第67話 背信
祭壇の部屋を後にして階下の通路に降り、左右を見渡した。
もと来た道とは逆側の通路の奥に、迷宮石とは異なる微かな光源があるように見える。
そこまで移動して見上げると、尖塔の内側と思しき円形の壁に回廊が張り出し、その上にふたつの窓が開いていた。
城内に飛ばされてから初めて見る、外からの光である。
――日の光だったか。だけど……。
自然採光というには何やら不自然な暗さを感じる。
理由に見当は付いたものの、確認のため螺旋階段を上り回廊に立つ。
案の定、窓の外は氷で埋め尽くされていた。
分厚い氷壁に光の大部分は遮られ、外の様子などさっぱり分からない。
回廊を周り、反対側の窓の外も確認する。
やはり氷で埋まっていたが、こちらは向こう側の景色が多少透けて見えていた。
比較的氷が薄く、近くには他の建造物があるのだろう。
――ということは、こっちが城の内側だな。
氷壁城へ侵入するとき、城壁の上部分は氷で覆われていたが、城門の内部は空間が広がっていた。
永久氷壁は、城の地上に近い部分が空洞になっていたのだ。
ならば上階や外側ほど氷壁で覆われている確率が高く、現在地は城の中でも上層部且つ外郭側ということになる。
グリフォンの呪符を使えば、あるいはモリアにも城の全容が見えるのかもしれない。
しかし呪符の残存魔力には限りがあるので、今はまだ温存すべきと判断した。
ラゼルフが長年所持していたということは、この呪符は使い捨て型ではない。
もしかしたら自然回復型の呪符かもしれないし、そうでなくても魔術師に頼めば魔力の補充は可能だろう。
――もう少し、下に移動するか。
脱出も視野に入れるなら地上へ行くべきだ。
上階は行き止まりの場合があり、逃走にも向いていない。
*
いくつかの階段を下りると、水路のある広い通路に出た。
城の内側と思われるほうの壁際には、幅、深さ共に三メートルほどの溝があり水が流れている。
水深は一メートルほどだろうか。
通路の左右、どちらへ進むべきか。
片方の通路の先から、血の臭いが漂ってくる。
――普通なら、そんな不穏な場所は避けるべきだけど。
何が起きているのか、情報が欲しい。
血の臭いを辿ると、そこにも尖塔と思しき円形の部屋がある。
中を覗くと、無数の死体が折り重なっていた。
魔力の気配がその正体を物語っている。
「メラク……!」
十人以上も倒れている死体は、全てメラクだった。
床には出入り口まで血を引きずったような跡があり、ここから出ていった生存者もいるようだ。
――何か妙だ。
程なくして違和感の理由に気付く。
誰も武器を抜いていない。戦闘をおこなった形跡が無いのだ。
死体は全て頭部を損壊しており、それが直接の死因であるように見える。
――罠か?
慎重に内部へと進み、上を見る。
しかし上には遥か高所の天井以外何もない。
隙間なく嵌め込まれた石壁には窓もなく、総じて何もない部屋としか言い様がなかった。
だからこそ、罠の存在を疑う。
――長居は無用だな。
戦闘以外の要因であれば、たとえアリオトの精鋭たちでも即死、あるいは大怪我を免れないだろう。
もし大勢で城に乗り込んでいたら、こうなっていたのかもしれない。
*
通路に戻り、水路の先を見る。
溝にはトンネル状の横坑が開いており、水はそこからも流れ出ているようだ。
近くまで進み観察する。
水路に降りでもしない限り、角度的に横坑の先は見えない。
恐らくこの階層では、こうやって各部屋の水路がつながっているのだろう。
少し先には水路の上に石の橋が架かっており、向こう側の空間に入れそうだ。
そのとき――
背後に人の気配がした。
振り返れば、通路奥から見覚えのある人物がこちらに向かって歩いてくる。
「ドニ!」
どうやら無事だったようだ。
最初の試練がモリアと同じだったのかは分からないが、彼であればどうということはなかったのだろう。
「生きていたか、モリア」
「ええ、ドニも無事で何より――」
「ならば、ここで死ね」
「え?」
ドニはすらりと長剣を抜くとモリアに向かって踏み込み、神速の一撃を放つ。
頭は理解出来なかったが、身体は反射的に跳び退いた。
動かなければ、確実に首を刎ねられていた。
「…………!」
意外といえば意外。
アリオトの里は別にモリアを拒絶してはいなかった。
モリアを殺せばメグレズやレミー、ひいてはライシュタットを敵に回す可能性すらある。
余りにも無理筋だ。
――氷壁城の中で暗殺すれば、どうとでも言い訳できるということか?
