってきた。
当然ながら行き止まりである、その部屋へと侵入する。
大男の足音が近付いてくる。
ドニであれば、あの怪物といい勝負が出来たのではないか。
本人が望むかはさておき、飛礫で援護すれば勝ちの目もあっただろう。
巡り合わせの悪さを思わなくはないが、嘆いても仕方がない。
どのような状況でも、最善と信じた選択を積み重ねるしかないのだ。
そして、大男は部屋の前に立つ。
出入り口を塞がれ、部屋に逃げ場はない。
「観念したか。せいぜい足掻いてみせろ」
大斧を構え直し、こちらへと歩み寄ってくる。
あと一歩で間合いに入る。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
モリアは足下にある、発光していない石畳を踏んだ。
その瞬間――
部屋にある全ての石畳が消滅した。
「あ――?」
突然訪れた浮遊感に、ディズノールは足下を見た。
床が無い。
いや、厳密にはあるのだ。
ただしそれは、現在地よりも数十メートルは下だった。
その遥か下方に、見覚えのある者たちが居る。
それは十体以上もの――折り重なったメラクたちの死体だった。
落とし穴――
尖塔を丸ごと使ったそのトラップは、恐らく氷壁城の試練――その開始位置のひとつ。
落下死したメラクの集団は、開始早々にこの罠で壊滅していたのだ。
モリアは鉤付きロープを前方へと放つ。
部屋の出入口上部を飾る装飾部に、それはしっかりと巻き付いた。
「きっ、貴様~ッ!!」
大男の叫びが降下していく。
モリアはロープのフックを支点として、振り子のように前方へと向かい足から壁に着地する。
そのまま壁を駆け上がり、出入り口へと跳び込んだ。
振り返れば、床が全て元に戻っている。
予想通りの挙動だ。
下から見たとき、この部屋は見えなかった。部屋の床――下から見れば天井だが、それはすぐに復旧すると当たりを付けていたのだ。
駆け上がるのがあと一瞬遅ければ、モリアも階下に叩き落されていただろう。
ロープを軽く振って装飾からフックを外すと、畳んで背嚢へと仕舞う。
ラゼルフから貰った錘付きロープのほうは、癖が強く扱いづらいので腰に下げたままだ。
「確実性には欠けるけど、ひとまずはこれでいいか……」
大男の生死は確認できなかった。
多数の死体が転がっていたため、石畳への直撃は免れるかもしれない。
それでも、ただでは済まないだろう。普通は死ぬ。
今はメラクの催眠術師を探し、ドニを正気に戻すことが先決だ。
――元に戻れたら、ドニはなんて言うだろうか。
北の迷宮セプテントリオンのセトラーズは、メラクに対する遺恨が強い。
ふと、メラクのシェイドのことを思い出す。
彼を街に呼んだ覚えはないが、モリアの選択が彼の運命を変えてしまったことは間違いない。
一族を離れた彼がセプテントリオンで生きていくことは、あるいは不幸なことなのではないか。
乗りかかった船。
シェイドに対しても、モリアなりの答えを示さねばならないだろう。
パチパチパチ――と、間の抜けた音が唐突に響く。
これは。そう、拍手の音だ。
音の主へとモリアは目を向ける。
発光石に照らされる、薄暗い通路に浮かび上がる黄金の髪。
身に纏うは旧帝国の遺物――魔導服。
人心惑わす、良からぬ魔物を連想させるかのような絶世の美貌。
この女は――
「実に素晴らしいな少年。あの《鬼人》ディズノールを無傷で退けてしまうとは」
「《鬼人》ディズノールだって?」
怪しげな女を警戒しつつも、その名に驚きを禁じ得ない。
それは鬼の血を引くと噂され、帝国末期の戦場で数多の敵兵を屠った英雄豪傑の名であった。
メラクには正真正銘の英雄――正しくはそのドッペルゲンガーだが、それが在籍していたのだ。
「そうとも、英雄ディズノールだ。あんなのに追われては私も打つ手が無くてね。ほとほと困っていたところに君が現れてくれたというわけだ。どうだね。ここはひとつ、私と手を組まないか。そうそう、君の名前は?」
長口上を述べる女を、モリアは冷ややかに見つめている。
「ん? ああ、私としたことが。まずはこちらから名乗るべきだったね。私の名はグルヴェイグ」
「モリア」
名乗られたので、一応名乗り返した。
「ハハ……ずいぶんそっけないんだね、モリア。警戒するのは分かるが、私たちは共通する敵を持っているらしい。ならば、今は味方といっても良いのではないだろうか」
「そうですね。あなたが本当にメラクと敵対しているのなら、そういえるでしょうね」
モリアとしては珍しいことに、冷淡な態度を崩さない。
グルヴェイグと名乗る女の意図が、さっぱり読めないからだ。
この集団の傾向からすれば、モリアを懐柔しようとするのは異色の戦術といえる。
「まだ疑っているのかい?」
ずっと化かし合いを続けるのもリスクが高いし、何より疲れるだけだ。
仕方が無いので、単刀直入に訊くことにした。
「だって――あなたもメラクでしょう?」