それもおかしい。
ドニに好かれていないのは承知だが、果たして殺されるほどだろうか?
里ぐるみでなんらかの演技をしていた可能性はどうか。
いや、里には来たばかりだが、ザジと過ごした時間はそこまで短くない。
彼女がずっとモリアを騙していたなどとは考えづらい。
――少なくとも、これはドニの私怨じゃないな。
ならば。
ラゼルフと同じく、これも迷宮における不可思議な出来事のひとつと見るべきか。
本物のドニかどうかは分からないが、今回もメラクの気配はしない。
「ミザール、ひょっとしてこれも試練だったりする?」
返事は無い。
そうだろうと思った。
――身内の姿で油断させ襲い掛かる。そのようなつまらない罠は本当にあったのか……。
試されている。
これがミザールの仕業ではなかったとしても、状況を把握した上でモリアを観察していることは間違いない。
この状況を仕掛けているのは誰だ。見ての通りドニなのか、それとも。
――ドニの意思だった場合はどうする?
もしドニがモリアに悪意を持っているのだとしたら、将来的にライシュタットの障害になる可能性も高い。
いっそここで始末するべきか。
悩む間もなく、ドニの追撃が迫る。
レミーの技に何処となく似ている剣筋を辛うじて見切る。その上で、反撃を捨てる。
だからこそまだ生きているし、攻撃を躱すことも、ショートソードで受け流すことも可能なのだ。
「想像以上に出来るようだな、モリア。だが儂には勝てん」
これがなんらかの罠だとして。もう少し上手いやり方があったのではないだろうか。
予告してからの攻撃など得策ではない。騙し討ちであればモリアを倒せたかもしれない。
――いや、別に騙す必要などなかったのか。
ドニはモリアを侮っているし、その侮りも別に間違いではない。
直接戦うところを見るのは初めてだが、これまでに観察する時間はいくらでもあったし周囲からの情報もある。
彼はモリアよりも数段は強い。
部分的に――主に経験面や技巧面では、レミーをも凌ぐのではないかとさえ思わせる。
しかしながら。
――倒そうと思えば、倒せるけど。
レミーとドニの決定的な違い。
それは「モリアの手の内を知っているか否か」にある。
一度交戦状態に入ってしまえば、飛礫や呪石の存在を知るレミーを仕留めるのは極めて困難だ。
ドニであれば、今ならまだ殺せる。
だが、モリアはその考えに強い忌避感を覚える。
アリオトの戦士たちがドニに払う敬意、そこに嘘があるようには思えなかった。
ドニが良き指導者として生きてきたからであろう。
人の本心、本性など余人には分からない。
でも、取り繕うための外見だけであったとしても、そうあろうとする心は本物だ。
獣と人を分かつものがあるとすれば、たとえ見栄だろうともその振る舞いこそが大切なのだ。
ドニは――――「自分が先に死ぬべき」などど、ラゼルフと同じようなことを抜かし、あまつさえ実行しようとする愚か者は――
理不尽なつまらぬ裏切りをおこなう人物であろうはずがない。
取り敢えず、そう思うことにした。
モリアにとって、今はその直感だけが手掛かりといえる。
まずは、このドニが本物かどうか。
本物だとして、やむを得ない事情があったとして、その事情とはなんなのか。
――とにかく、それらを探らないことにはね。
剣を構えモリアの隙を窺うドニに対し、敢えてゆっくりと語り掛ける。
「ドニ。何故僕が殺されなければならないのか、聞いてもいいかな」
「王国人は死ぬべきだ」
――ん……?
何処かで聞いたような言葉だった。
「いや……王国の民ってだけで殺されるのは、納得できないというか」
「納得する必要などない」
「それにドニは、王国がどんなとこかなんて知らないでしょ?」
「直接見ずとも分かる」
「本当にそれ、ドニの考えなの?」
「話にならん。殺す」
モリアは振り返ると、脱兎の如くその場から逃げ出した。
ドニは一瞬呆気に取られ、慌てて後を追う。
「待て! この儂から逃げられると思うか!」
この、何を言っても殺し合いに発展してしまう不毛な会話。
北方草原で遭遇したメラクの兵にそっくりだった。
ドニからメラクの気配はしないが、城内の状況を思えば無関係であるはずがない。
モリアにとって厄介なのは、依然としてドニが本物である可能性が高いということだ。
今にして思えば、あのメラクたちも正気だったのかどうか甚だ怪しい。
――メラクの中に、催眠魔法の使い手か何かがいるのでは?
剣士としては最高峰といえるドニも、あっさりと術中に陥ることは大いにあり得る。
メラクという不可解な集団に対する、ひとつの答えにもなりそうだが。
かつては総勢千人を超えた集団を、異常なまでに好戦的に染め上げられる催眠術師など、存在するのだろうか。
英雄級――
盗賊ギルドの幹部には、帝政末期の動乱期に活躍した英雄たちが少なからず在籍していたという。
もし、それらのドッペルゲンガーが現在も生き延びているのならば。
通路を全力で駆けるモリアの腰のポーチから、石がひとつ転がり落ちる。
それに構わず、水路の上に架けられた橋まで辿り着く。
振り返って追ってくるドニの位置を確認すると、短く呪文を唱えた。
「――熱気の円球」
走るドニの足下、通路の外郭側に落ちていた呪石が、唐突に光を放ち膨張した。
白い布のようにも見えるそれはドニの全身を包み、瞬く間に通路を埋め尽くして彼を水路側の壁へと叩きつける。
パァンという破裂音と共に、猛烈な熱気が辺りを襲う。
モリアは橋の先、壁に開けられた出入り口に跳び込んで熱気をやり過ごした。
何か重たいものが水に落ちる音が響く。
壁に叩きつけられたドニが、水路へと落下したのだろう。
「しばらくそこで、頭でも冷やしてて下さい」
言い捨ててモリアは再び逃げる。
出入り口の先は広大な広間になっており、四方に水路が張り巡らされていた。
水路の横坑は、やはり外の通路とつながっているようだ。
――少しやりすぎだったか? 死んでないよね……?
使用したのは『気球の呪石』。
薄い魔力膜の内部に、加熱した空気を展開する魔法である。
魔法の構造は『煉獄の呪石』に似ているが、殺傷力は無い。
いや……。
正しくは「殺傷目的の魔法ではない」、だ。
殺傷力は割とあったかもしれない。
グルイーザ曰く、「この『気球』に、ロープなどをかければ人を運び空を飛ぶことが出来る…………かもしれない」とのことだった。「機会があれば実験しておいてくれ」とも。
実現すれば、《グリフォンの目》に代わる新たな観測技術となるやもしれぬ。
それどころか、樹海も容易く縦断できてしまうのではないか。
ただ――
熱した空気が上方へ浮かぶ理屈は想像できないこともないが、着地はどうするのだ。
曰く、「熱が自然に冷めることで徐々に降下するはず、多分」とのことだが。
あっという間に破裂したところを見るに、耐久性には課題が残っているようだった。
「試さなくて良かった……」
モリアは独りごちて、広間の反対側の扉へと姿を消した。